28
最近、有里の心には、ある落着きが生れていた。
それは、最後の土壇場になって頭に閃《ひら》めいた考え方だったが、このままでは、もしあの世で雄一郎にめぐり逢《あ》ったとき、恥かしくて顔も合せられないし、言葉もかけられないだろうということだった。自分は妻として、母として肝腎《かんじん》のことをまだ何もしていないではないか。
雄一郎の死が信じられないのなら、信じられないで、すくなくとも五年や十年は待つ覚悟が必要だし、秀夫については、彼がどう思っているにしろ、秀夫の行方が知れるまでは探さなければならないのだ。そんなわかり切ったことを、あれこれ迷うほうがどうかしている。
有里は、それからというもの、焦らなくなった。何年かかっても、何十年かかっても、母の一念で我が子を探し出してみせるという決心もついた。
もっとも、これは時々訪ねて来る南部斉五郎の言葉にも、随分影響されてのことである。
特に、この昭和二十二年の秋、泉涌寺《せんにゆうじ》の中庭に面した縁側で聞いた話は深く印象に残った。
「有里さん……あんたの言うように雄一郎は帰って来んかも知れん……しかし、あんたは生きている……こうして古い都の秋の中で、生きているんだ……生きている者には生きているだけのつとめがある……」
「私に……なにが残っているとおっしゃるんです……」
有里は迷《まよい》の最中だっただけに、強く反発した。
「なんのために生きなければならないんです……」
「ごらんよ、あそこにある雪見|燈籠《どうろう》……あれは日本で一番古い雪見燈籠だそうだ。いったい何のために、あそこに雪見燈籠があるのかな……この静かな日本の秋……いったい誰《だれ》のためにあるのかな……」
斉五郎は更に続けた。
「人はいつかは死ぬさ、みんな一度は墓の下へもぐる、たった一握りの灰になって……しかし、あんた、それですべては終りだと思ってるか……?」
「わかりません、私には……」
「終らせちゃあいかんのだ、名もない一人の人間の死を、それで終らせちゃあいかん……そいつの魂を誰かが大事に抱いて行ってやらにゃあいかんのだ……名もない一本の草木でも、一生懸命、自分を永遠に残そうとする、そのために、枯れんとする前に実を落して行く……それが命ということなんだよ……」
「それが……命……」
「有里さん、わたしは今日、こうやってあんたを無理矢理|此処《ここ》へ連れて来たのは何の為だと思うかい……あんたに生きる力を持ってもらいたかったからなんだよ……国破れて山河あり……日本は負けた、しかし、日本はちゃんと残っている、滅びてやしないだろ……そのことを知ってもらいたかったんだ、そのことがあんたの心の支えにならんかと思ったんだ……」
その日から、有里の心の中で、理屈ではない何かが育ちはじめた。すこしずつ芽をふきだしたのだった。
京都には寺が多い。
秀夫を求めてさすらい歩きながら、有里は神社仏閣を詣《もう》で、合掌した。我が子にめぐり合せ給えと神にも仏にも祈った。しかし、神や仏に頼るというのではなく、そうすることが一番自然だと思えたからだった。
夜は、もっぱら友禅の下絵を描いた。何事にも、とことんまで熱中する有里の性格が、短日月で、難かしい下絵かきの技術を習得させたのである。
御子柴セイが有里に、関根との再婚の話を持ち出したのもその頃《ころ》だった。
しかし、セイの思いやりを有難いと思いながら、有里はそれを無視した。無視するより仕方のないことだったのだ。
再婚の意志はまるでなかった。考える余地がないと言ったほうが正しいのかも知れなかった。関根は嫌いではなかったが、とにかく、夫の面影は有里の胸の中にまだ鮮やかに生きていた。
セイから話があってから、有里は今度は阿矢子から、関根重彦が秘かに有里のことを愛しているらしいということを聞いた。
「お兄はんは、有里はんがお好きなのに、どうしてそれを言わんのどす?」
阿矢子に問いつめられて、関根は、
「好きだからこそ、今、そんなことを言ってはいけないんだよ……僕はあの人の気持を大事にしてやりたいんだ、そっとしておいてやりたい……戦死した雄一郎君のためにもそっとしておいてやりたいんだ、それが愛情ってもんだと思っている……もし、いつの日か、あの人が僕の力を必要とする時が来たら、その時こそ、僕は喜んであの人の支えになるつもりだ……」
