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食物ことわざ事典46

时间: 2020-01-11    进入日语论坛
核心提示:米屋は三度目には変えよ これは今の話ではありません。お米が自由に販売されていた頃の話です。多くの家庭では、米屋がご用聞き
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米屋は三度目には変えよ

 これは今の話ではありません。お米が自由に販売されていた頃の話です。多くの家庭では、米屋がご用聞きにきて、注文したお米を配達してくれるのが|ならわし《ヽヽヽヽ》でした。そのお米は、米屋が自分の店で量《はか》って袋に詰め、各戸に配達したもので、お米をいちいち量り直して、量目を確かめた上で受け取る家庭など、まずほとんどありませんでした。たいていはそのまま米櫃《こめびつ》へあけさせて済ませていたのです。たまたま、なにかの機会に量ってみると、量目が不足していることが多く、時には量りまちがいではないかと思えるほど、不足の多いこともありました。お米は目の前で量るものではなく、受け取る際も、細かい人だと思われたくないという見栄もあり、第一面倒だし、疑うこともなく、ついそのまま受け取る場合が多かったのです。米屋はそれにつけ込んで、量目をごまかしていたのです。明らかに不正な行為ですが、当時は、それが米屋の商いのコツであり、当然の|ならわし《ヽヽヽヽ》であるかのように行われていました。米屋にだまされない手立てとしては、受け取る際、いちいち量り直せばいいのですが、それでは面倒でやりきれないので、せめても「米屋は三度目には変えよ」ということになったのです。
取り引きしたての頃は、お得意さまの歓心を買うため、米屋は量目をごまかすようなことはしないし、同じねだんでもなるべくいいお米を届けてくれます。「こんどの米屋はいいぞ」とよろこび、やがて警戒心もゆるみ、慣れるにつれ、そろそろごまかしはじめます。こうしたケースが多かったので、それに対抗するための客側のささやかな自衛策が「米屋は三度目には変えよ」で、当時の庶民の生活感情や暮しの知恵が生きています。米屋のこうしたやり口は、お客の信用を利用し、その信用を実は裏切っていたのです。
今日、量目をごまかすような米屋は、まずないでしょうが、品質の点ではいかがでしょう。現在、銘柄別に売られている自主流通米のほうが一般的で、その中でもササニシキとコシヒカリは人気の両横綱。しかし、日本で作られているお米の品種は、現在約二〇〇種もあり、供給過剰気味で、これらに古米あり、古々米もありで、また、同じ品種の中でも、例えば宮城産のササニシキと山形産のササニシキでは味も違います。単純にササニシキはおいしいと信じていても、お米屋さんによって卸も生産地も異なるので、味が違うのは当り前です。今は産地、品種、生産年度が明示されていますので、万々まちがいはないと思われますが、ずるい米屋にひっかかったら、標示と中身がまるっきり違うものをつかまされることも稀ではないでしょう。「本場物新潟産のコシヒカリ」と言われても、そのお米を見て、それが本物だと識別できる消費者は、残念ながらごくごく僅《わず》かでしょう。
月並な言い方ですが、「信用のおける米屋さんとのつき合い」を考えることが先決と言えるでしょう。でなければ、「ふるさと宅急便」などを利用して、お口に合った銘柄米を探し出し、直接生産農家から送ってもらう、産地直送便にたよるのも一法かと思います。
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