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旅路116

时间: 2019-12-30    进入日语论坛
核心提示:    40秀夫は焼津《やいづ》の海員養成所へはいった。たった一週間しか勉強する時間がなかったが、奈津子の気持にむくいたい
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    40

秀夫は焼津《やいづ》の海員養成所へはいった。
たった一週間しか勉強する時間がなかったが、奈津子の気持にむくいたいという彼の意志が、とにかく不可能を可能にした。
しかし、秀夫を養成所へ送り出したあとの奈津子の生活は、覚悟をしてはいたものの、まさに殺人的なものに一変した。
か弱い女手一つでは、自分一人の生活を支えるのがやっとなのに、秀夫の学費から生活費のすべてを背負ったのである。
無論、おでん屋だけでやって行けるわけもなく、奈津子は知り合いからミシンの内職をもらって来て、昼も夜も働き抜いた。
自分の食費を節約し、衣類は古いものをほどいて縫い直し、若い身空でろくな化粧もしなかった。
そして、自分には苛酷《かこく》なまでの倹約を強いているくせに、秀夫のためには金を惜しまなかった。季節ごとの衣服から下着まで、いつも真新しい小ざっぱりしたものを用意しては送り届けた。
食べるものも食べず、寝る間も惜しんで働き続けながら、奈津子はそれが少しも辛くなかった。
ミシン踏みに疲れ果てると、奈津子は懐しい北海道の有里や雄一郎の顔を思い浮べた。
「待ってて下さいね、もうすぐ、秀夫ちゃんを立派な船員さんにして、お父さんとお母さんのところへ帰しますからね……」
そう呟《つぶや》くと、奈津子の小さな体から、泉のように力が湧《わ》いた。空腹感も睡気《ねむけ》も忘れた。
一日の大半をミシン踏みに費したあげく、夕方からはおでんの屋台で働き、十二時近くにアパートへ戻ってくると、又、ミシンの前へ坐《すわ》るのである。
しかし、一週間を働きつづけた奈津子にとって、日曜日はもっとも仕合せな楽しい日であった。
秀夫がアパートへやってくる日だったのだ。
奈津子は朝早くから部屋を掃除し、花を飾り、秀夫の好物を買って来て料理の仕度をする。そんな時の奈津子は新妻のように、いきいきとして見えた。
半年はまたたく間に過ぎた。
十月になって間もない、ある日曜日、秀夫がいつものように奈津子の部屋をノックしたが返事がなかった。
管理人とはすでに顔《かお》馴染《なじみ》なので、頼んで部屋の鍵《かぎ》を開けてもらい、しばらくぼんやりしていると、今、下へおりて行ったばかりの管理人が血相変えてとび込んで来た。
「た、たいへんだ、瀬木さんが車にはねられた……」
「え、なんだって……」
「桜木町《さくらぎちよう》の山本外科だそうだ、すぐ行ってやっておくれ」
秀夫は転がるように階段を駆けおりると、タクシーで病院へ駆けつけた。
幸い奈津子の怪我《けが》は思ったより軽かった。
昨夜、徹夜で仕立上げた品物を届けに行って、細い通りでちょっと石につまずいてよろけたところを、うしろから来た車に引っかけられたのだそうだ。転んだ拍子に右手を打って、骨に少しひびが入っただけだという。
しかし、ひき逃げのため、相手に治療費を請求することが出来ず、奈津子も仕事が出来ないため、忽《たちま》ち、病院の支払いに窮する始末だった。
迂闊《うかつ》な話だが、秀夫ははじめて、奈津子がどんなに今迄《いままで》苦労して金を送ってくれていたのかを知った。
秀夫は養成所をやめた。
親しくしているりんたく屋の親父《おやじ》に頼んで、南京町の中華料理屋の皿洗いに雇ってもらった。
「ごめんなさい、あたしさえこんなことにならなかったら、来年の春は学校を卒業して……」
奈津子は秀夫が養成所をやめたことを口惜《くや》しがって、涙をこぼした。
「よせよ、奈っちゃん……このあいだも言ったろう……俺は奈っちゃんにめぐり逢《あ》って、はじめて生きて行くことの目標を掴《つか》んだんだ……それだけでいいんだ、チャンスはいまにきっと来る、その日まで、助け合って生きて行こうよ……」
秀夫は奈津子をはげました。
奈津子が交通事故にあったことも、その奈津子に秀夫がつきそっていることも、雄一郎と有里は知らなかった。
そして、翌年の春、雄一郎夫婦は塩谷へ転勤した。
塩谷は雄一郎にとって、鉄道員の第一歩を踏み出した記念すべき駅であった。山間の小さな駅は、三十年のむかしと殆《ほとん》ど変っていなかった。
少年雄一郎が機関車に憧《あこが》れて、毎日通った駅の待合室の手すりも古びたまま、新駅長を迎えていた。
雄一郎の塩谷駅長就任と前後して、関根重彦の札鉄局長就任の知らせがはいった。
塩谷の駅長官舎は、むかし南部斉五郎夫婦が住んでいた家に、少々手入れをした程度のものだった。
誰《だれ》が言い出したともなく、一夜、この家に南部斉五郎と三千代、関根重彦、それに近くに住む岡本夫婦も参加して、内輪だけの祝宴をひらいた。
三十年前、南部斉五郎が此処《ここ》に播《ま》いた種は、芽を出し葉を繁らせて、今、立派に花咲いたのである。
南部斉五郎は今では帝国運輸を勇退し、三千代と共に、小樽《おたる》で駅弁の会社を経営していた。すでに七十の坂を越えたというのに、かくしゃくとして働いていた。
又、雄一郎を見る三千代の眼にはなんのこだわりもなかった。歳月がなにもかも洗い流してくれたのだった。
