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食物ことわざ事典56

时间: 2020-01-12    进入日语论坛
核心提示:芝居菎蒻芋南瓜 芝居、こんにゃく、いも、かぼちゃ──ハテ、一体これはなんでしょう。芝居以外はすべて食べ物になっています。
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芝居菎蒻芋南瓜

 芝居、こんにゃく、いも、かぼちゃ──ハテ、一体これはなんでしょう。芝居以外はすべて食べ物になっています。今日ではこれを統一している意味についてお尋ねしても、不案内な人がほとんど。これは女性の好物を並べたものだと解説しても、今どきの若い女性は、「ヘエー、そんなの嫌い」と、プイと横を向いてしまうのがオチです。このことわざが生まれたのは、おそらく文化・文政のころ(今からざっと百六、七十年前)と見られますから、当時の若い女性たちの好物だったのでしょう。いもはさつまいもでしょう。明和〜天明時代(一七六四〜八九)には、すでにさつまいもは江戸に商品として出回っていました。文化年間(一八〇四〜一八)あたりになると、江戸では焼きいもが名物になってきました。『俗事百工起源《ぞくじひやつこうきげん》』(慶応元年序)という風俗随筆に、
「文化三、四年に薩摩芋を焼て売し看板に、八里半と書て売し処《ところ》、大きに売れたる、其こころは、此の風味よろしき故、栗の味ありとて、栗に近しと云へる謎を看板に書しものなり、其後また十三里芋と書し看板も有し、是れ八里半の上にて、くりよりうましと云へることなりしか」
という一節があり、くりに近い八里半、くりよりうまい十三里というナゾめいたしゃれで人気を集めたことが述べられています( 「九里よりうまい十三里」参照)。
比較的娯楽の少なかった江戸時代には、芝居見物はひとびとにとって大きな楽しみでした。江戸の婦女子に愛好された人情本(文政創始)は未だ現われず、吉原はもっぱら男性の享楽機関であり、婦女子を含む江戸庶民にとって唯一とも言える娯楽の殿堂は芝居でした。芝居見物前夜ともなれば、上は大奥から下は一般家庭まで、その仕度に戦場のような騒しさで、
女共いつそうはつく月がしら
の句が示すように、顔見世(十一月一日)前後は、女性などは、仕事が手につかない有様でした。そんなわけで、芝居見物は最高の娯楽でしたから、第一に挙げられています。こんにゃく、さつまいも、かぼちゃはいずれも外国から何度目かに移植された珍しいおいしい食べ物で、とりわけ女性がお好きなものだったのでしょう。「唐茄子《とうなす》(かぼちゃ)と芋と芝居は女の三道楽」ときめつけたことばもあります。どうやら日本人は昔から舶来物には弱かったようです。
かぼちゃは、すでに天文十年(一五四一)にカンボジアを経由してポルトガル船で、九州の豊後か長崎辺に伝わり、かぼちゃの名が付きました。別名の南京《なんきん》や唐茄子は、中国経由の渡来物もあったことをうかがわせます。江戸中期の有職《ゆうそく》家伊勢|貞丈《ていじよう》の『安斎随筆《あんさいずいひつ》』に、
「此のカボチヤ瓜、予が幼少より弱冠の頃、享保年中までは市にて売らず、無きが故なり、稀に人の園に種《う》うる者もありし、元文の頃より所々にてうゑ弘めて、いまは市に多く売り夏秋の菜物となれり」
と、かぼちゃ普及の秘話を伝えています。
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