と答えたという。
有里は胸の中で、関根のいつに変らぬ温い思いやりに感謝した。と同時に、そろそろ、この家から自分が立ち去るべきだと判断した。
これだけ探しても手懸りがないのだから、秀夫は大阪付近にはもう居ないのだ。関東かあるいは九州方面を探すにしても、いったん北海道へ帰ろうと思った。
京都の元日は、大《おお》晦日《みそか》のおけらまいりからはじまる。
京都、東山《ひがしやま》、祇園《ぎおん》町にある八坂《やさか》神社のけずりかけの神事は俗におけらまいりと呼ばれて、京都に住む人々の年越しの行事になっていた。
除夜の鐘の音を聞きながら、祇園さんと呼ばれている八坂神社へおまいりして、神社の神火を頂き、それを元火にして、元日の雑煮をたく風習である。
戦争に負けても、貧しさに日本中が押しつぶされそうな時代でも、人々は長い生活の伝統を忘れはしなかった。
吐く息が白い深更の京の道を、人々は寄りそって祇園さんへ歩いていた。焼けなかった古都の寺々から、除夜の鐘がしずかに新しい年を告げる中で、有里は孤独を噛《か》みしめていた。夫を失い、子を失って、たった一人で迎えた新年だった。
三が日を京都で過して、有里は尾鷲《おわせ》へ帰ることになった。
その上で、あらためて北海道へ行き、雄一郎の退職の手続きも、今度こそきまりをつけて来なければならないと考えていた。
尾鷲へ行くのは、いわば今後の自分の生き方を兄にも母にも話しておくためだった。手紙などでは、なかなか自分の真意を伝えられないし、あらためて北海道から出てくるのも大変だったからだ。
「お有里はんさえよかったら、ずっとうちに居てもろてかまわんのどっせ……うちはほんまの娘のように思うとりますよって、なんの遠慮もいりまへんえ……」
セイは最後まで有里を引き止めた。
しかし、有里の決心が固いのを知ると、
「ほなら、此処《ここ》をあんさんのお家とお思いやして、いつでも戻って来ておくれやす、部屋もそっくりそのままにしておきますよってに……」
何度も念を押しながら名残りをおしんだ。
有里は必ず近いうちに帰って来ますとセイに約束したが、その実、帰って来る気はまったくなかった。京都ばかりでなく、尾鷲の実家へも今度帰ったら、当分は出て来られないだろうと思った。というのは、有里は雄一郎や秀夫の想い出の地、北海道で、たった一人で生きて行く決心をしていたからである。働きながら、夫や息子《むすこ》の帰りを待つ積りだった。
ところが、その尾鷲では、驚くようなニュースが有里を待ち受けていたのである。
「ほんまによう帰って来たわ、あんたの帰るのをどんなに待ったか知れへんえ……」
みちに続いて勇介も、みちと同じように明るい表情で言った。
「今日お前が帰らなんだら、いっそ京都へ電報うたんならん思うとったところや」
「電報って、何です?」
有里は二人を見た。
このところ、有里にしても中里家にしても不幸つづきで、二人がこんなに明るい表情をしていることが不思議だった。
「有里……ひょっとすると雄一郎はん、生きてはるかも知れんえ」
「えッ……」
有里は絶句した。
「須賀利へ復員したお人が、雄一郎はんに逢《お》うたとお言いやしてな……わざわざ知らせに来てくれはったんや」
「いつ……いつです、その話……」
「昨日や……まるで夢のような話やけど、確かに雄一郎はんに逢うたんやと……」
「したってお母さん、あの人の部隊は全滅したって、今迄《いままで》に何度も……」
「そやけどなあ、有里……」
勇介が身を乗り出すようにして、口をはさんだ。
「その人の話だと、ジャングルの中で道に迷って、他の部隊にそのまま合流していた者もかなりあったんやそうな……」
「どこで逢《あ》ったんです、うちの人と……?」
「シッタンいう所や」
「シッタン……」
「ビルマや、首都のラングーンに近い町やそうな、なんでも終戦になる少し前の昭和二十年の四月ごろやったんやと……」
「兄さん、それだったら……」
有里の表情に失望の色が浮んだ。
「うちの人の戦死の公報が来たのは終戦後ですよ……」
「それがなあ有里、その須賀利の古田はんの話では、終戦後も雄一郎はんの噂《うわさ》を聞いたいわはるんや」
「終戦後ですか?」
「古田はんが終戦後、マラリヤにかかってサイゴンの病院へ収容されたとき、そこに雄一郎はんらしい人がつい二、三日前まで居たという話を聞いたんやそうや……」
