だ い だ い
入江相政氏の最新の随筆集『行きゆきて』を読むと「文化勲章がタチバナの花によって図案化された」由来が、次のように記されています。
�昭和十一年に文化勲章が制定されることになり、その意匠が練られつつあった時、広田内閣から出されたのはサクラの図案。サクラは国花だからとのこと。陛下は、それはそれにちがいないが、サクラはあまりにもはかなく散っていく。文化現象には永劫性が無ければならない。田道間守《たじまもり》は常世の国から「時じくのかぐの木の実」をもたらした。常世の国に永劫の力を認めて、タチバナをもとにして図案を練ってはどうかとおっしゃった�
こうして、文化勲章は、タチバナの花によって図案化されるわけですが、陛下のお示しになられた田道間守の故事は『古事記』垂仁天皇の項に記され、「時じくのかぐの木の実は、これ今の橘なり」と見えています。しかし、ほんとうの正体は何か、今もって定説はありません。田中長三郎博士は「たちばなは日本原生種であるところから、|だいだい《ヽヽヽヽ》だ」と主張され、牧野富太郎博士は「食用となる柑橘《かんきつ》すなわち小みかんである」と主張されています。
だいだいは熟しても採取せずに、そのまま木に残すと再び青くなり、十一月頃からまた橙色となります。そんなことから、その家が子孫|代々《だいだい》相伝えてつづき、絶えることのないように、縁起ものとして、古くから用いられてきました。果肉は酸味がきつく、もっぱらその絞り汁を酢の代りに「ぽん酢」として用います。ゆずよりも汁が多く、かおりも高く、水たきやちりなべに、欠かすことはできません。むかし、ぽん酢に砂糖をまぜ、熱湯を注いだものを、カゼ薬として、よく母に飲まされたものです。これが不思議と利きめがありました。
�昭和十一年に文化勲章が制定されることになり、その意匠が練られつつあった時、広田内閣から出されたのはサクラの図案。サクラは国花だからとのこと。陛下は、それはそれにちがいないが、サクラはあまりにもはかなく散っていく。文化現象には永劫性が無ければならない。田道間守《たじまもり》は常世の国から「時じくのかぐの木の実」をもたらした。常世の国に永劫の力を認めて、タチバナをもとにして図案を練ってはどうかとおっしゃった�
こうして、文化勲章は、タチバナの花によって図案化されるわけですが、陛下のお示しになられた田道間守の故事は『古事記』垂仁天皇の項に記され、「時じくのかぐの木の実は、これ今の橘なり」と見えています。しかし、ほんとうの正体は何か、今もって定説はありません。田中長三郎博士は「たちばなは日本原生種であるところから、|だいだい《ヽヽヽヽ》だ」と主張され、牧野富太郎博士は「食用となる柑橘《かんきつ》すなわち小みかんである」と主張されています。
だいだいは熟しても採取せずに、そのまま木に残すと再び青くなり、十一月頃からまた橙色となります。そんなことから、その家が子孫|代々《だいだい》相伝えてつづき、絶えることのないように、縁起ものとして、古くから用いられてきました。果肉は酸味がきつく、もっぱらその絞り汁を酢の代りに「ぽん酢」として用います。ゆずよりも汁が多く、かおりも高く、水たきやちりなべに、欠かすことはできません。むかし、ぽん酢に砂糖をまぜ、熱湯を注いだものを、カゼ薬として、よく母に飲まされたものです。これが不思議と利きめがありました。