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春、雄一郎夫婦は神居古潭《かむいこたん》駅へ転勤を命ぜられた。
ただし、今度は助役としてでなく、駅長としての栄転だった。
神居古潭はアイヌ語で神の居る所の意味だという。函館《はこだて》本線の深川《ふかがわ》、旭川《あさひかわ》間、納内《おさむない》駅と伊納《いのう》駅に挟まれた小さな駅であったが、雄一郎と有里にとっては、駅長就任の記念すべき駅であった。
駅の付近は、如何《いか》にも北海道らしい大自然があった。
神居古潭の名にふさわしく、奇岩絶壁の峡谷を石狩《いしかり》川の激流が泡立ち渦巻く景勝の地だった。
初出勤の朝、室伏家では赤飯をたいて晴れの門出を祝った。
「これで、秀夫さえ居てくれたら申し分ないんですけどね……」
つい口をすべらせて有里ははっとした。
「ごめんなさい、また余計なことを言ってしまって……」
「いいさ……したら、行ってくる」
すくなくとも表面は明るい微笑で機嫌よく、雄一郎は出掛けて行った。
駅長としての第一声に彼は、長年、念願していたことを述べた。
「わたしが室伏雄一郎です。今度、縁あって、この神居古潭の駅長を拝命しました。なにしろ、駅長になったのはこれが初めてのことで、いろいろと足りない点も多いと思いますが、皆さんと一緒に努力して任務を全とうしたいと願っています、どうか、よろしくお願いします。それから、今日は一つ、提案があるのです……まあ、提案といってもお願いなんですが、改札をする時……切符を切る、もしくは受取る際にお客さんに会釈をしてもらいたいのです。鉄道は、お客あっての鉄道だと、かねがね私は考えています。鉄道を利用してくれるお客様へ、そういう形で感謝の気持をあらわしたいのです……」
「駅長、お言葉ですが……」
板倉という若い駅員が発言した。
「その考えは、少々古くさいんではないですか……第一、我々は毎日乗降客に頭なんぞ下げていたら、疲労してかなわんです。能率も上りません、そったらことをしても無駄ではないでしょうか」
「いや、理屈はいろいろあるでしょう……しかし、このことは、自分が駅長になったらどうしても実行してみたいと念願しとったことなんです。とにかく、たとえ一か月でもいい、やってみてくれませんか……」
人に言うばかりでなく、雄一郎は自分でも率先して、今までこうしたい、ああしたいと思っていたことを実行に移して行った。
折角念願の駅長になれたのだから、やらなければ損だという気持だった。
駅長就任の翌日から、雄一郎は少し早目に出勤して、駅の待合室だのベンチだのを糠袋《ぬかぶくろ》で磨きだした。
助役連中はあっけにとられ、駅に働くすべての人々が茫然《ぼうぜん》と新米駅長のやりかたを見詰めたが、彼は一向に平気だった。
下山《しもやま》事件、三鷹《みたか》事件など鉄道史に不穏なニュースを残した昭和二十四年が暮れる頃《ころ》、北海道の片隅の小さな神居古潭の駅では、雄一郎の努力が少しずつ、ほんの少しずつだったが、実を結びはじめていた。
毎日の改札で、駅員が照れくさそうに行なっていたお客への会釈は、いつの間にか、お客と改札掛同志の挨拶《あいさつ》になっていた。
まだ殺伐とした世の中だったが、此処では多くの人々が笑顔で改札を通るようになった。
「ご苦労さん」
「お疲れさま……」
「今朝は、しばれるねえ……」
そんな会話が、名も知らず、所も知らない客と改札掛の間で自然に交わされるようになって来ていた。
無論、そんな雄一郎の駅長ぶりを白い眼で見詰めている同僚がないわけではなかった。相変らず駅の清掃に心がけ、まっ先に立って便所掃除までやってのける雄一郎を、腹の中で軽蔑《けいべつ》し、蔭《かげ》へまわっては、
「新米駅長が得意がって……」
と、せせら笑う声が耳にはいって来ないでもない。
しかし、雄一郎はそれらのものを全く意に介さなかった。我は我が道を行く、の気構えが雄一郎の全身に溢《あふ》れていた。
翌、昭和二十五年二月の末に、小樽の岡本家には第十番目の子供が生れた。
男の子であった。
先ごろ嫁に行った雪子が昭和四年生れだから、なんと二十一歳も年のはなれた弟というわけである。
四十近くなってのお産は重いと言われ、心配していたが、今度も極めて安産であった。
しかし、いざ名前をつける段になって、いささか夫婦の間がもめた。
良平が今度の子の名前を終平とつけようとしたからである。
「終平……嫌だよ、そったらおかしな名前……」
「したけどよ、お前、もうこの辺で終りにせんとみっともねえでよ……もしかして、雪子のとこにでも出来てみろ、母子《おやこ》でいっしょに赤ん坊を産んだなんて、まあ、世間様にたいしてもこっぱずかしかんべえ……」
「なにも、あたしのせいでないよ、あんたが悪いんでないの」
「悪いとか、いいとかいうもんではねえけどよ、とにかく、この子で終りにしなきゃ……」
「だからって、なにも、この子の名前、終列車の終の字の終平にすることないでないの、あたしは嫌だよ」
「嫌ったって、お前、なんかいい名前があるのか」
「保《たもつ》ってのどうかね、一字の名前っていいでないの、家の子にも一人くらいはハイカラな名前つけてやりたいもんね」
「それじゃ、なにか……今まで俺《おれ》のつけた名前は、みんなハイカラでねえってのか」
「そったらこともないけどよ……保にしようよ、岡本保……なんだか偉くなりそうな名前でないの……だいたいあんたの名前のつけかたは安直だよ、辨慶の辨に、西郷吉之助の吉で辨吉って調子だもんね、女の子にしたって、雪子に月子に華子……雪月花でないの」
「そうでねえよ、華子の華は、咲く花の花でねえ、ありゃあ俺の出征記念で、華北交通の華っていう字だで……」
「十人もある子の九人まではあんたがつけたでよ、十人目くらいは、あたしの好きな名前つけさしてくれたっていいでないの」
「そんなに保って名、好きか?」
「いい名でないの……」
「おかしいぞ、お前、それ、初恋の男かなんかの名前でねえのか」
「はんかくさ……」
幾つになっても亭主は女房のことを嫉《や》き、女房は亭主のことを嫉いているのが、この二人の良いところかもしれなかった。
結局名前は保ときまった。
雪子、辨吉、良太、月子、清三、清子、謙吉、華子、邦夫、保……と、良平、千枝の夫婦は、ただの一人も病気や事故で失うことなく、実に六男四女の子宝に恵まれたわけで、子供の無いはる子のところや、雄一郎たちからいつもうらやましがられた。