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食物ことわざ事典59

时间: 2020-01-12    进入日语论坛
核心提示:食する時に物語せず 食べながら話をするのはよくない──と、ついこの間まで戒められてきました。禅家の食作法が民間にまで及ん
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食する時に物語せず

 食べながら話をするのはよくない──と、ついこの間まで戒められてきました。禅家の食作法が民間にまで及んだもので、食べながら話をすると、消化がよくないという尾鰭《おひれ》までついて、長い間、日本人の食卓の作法となっていました。戦後は、欧米風の食事作法が採り入れられ、現在は、大事なことほど、食べながら話し合う風潮すら生まれています。
でも、一部には、今もって食べるときには食べることに専心しろ──というわけで、食事どきに話をするのは、|はしたない《ヽヽヽヽヽ》行為として沈黙を守っている人もいます。
ひとりうつむきかげんに、黙りこくって、食卓の食べ物が空になるまで、モソモソ夢中になって食べている光景を眼のあたりにした知り合いのフランス人は、
「なんでしょう、犬のように食事していますね」
と、さも軽蔑したような口調で言いました。なるほど、犬の食べ方を見れば、わき目もふらず、ガツガツ餌を平らげる。そんなところからの連想でしょう、この評言は手厳しいけれど当っています。かと言って、大声で話しながら食べるのは、黙々と食べる以上に慎みのないこととして、軽侮の対象となります。声の大きさは、お互いの会話が十分に聞きとれる程度であればよいのです。
もっとも、こうした日本人の食卓作法から早く解放されていた世界に、茶の湯の世界があります。食する時に物語するのみか、むしろ、積極的に会話を楽しんでいる風情すらあります。懐石の場合などで、主人と客の間はもちろん、客同士の間でも、話が交《かわ》されています。ただし、会話の内容には、西洋風のテーブルマナー同様、政治や宗教の話はタブーとして避けています。それを端的に物語るものとして、桃山時代の茶人、山上宗二は「一座の建立」を志す客人ぶり(客としての心がまえ、態度)のひとつとして、「世間雑談、無用也」と説き、避くべき世間雑談の具体例として、室町時代の連歌師、牡丹花肖柏《ぼたんかしようはく》の狂歌、
我《わ》が仏《ほとけ》 隣《となり》の宝《たから》 聟舅《むこしゆうと》
天下《てんか》の軍《いくさ》 人の善悪《ぜんあく》
を採り上げ、この狂歌によって、その内容を心得るよう訓《さと》し、つづけて、
「茶の湯の事、数奇に入りたる事(数奇に関すること)語るべし」
と、茶室内における話題を定めています。狂歌に詠《よ》み込まれた具体例は、食卓の話題のタブーとして、特に客を招いた席では今日でも、そのまま当てはめることができます。
食卓に招かれた出席者同士は、どの相手も自分のことを何もかも知っているとはかぎりません。みずからも、集まったひとびとの経歴や私生活、職業など知り尽してはいないはず。心得として、やはり、慎重にふるまい、あまり私的な内容に立ち入った質問(給料・家賃・アクセサリーの値段や買った店の名)を避けることが、食事どきの話題のマナーと言えましょう。
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