「私はそら豆が好きだ。大きなはちにいっぱいに盛らせて、縁側まで運んできたテレビをこちらからながめ、左手でそら豆を口にほうりこんでは、ビールのコップを一息であける。男に生まれてよかったと思うのはこんな時だ」(遠藤周作)狐狸庵先生のいうとおり、ビールのつまみに、そら豆は欠かせぬ季節の|であいもの《ヽヽヽヽヽ》。ゆでたてのそら豆に、パラッと荒塩を振り、|ぬくもり《ヽヽヽヽ》のあるうちにつまみにすると、身内の汗もいっぺんに引っ込む。
そら豆は、日本の各地で栽培され、根っから日本に生えていたように思われていますが、そのふるさとは、アジアもぐっと西寄りのカスピ海南部、それに北部アラビアだといわれます。漢の時代に、張騫《ちようけん》が西域に使いして、中国にもたらしたもので、中国本土は素通りし、すぐに中央アジアから中国北辺に入り、朝鮮を経て、日本に渡ってきた——と、古書には記されています。
そら豆の名の起りは、この豆の皮の色が、ちょうど五、六月の空を見るようだからといい、また、そのサヤが空に向かうからだともいいます。「蚕豆」と書いて、ソラマメと読ませるのは、カイコが巣を営むのと同じ頃、この豆も熟するからといわれます。最近は、殆ど一年中出回っています。露地ものは、早いもので、四月末頃、八百屋の店先にお目見えします。『倭漢三才図会《わかんさんさいずえ》』には、そら豆を「子孫繁昌草」と記していますが、他の豆類と同様、たんぱく質に富み、ビタミンB1、B2、Cなども多く、これをスタミナ源として活力を養い、子孫繁昌の基《もとい》を作るのも、まことに天意にかなったことといえましょう。一寸そら豆、お多福、長さやなどの種類があり、甘みの豊富なのは、一寸そら豆です。
そら豆は、日本の各地で栽培され、根っから日本に生えていたように思われていますが、そのふるさとは、アジアもぐっと西寄りのカスピ海南部、それに北部アラビアだといわれます。漢の時代に、張騫《ちようけん》が西域に使いして、中国にもたらしたもので、中国本土は素通りし、すぐに中央アジアから中国北辺に入り、朝鮮を経て、日本に渡ってきた——と、古書には記されています。
そら豆の名の起りは、この豆の皮の色が、ちょうど五、六月の空を見るようだからといい、また、そのサヤが空に向かうからだともいいます。「蚕豆」と書いて、ソラマメと読ませるのは、カイコが巣を営むのと同じ頃、この豆も熟するからといわれます。最近は、殆ど一年中出回っています。露地ものは、早いもので、四月末頃、八百屋の店先にお目見えします。『倭漢三才図会《わかんさんさいずえ》』には、そら豆を「子孫繁昌草」と記していますが、他の豆類と同様、たんぱく質に富み、ビタミンB1、B2、Cなども多く、これをスタミナ源として活力を養い、子孫繁昌の基《もとい》を作るのも、まことに天意にかなったことといえましょう。一寸そら豆、お多福、長さやなどの種類があり、甘みの豊富なのは、一寸そら豆です。