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旅路105

时间: 2019-12-30    进入日语论坛
核心提示:    30三日を有里は尾鷲で過した。もう一日、もう一日と引きとめるみちの頼みを、そう無下にふり切って立ち去るわけにも行か
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    30

三日を有里は尾鷲で過した。
もう一日、もう一日と引きとめるみちの頼みを、そう無下にふり切って立ち去るわけにも行かなかったのだ。
しかし、いよいよ明日は尾鷲を発つという日、有里は裏の山の竹林へ出掛けた。有里が、雄一郎とはじめて出逢《であ》った思い出の竹林であった。
竹の林の中は、二十二年前のあの時と同じように白く靄《もや》が流れていた。竹の葉のそよぎに、有里は眼をとめた。
あの日も、今日のように竹の葉がさやさやと鳴っていた。
竹の林の中に、人が居るとは夢にも気づかず、有里は落葉をふんで歩いていた。
ふと眼をあげた時、すぐそばに雄一郎が立っていたのだ。吃驚《びつくり》したような眼をして、有里が戸惑うくらい、真正面から彼は見詰めていた。その時の気持を、有里は懐しく思い起してみる。ひどくきまりが悪かったけれど、少しも嫌な気はしなかった。自分でも無意識のうちに頭を下げたが、彼もあわてて一礼した。
有里は、その男が姉の弘子の見合の相手だとはまるで知らなかった。歩きだした時、背中に彼の視線を痛いほど感じたので振り返ると、彼はやはりじっと有里を見送っていたのだった。
この竹林はその時と少しも変っていない。
変ったのは有里が年をとったことと、雄一郎が行方不明だということだけである。
不意に有里を、激しい慟哭《どうこく》がおそった。
竹にもたれ、有里は心の中でだけ泣いた。そのままじっと冷めたい竹の肌に頬《ほお》を押し当てていると、やがて心が和んだ。
眼を閉じていると、雄一郎の顔がいくつも浮んだ。どれも有里に向って笑いかけ、見詰め、呼びかけていた。
有里は思い出の中で、雄一郎の声を聴いていた。それは、自分の名を呼んでいる懐しい夫の声であった。うっとりと眼を閉じて、有里は思い出の中の夫の声に耳を傾けていた。
不思議なことにその声は、はるか遠くのほうから、次第次第に近づいてくるようだった。
「……有里……有里……」
有里は本当に自分の名が呼ばれたような気がして、そっと眼をひらいた。
竹の林の中に、有里は雄一郎の幻影を見た。
たとえ、まぼろしでもいい、夫の姿が見えたのだ。いつまでも消えないでほしい。
だが、まぼろしはぐんぐんこちらへ向って近づいて来た。
「有里……」
声まで鮮やかに聞えた。
「あなた……」
あなたと言っているうちに、有里はそれが夫のまぼろしでないことをはっきりとさとった。一瞬、有里は体中の血の流れが止まったかと思った。
「あなたッ……」
「有里ッ……」
まぼろしでも、幽霊でもなかった。
雄一郎は帰って来た。
四年の歳月が、彼をやつれさせてはいたが、眼は昔ながらの精悍《せいかん》さと輝きと人なつっこさを失っていなかった。
有里は夫の温い胸に顔をうずめて、夫の匂《にお》いをかいだ。それは片時も忘れたことのない雄一郎のにおいだった。
多分、雄一郎も有里と同じ感動にふるえていたに違いない。
生きていて良かった、生きていて良かった……そんな叫びが二人のまわりで、かげろうのように燃えていた。
「神戸へ上陸して、すぐ北海道へ行こうと思ったんだが、富良野《ふらの》は空襲を受けたと聞いたので、ひょっとすると尾鷲へ帰ってるんではないかと思ってな、無駄足になっても、どうせこちらのお母さんや兄さんたちに逢《あ》えるし、お前の消息もわかると考えて来たんだよ」
「したら、あなた、秀夫のこと、お母さんや兄さんから……」
「聞いたよ……」
「すみません……あなたの留守中に……」
「いや、もう何も言うな、お前だけの罪ではない、そういう時代だったんだ……お前はやるだけのことをしてくれた、感謝こそすれ、お前を責める気は少しもない……」
「あなた……」
「大丈夫だ、あいつは俺達の子だ、馬鹿《ばか》な真似はしやあしないさ、きっと帰ってくる……これからは二人であれを探そう……夫婦というものは、やっぱり別れて暮していては何もかも思うように事が運ばんものなんだ……」
