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食物ことわざ事典40

时间: 2020-01-11    进入日语论坛
核心提示:下司の高上がりは咽喉が渇く 昔のムラ社会では、なにかにつけて、お互いの身分、立ち場での釣り合いのとれていることが大切にさ
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 下司の高上がりは咽喉が渇く
 昔のムラ社会では、なにかにつけて、お互いの身分、立ち場での釣り合いのとれていることが大切にされました。
「下司の高上がりは咽喉が渇く」
ということわざなどは、正にそうした消息を伝えるもので、下司というのは、元「げし」と呼び、中世における荘園経営の現地機関のことです。領主の荘務処理機関である公文《くもん》または公文所《くもんじよ》を上司《じようし》、現地支配機関の預所《あずかりどころ》を中司《ちゆうし》と言うのに対し、下位の荘司全体を指し、単独の荘官《しようかん》を指す場合もあり、所有地を領主に寄進して荘官となり、下司職を確保した荘民でもありました。下司とは分りやすく言えば、当時の下級官吏のことです。近世に入ると、身分の卑しい官吏を指すようになり、読み方も「げす」と言うようになりました。
その下司が酒宴に招かれて、上席をすすめられると、たいてい「下司の高上がりは……」と言って、断《こと》わる口実に使いました。ホンネを申せば、末席の方に控えているほうが、比較的目立たず、酒のお代りは申すに及ばず、飯や汁のお代りも気兼ねせずにでき、食べられるだけ食べることができるからです。これが上席ともなると、多くの人の眼に晒《さら》され、できるだけ飲み食いを慎まなければなりません。下司にとっては、なにかと不都合なのです。「馬鹿《ばか》の大食《おおぐ》い」古くは「下司《げす》の大食《おおぐ》い」とも言って、よく働く者は、食欲も人一倍盛んです。たらふく食べることのできるのは、末席のほうだし、末席は、あまり礼儀だの作法だのは問題にはなりません。
「下司の高上がりは咽喉が渇く」は、言わば名よりも実といったおもむきで、もし他のことわざで代用するとなれば、「花《はな》より団子《だんご》」「案《あん》じるより団子汁《だんごじる》」「義理張《ぎりは》るよりは頬張《ほおば》れ」「男伊達《おとこだて》より小鍋立《こなべだ》て」というところに落ち着きそうで、一般庶民は、どうやら下司の味方だったようです。
ところが武家の世界ともなれば、タテマエが先行し、そう簡単に「見栄張《みえは》るよりは頬張《ほおば》れ」というわけにもいかず、ムリしてでも「渇《かつ》しても盗泉《とうせん》の水《みず》を飲《の》まず」「武士《ぶし》は食《く》わねど高楊枝《たかようじ》」と、ヤセガマンしなければなりませんでした。武家社会と民衆社会には、きびしい一線が引かれていたのです。「据《す》え膳食《ぜんく》わぬは男《おとこ》の恥《はじ》」(女のほうから積極的に誘ってくるのに、それに応じないのは男ではない)という論理も、どうやら民衆社会のほうにこそ、より多くの支持を得たことわざのようです。
「げす」は「げす」でも、「下衆・下種・下主」となると、身分の卑しい人、品性下劣で教養のない人の意味に使われます。語源未詳で、漢字はいずれも当て字ですが、あるいは下司からの転用とも考えられます。下衆あるいは下種と呼ばれたひとびとは、身分が低いだけでなく、教養を身につけることもできませんでした。それはなにも、こうしたひとびとの罪ではなかったのですが、身分の高い、教養を身につけていると自負しているひとびとに、「下衆《げす》の勘繰《かんぐ》り」「下衆《げす》の謗《そし》り食《ぐ》い」「下衆《げす》の逆恨《さかうら》み」と、さまざまにからかわれています。
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