もう一人の南部学校の卒業生、伊東栄吉は、鉄道の現場長としては最高の東京駅長になっていた。
彼にまつわるエピソードとして有名なのは、彼が東京駅長に就任して間もなく、天皇陛下をお召列車に御先導申し上げた日のことである。この日はまた、妻のはる子が十二指腸|潰瘍《かいよう》で手術を受ける日でもあった。前の晩、伊東はせめて妻のそばにつき添って夜を明かそうとしたが、はる子はそれを許さなかった。明日の御先導にさしさわりがあってはならないと考えたからである。
翌朝、伊東は水を浴びて身をきよめ、駅長室からホームへ、ホームから列車へ、陛下をつつがなく御先導申し上げて、彼は定めの位置に立った。
発車時刻まで、あと三十秒、お召列車は駅長が手を挙げる合図によって発車する定めであった。ホームに並んだ助役以下、駅員たちの眼が緊張して、駅長の動作を待っていた。伊東は片手の時計の秒針を見詰めていた。お召列車の発車時刻に一秒の狂いがあってはならない。
その時であった。お召列車を挟んで反対側のホームに集っていた群集の中から、突然君が代の声が湧《わ》いた。
一人の声は二人になり三人になり、あっという間に期せずして大合唱となった。
東京にまだ焼トタンのバラックの目立った時代であった。ごく一部の人々をのぞいては、日本人の大部分が貧しさに耐え、生活の重荷を背負って生きている時代でもあった。
にも関らず、この日、東京駅のホームを埋め尽し、お召列車を囲んだ人々の中から湧き上った君が代には、日本人の祈りと、誇りと、同邦愛の感動があったのだ。
伊東栄吉にとっては、終戦後、はじめて耳にした感動的な君が代の斉唱だった。
ふと気がつくと、お召列車の中で、国歌へむけて御起立あそばす陛下の御姿があった。
日本人、滅びず……、国敗れたりといえど、日本人いまだ滅びず……。
伊東の胸に熱くこみ上げるものがあった。この時、彼の時計の秒針は、まさに発車の定刻をしめしていた。発車の合図の手を挙げるべき瞬間であった。
だが、君が代は終っていなかった。殆《ほとん》どの人が泣いていた。泣きながら歌う君が代の合唱はお召列車を包み、ホームを圧した。
助役の眼があわただしく駅長を見た。発車の時刻はしずかにすぎて行く。
伊東は立っていた。彼の両手は左右に下げられたままだった。東京駅のホームを圧している日本人のこの感動を、途中でうち切ることは出来ないと彼は思った。
東京駅長として、お召列車を遅らすことは前代未聞の失態であるかもしれなかった。もし、このことを後日|譴責《けんせき》されて、駅長を辞任するとしても、彼は悔いないと思った。
東京駅長として、彼が今、出来ることは、君が代が終るまで列車を発車させぬことであった。
東京駅を圧した君が代は、やがてしずかに余韻をひいて消えた。
陛下も着席された。
はじめて伊東栄吉の手が高々と挙った。
この話を、南部斉五郎は塩谷の駅長官舎で、関根重彦からはじめて聞いた。
「やりやがったな、あの大飯ぐい」
斉五郎は思わず膝《ひざ》を叩《たた》いた。
「すべて世の恩だ、ありがたいことだ……生きているってことは有難いな、こんな仕合せな気分が終戦後の日本にあったことを聞いただけでも嬉《うれ》しい……」
余程嬉しかったらしく、声をつまらせた。
その晩は、斉五郎と三千代は駅長官舎に泊ることになり、関根だけが雄一郎に送られて駅へ行った。
塩谷駅のホームに立つと、
「思い出すなあ、ここにこうして居ると……」
しみじみと言った。
「はあ……?」
「むこうから上りの列車が走ってくる……こっちからは下り急行だ……」
雄一郎ははっとした。
関根は彼がこの駅の助役時代に起した昔の未遂事故のことを言っているのだ。
「俺《おれ》の生涯に只《ただ》一度の大失態だった……あの時、君が信号の間違いに気がついてくれなかったら、どんな犠牲が出ていたことか……事故は君の気転でどうにか防げたが、その結果、親父さんは俺のために鉄道を去った……」
「関根さん、そったらこといって……今更……」
「言いたかったんだよ、今夜は……長い鉄道生活の間、俺はあの時の重荷を背負いつづけて来た……」
「しかし、あのことは、あの時、内輪で解決がついたではないですか」
「解決がつかなかったのが、俺の心さ……俺はあの時以来決心した……好んで遠回りの道を歩こう、断じて出世街道を要領よく歩くなどという真似はすまい……たとえ遅くとも、我が心にかなう道を、一足一足踏みしめて進むことこそ、俺の罪の償いだと考えた……」
「罪の償い……」
「俺はこの年になって、漸《ようや》く札鉄局長にたどりついた。人はどう思っているか知らん、だが、俺は真実嬉しかった。札鉄局長に任ぜられたことを、俺はどんなに喜んだか……君にならこの気持が分ってもらえると思ったんだ……」
関根がじっと雄一郎を見た。雄一郎は黙って頷《うなず》きかえした。
汽車が来たらしく、山の向うで汽笛が鳴った。
「君は停年まで、あと何年だ?」
「ちょうど十年ですね」
「十年か……」
関根が星を見上げた。
「いよいよ最後の一働きだ……頑張ろうな……」
「もちろん、そのつもりです」
「うん……」
二人は顔を見合せて微笑した。
それぞれ働く場所は違っても、現在の鉄道をしょって立つ男の自信と友情が、二人の眼の奥できらりと光った。
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