とにかく有里にとって、これは、闇《やみ》の中で突然明るい陽光に接したような気持だった。
有里はすぐその足で、須賀利へ出掛けて行った。
京都、東山《ひがしやま》、祇園《ぎおん》町にある八坂《やさか》神社のけずりかけの神事は俗におけらまいりと呼ばれて、京都に住む人々の年越しの行事になっていた。
除夜の鐘の音を聞きながら、祇園さんと呼ばれている八坂神社へおまいりして、神社の神火を頂き、それを元火にして、元日の雑煮をたく風習である。
戦争に負けても、貧しさに日本中が押しつぶされそうな時代でも、人々は長い生活の伝統を忘れはしなかった。
吐く息が白い深更の京の道を、人々は寄りそって祇園さんへ歩いていた。焼けなかった古都の寺々から、除夜の鐘がしずかに新しい年を告げる中で、有里は孤独を噛《か》みしめていた。夫を失い、子を失って、たった一人で迎えた新年だった。
三が日を京都で過して、有里は尾鷲《おわせ》へ帰ることになった。
その上で、あらためて北海道へ行き、雄一郎の退職の手続きも、今度こそきまりをつけて来なければならないと考えていた。
尾鷲へ行くのは、いわば今後の自分の生き方を兄にも母にも話しておくためだった。手紙などでは、なかなか自分の真意を伝えられないし、あらためて北海道から出てくるのも大変だったからだ。
「お有里はんさえよかったら、ずっとうちに居てもろてかまわんのどっせ……うちはほんまの娘のように思うとりますよって、なんの遠慮もいりまへんえ……」
セイは最後まで有里を引き止めた。
しかし、有里の決心が固いのを知ると、
「ほなら、此処《ここ》をあんさんのお家とお思いやして、いつでも戻って来ておくれやす、部屋もそっくりそのままにしておきますよってに……」
何度も念を押しながら名残りをおしんだ。
有里は必ず近いうちに帰って来ますとセイに約束したが、その実、帰って来る気はまったくなかった。京都ばかりでなく、尾鷲の実家へも今度帰ったら、当分は出て来られないだろうと思った。というのは、有里は雄一郎や秀夫の想い出の地、北海道で、たった一人で生きて行く決心をしていたからである。働きながら、夫や息子《むすこ》の帰りを待つ積りだった。
ところが、その尾鷲では、驚くようなニュースが有里を待ち受けていたのである。
「ほんまによう帰って来たわ、あんたの帰るのをどんなに待ったか知れへんえ……」
みちに続いて勇介も、みちと同じように明るい表情で言った。
「今日お前が帰らなんだら、いっそ京都へ電報うたんならん思うとったところや」
「電報って、何です?」
有里は二人を見た。
このところ、有里にしても中里家にしても不幸つづきで、二人がこんなに明るい表情をしていることが不思議だった。
「有里……ひょっとすると雄一郎はん、生きてはるかも知れんえ」
「えッ……」
有里は絶句した。
「須賀利へ復員したお人が、雄一郎はんに逢《お》うたとお言いやしてな……わざわざ知らせに来てくれはったんや」
「いつ……いつです、その話……」
「昨日や……まるで夢のような話やけど、確かに雄一郎はんに逢うたんやと……」
「したってお母さん、あの人の部隊は全滅したって、今迄《いままで》に何度も……」
「そやけどなあ、有里……」
勇介が身を乗り出すようにして、口をはさんだ。
「その人の話だと、ジャングルの中で道に迷って、他の部隊にそのまま合流していた者もかなりあったんやそうな……」
「どこで逢《あ》ったんです、うちの人と……?」
「シッタンいう所や」
「シッタン……」
「ビルマや、首都のラングーンに近い町やそうな、なんでも終戦になる少し前の昭和二十年の四月ごろやったんやと……」
「兄さん、それだったら……」
有里の表情に失望の色が浮んだ。
「うちの人の戦死の公報が来たのは終戦後ですよ……」
「それがなあ有里、その須賀利の古田はんの話では、終戦後も雄一郎はんの噂《うわさ》を聞いたいわはるんや」
「終戦後ですか?」
「古田はんが終戦後、マラリヤにかかってサイゴンの病院へ収容されたとき、そこに雄一郎はんらしい人がつい二、三日前まで居たという話を聞いたんやそうや……」
とにかく有里にとって、これは、闇《やみ》の中で突然明るい陽光に接したような気持だった。
有里はすぐその足で、須賀利へ出掛けて行った。