やまうど
暦の春に先がけ、雪の下では、うど、かんぞう、ふきのとうなどが春の準備に大わらわ。
雪間より薄紫の芽独活哉 芭蕉
新芽どきのやまうどは、芭蕉の句のように可憐な姿をしていますが、ときが経つにつれ、「うどの大木」といわれるように、茎はたくましく伸び、二メートル以上の高さに達し、見るからに男性的な姿に変貌してしまいます。こうなっては、もとより食用になるどころか、全く無用の長物となってしまいます。そう思っていたら、友人が「これを読め」と、宇都宮貞子さんの『草木覚書』という本を持って来てくれました。その本の一節に�大和本草でシカカクレユリというのを何だろうと思った(中略)。鹿隠れは鹿が隠れられるほど大きい藪ということか、または鹿木と同じく、鹿を射つ人が身を隠せる意か。「なをつまば、さはにねぜりや、みねにいたどり、しかのたちかくれ」(閑吟集)この鹿の立ち隠れはウバユリではなく、鹿隠れとも、ただ鹿ともいって、九州一円でウド、またはシシウドをさすと山村語彙にあるものだろう。ウドもたけると大きくなるからだろうか�とあって、ウドの大木は、どうしてどうして、無用の長物とばかりはいえない隠れた効用があるようです。
皮を剥《む》き、灰汁に四、五時間ひたしてから、きれいに洗い、酢を二、三滴落した水に浸《つ》け、生のまま、あえものにしたり、汁の実、煮ものなどにして、かおり高い風味を喜びます。為笑の句の「赤椀の独活に飽きたる木曾の旅」のうどは、汁の実だったのでしょうか。太祇の「山独活に木賃の飯や忘られぬ」のうどは、酢みそあえだったかしらん、それとも香り高い風味を生かした塩漬けだったかしらん……。
雪間より薄紫の芽独活哉 芭蕉
新芽どきのやまうどは、芭蕉の句のように可憐な姿をしていますが、ときが経つにつれ、「うどの大木」といわれるように、茎はたくましく伸び、二メートル以上の高さに達し、見るからに男性的な姿に変貌してしまいます。こうなっては、もとより食用になるどころか、全く無用の長物となってしまいます。そう思っていたら、友人が「これを読め」と、宇都宮貞子さんの『草木覚書』という本を持って来てくれました。その本の一節に�大和本草でシカカクレユリというのを何だろうと思った(中略)。鹿隠れは鹿が隠れられるほど大きい藪ということか、または鹿木と同じく、鹿を射つ人が身を隠せる意か。「なをつまば、さはにねぜりや、みねにいたどり、しかのたちかくれ」(閑吟集)この鹿の立ち隠れはウバユリではなく、鹿隠れとも、ただ鹿ともいって、九州一円でウド、またはシシウドをさすと山村語彙にあるものだろう。ウドもたけると大きくなるからだろうか�とあって、ウドの大木は、どうしてどうして、無用の長物とばかりはいえない隠れた効用があるようです。
皮を剥《む》き、灰汁に四、五時間ひたしてから、きれいに洗い、酢を二、三滴落した水に浸《つ》け、生のまま、あえものにしたり、汁の実、煮ものなどにして、かおり高い風味を喜びます。為笑の句の「赤椀の独活に飽きたる木曾の旅」のうどは、汁の実だったのでしょうか。太祇の「山独活に木賃の飯や忘られぬ」のうどは、酢みそあえだったかしらん、それとも香り高い風味を生かした塩漬けだったかしらん……。