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食物ことわざ事典50

时间: 2020-01-11    进入日语论坛
核心提示:菜食貧乏 美食好みの者は貧乏すること。また、貧乏なくせに、うまい物好きなことを菜食貧乏と言います。世に言う食通・食道楽と
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 菜食貧乏
 美食好みの者は貧乏すること。また、貧乏なくせに、うまい物好きなことを菜食貧乏と言います。世に言う食通・食道楽というのは生やさしいものではなく、「三代富貴」のたとえもあるように、一代で身代を築き上げたような人物は、たいてい家に凝《こ》りがちで、舌が肥《こ》えるのは、その孫の代です。いわゆる「唐様で書く三代目」がこの種族です。
「菜食貧乏」の典型的人物をひとり挙げよとなると、わたしは一も二もなく井原西鶴の『西鶴置土産』(元禄六年=一六九三)に登場する元大尽を候補に挙げたい。西鶴の作品には、さすがに彼が「美食家」と折り紙をつけられたように、食味のぜいたくを描いたものが少なくありません。置土産巻五の三「都も淋し朝腹《あさばら》の献立《こんだて》」に出てくる大尽も、正にそのよい例で、さんざん放蕩したあげく、尾羽打ち枯らし、東山智恩院門前にわび住まいして、なお、全盛時代を忘れず、美食を好み、ある日、眠るように死んでいたという話です。
この元大尽は、みずから望んで毎日銀二|匁《もんめ》一分ずつひとからめぐまれ、自分は一匁三分、下男の分八分の弁当を祇園町の弁当屋から持って来させ、朝夕椀を洗う面倒もなく、草庵には小釜が一つだけあって、それで白湯《さゆ》をわかし、香煎《こうせん》よりほかにひとをもてなすものとてありませんでした。あるとき、昔を知った連中が京に早咲きの桜見にやってきたついでに、彼のところへ訪ねて来て、大坂のことや京都の噂をとりまぜてよもやまの話がはずみ、まもなく朝日が上ったので、今自分が人のめぐみで暮しを立てていることも忘れて、ここで朝飯を食べなさい、せめて京都で存分に御馳走しよう、なんなりと望みの献立を言いなさいと、硯《すずり》を取り出して、まず、自分の好みにまかせて、「汁の実は叩いた嫁菜《よめな》と雲雀《ひばり》、焼き物は上等の瀬田鰻《せたうなぎ》を食べてごらんなさい。それに子持鮒《こもちぶな》の煮びたしがよい。だが、これでは川魚が多すぎるから、鯛の皮をはいで付け合わせなしの鱠《なます》といこう。そうだ、忘れていた。堀川|牛蒡《ごぼう》の太煮《ふとに》、これでよいか」と言って書きつけ、「引出物の肴は何か見つくろって」と書き添えます。しかし、下男は動こうともせず、ふだん、支払いがわるいので、旦那とわたしの膳でさえ、前々の銀を持って来いと申しますものが、こんなふるまいの注文をしたところで、わかりきったこと、引き受けるはずはないと、自分の旦那をにらみつけて返答します。この始末をみんなは大笑いでごまかし、さあ、われわれの宿へということで、この男は誘われて大坂から来た人たちの客になって、とりあえず朝飯を食べたときは、すでに四つ(午前十時)を過ぎていました。そこでも昔のぜいたくな口を利き、酢の塩のと文句を言い、「大坂で食った鰆《さわら》は、蒸しても焼いても、これとは段違いに新しかった」と、全盛時代を今も忘れず、夢を見ているような気持ちでいます。まったくもって、すべてしつくして坊主になったこの男には、これもよいだろうと、みんなは今食べたばかりの腹がへるほど笑った──と記されています。それにしても、美食好みの西鶴の姿が彷彿《ほうふつ》とするような文章ですね。
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