雄一郎は一言も有里を責めなかった。
雄一郎は北海道へ帰る前に、有里と共に京都へ出た。京都には有里が世話になった御子柴家の人々をはじめ、関根重彦、南部斉五郎らが居る。その人たちに留守中の礼を述べるためだった。
「ついこのあいだ京都を発った時は、あなたと二人で京都へ行く日があるなんて……とても信じられない気がするわ……」
汽車の中で有里は眼をうるませていた。
「有里……」
「え、なんですか……?」
「いや……秀夫、ずいぶん大きくなっただろうなあ……」
一言も妻を責めなかった雄一郎だったが、その横顔はさすがに寂しそうだった。
「サイゴンの病院に入院していた時、よくあいつの夢を見た……」
「ごめんなさい、私の注意が足りなかったんです……」
「いや、そんなつもりで言ったんじゃない……しかし、馬鹿な奴《やつ》だ……」
吐き捨てるように言い、それきり秀夫のことに関しては、触れようとはしなかった。
御子柴セイは、有里が戻って来たので驚いたらしかったが、有里のうしろに雄一郎が立っているのを見ると、しばらくは口もきけないくらいだった。
「雄一郎はん……」
「はア……お蔭《かげ》で無事に戻ってまいりました、留守中、妻が大変お世話になりまして……」
「まあ、ようお戻りやしたなあ……ほんに、よう……」
よほど嬉《うれ》しかったのだろう、絶句したままぽろぽろ涙をこぼしていた。
阿矢子が気をきかして関根のところへ電話をしたらしく、彼もすぐ帰るからそのまま待っていてくれと言ったという。
雄一郎と有里は南部斉五郎に帰国の挨拶《あいさつ》をしてから、そのまま京都を出発する予定だったのを変更して、関根の帰りを待つことにした。
二人が部屋でくつろいでいると、思わぬ近い所で鐘がなった。このあたりには寺が多い。
「あなた、懐しいでしょう、日本の鐘よ……」
「ほう……」
しばらく耳をすませて聞き入っていたが、
「いい音色だ……歌を忘れたカナリヤではないが、こうして一つ一つ日本の音を思い出して行くんだなあ……」
と呟いた。
「すぐそこにあだし野の念仏寺もあるわ、行ってみましょうか……」
「ああ……」
あだし野とは嵯峨《さが》の念仏寺境内より二尊院に至る一帯の林野をいい、古くからの墓所であった。
徒然草《つれづれぐさ》の中に、化野《あだしの》の露消る時なく鳥部山《とりべやま》の烟《けむり》立ちさらでのみ住果る習なれば如何《いか》に物の哀もなからん。世は定めなきこそいみじけれ、とあり、昔はここに死骸《しがい》を捨て、鳥や獣の喰《く》い荒すにまかせたのだという。これを救済引導するため、数千体の石仏が今は整然と並べられている。毎年、三月と九月の彼岸の中日、八月二十四日地蔵盆、九月第二日曜日の虫供養の日には、これらの石仏の前に蝋燭《ろうそく》がともされ、無数の無縁仏にたいする供養がなされるのだった。
有里は去年の秋のお彼岸に、この西院の河原の千燈供養に合掌しながら、いつの日か、こうして夫の供養をしなければならないことを痛いほど感じたことのあったのを思い出した。
雄一郎は雄一郎で、
「生きているってことが不思議になるんだ、こうやって墓を見ていると……」
南方での苦しい生活を思いだすのか、黙然と石仏の間に立ちつくしていた。
たしかに、静かに暮れかかるあだし野には、なにか人生の無常を感じさせるものがひっそりと漂っていた。
そのとき有里は、こちらへ駆けて来る人の足音を聞いた。有里がふり返るのと一緒に、雄一郎も眼をあげた。すっかり年をとり、髪の白さが目立つようになった南部斉五郎だった。
「親父《おやじ》さんッ……」
雄一郎が声をあげた。
「雄一郎……」
二人は駆け寄って、しっかりと抱き合った。
「よく帰って来た……よく帰って来た……」
斉五郎は洋服の袖《そで》で、しきりに眼をこすった。しかし、あまり涙がとまらないのに照れたのか、他に適当な言葉がなかったのか、
「生きていやがったな、この大飯喰《おおめしぐらい》ッ」
昔と少しも変らぬ声で怒鳴った。
彼は関根から連絡を受けると、矢も楯《たて》もたまらず、雄一郎に一目|逢《あ》おうととんできたのだった。彼の表情には、自分の息子の生還を迎える喜びにあふれていた。
あだし野の空を、いつのまにか温い日本の色をした夕焼雲が染めていた。
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