焼物に組合《あわせ》たる富田《トンダ》《えび》 桃隣
『芭蕉七部集』の「炭俵」の中に出てくる句ですが、露伴先生のこの句の評釈に、
�はえびなり。摂津国三島郡富田の川蝦、むかしは賞美したりと見ゆ。或は曰ふ、伊勢国三重郡の海辺富田の海蝦なりと。海老は遠くに送るべく、伊勢蝦また世の賞するところなれば、それかとも思はる。但し焼物に組合せたるとあれば、伊勢蝦も焼かぬにはあらねど、川蝦の方似合はし、富田の玉川の蝦といへど、おもふに淀川の蝦を当時富田蝦と云ひしにやあらん、富田は淀川近き大邑なりしなり。京の人川蝦を賞す、腥気少く、味も淡雅なれば、茶事の料理などにも、却つて川蝦を用ひること多し。されど饌書に富田見及ばず、賞翫のものより却つて余り香ばしからぬ品ならん�
この富田は先生も触れておられるように、淡水産のエビで、おそらく手長エビだったと思われます。この同族には、ふつう手長エビのほかに、ヤマトテナガエビ、ミナミテナガエビとよく似た種類がいます。専門家によると、この三種は同じ川でも、どうしたわけか棲み場所をちがえているそうです。ヤマトは水流が早くて底に小石のあるような川の中流に、手長はもう少し流れのゆるやかな底が砂や泥で出来ている場所に、ミナミは川口に近い水の静かな深みの岩かげにそれぞれ別れて棲んでいます。
手長エビは、メスは八センチ、オスは九センチほどにもなり、一年生とも二年生ともいわれ、あんがい移動性が少なく、いつも水底におります。霞ヶ浦辺では、ワカサギ、マハゼに次ぎ、たくさん獲れ、獲れる場所によって、からだの大きさがちがうそうです。鬼殻焼きにしたり、佃煮や煮つけにすると、海水産のエビとは、またちがった風味が楽しめます。
『芭蕉七部集』の「炭俵」の中に出てくる句ですが、露伴先生のこの句の評釈に、
�はえびなり。摂津国三島郡富田の川蝦、むかしは賞美したりと見ゆ。或は曰ふ、伊勢国三重郡の海辺富田の海蝦なりと。海老は遠くに送るべく、伊勢蝦また世の賞するところなれば、それかとも思はる。但し焼物に組合せたるとあれば、伊勢蝦も焼かぬにはあらねど、川蝦の方似合はし、富田の玉川の蝦といへど、おもふに淀川の蝦を当時富田蝦と云ひしにやあらん、富田は淀川近き大邑なりしなり。京の人川蝦を賞す、腥気少く、味も淡雅なれば、茶事の料理などにも、却つて川蝦を用ひること多し。されど饌書に富田見及ばず、賞翫のものより却つて余り香ばしからぬ品ならん�
この富田は先生も触れておられるように、淡水産のエビで、おそらく手長エビだったと思われます。この同族には、ふつう手長エビのほかに、ヤマトテナガエビ、ミナミテナガエビとよく似た種類がいます。専門家によると、この三種は同じ川でも、どうしたわけか棲み場所をちがえているそうです。ヤマトは水流が早くて底に小石のあるような川の中流に、手長はもう少し流れのゆるやかな底が砂や泥で出来ている場所に、ミナミは川口に近い水の静かな深みの岩かげにそれぞれ別れて棲んでいます。
手長エビは、メスは八センチ、オスは九センチほどにもなり、一年生とも二年生ともいわれ、あんがい移動性が少なく、いつも水底におります。霞ヶ浦辺では、ワカサギ、マハゼに次ぎ、たくさん獲れ、獲れる場所によって、からだの大きさがちがうそうです。鬼殻焼きにしたり、佃煮や煮つけにすると、海水産のエビとは、またちがった風味が楽しめます。