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たべもの歳時記199

时间: 2020-01-11    进入日语论坛
核心提示:紀州みかん 暮れも押しつまってくると、八百屋さんの店先に、化粧箱入りのみかんが山と積まれ、正月の間近いことを知らせます。
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紀州みかん
 暮れも押しつまってくると、八百屋さんの店先に、化粧箱入りのみかんが山と積まれ、正月の間近いことを知らせます。
蜜柑積んで年の瀬ちかき小店かな 三幹竹
みかん類には、温州みかん、紀州みかん、柑子、ぽんかん、|たちばな《ヽヽヽヽ》などがありますが、中でも紀州みかんは、一名小みかん、本みかんとも呼ばれ、有名な有吉佐和子さんの小説『有田川』は、ヒロイン、千代が小みかんと温州みかんのちがいを、老男衆の�茂太ん�と話し合うところから始まっています。千代が、温州のほうがタネがなくて食べやすい、というと、茂太んは、タネがあるのは�ほんもの�(本物)の証拠だ、だから別名、本みかんともいうのだ、と小みかんの「正統」を主張しています。
たしかに、七百年ほど前に、中国南部より渡来して以来、紀州の小みかんは、明治の中頃まで、日本の柑橘類《かんきつるい》の本流でした。歴史上、とくに、紀州みかんの名を広めるのに功績のあった人物は、ご存知紀国屋文左衛門です。貞享二年(一六八五年)、のちに豪商紀文大尽の名をほしいままにした別所文平(当時十七歳)が、荒天を冒して、みかんを満載した幽霊丸を江戸に回送、折柄、フイゴ祭りに使うみかんにも事欠いていた江戸市民を喜ばせ、紀州みかんの名は、文左衛門の侠気とともに、江戸市中にパッと知れ渡りました。一説によると、文左衛門が江戸に回送した小みかんは、加茂谷《かもだに》産(現、海草郡下津町)だったといわれます。
丸いもの、扁平なものと、形はまちまちですが、いずれも小柄で、種子が多いのが難。種子なしの温州に追い抜かれたのもこの種子が主因でしょうが、甘味は強烈で、そのさわやかなかおりとともに、一度口にしたら忘れられない|みかん《ヽヽヽ》です。
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