膾は酢によってうまくなり、ごぼうは田麩にすることによって味がよくなります。
膾はたいへん古い食べ物で、『論語』郷党篇に、すでに「膾は細きを厭《いと》わず」と出てきます。この膾は、獣肉あるいは魚肉の刺身であって、それらはせいぜい細かく切ってあるのがよい──ということで、現代の中国人は生の肉を食べませんが、朱子は「牛羊と魚の腥《なまにく》を、聶《そ》ぎて切りしを膾と為す」と注釈し、十二世紀の宋人は、今の中国人の如くではなかったように思えます。一方、熟語に「人口に膾炙《かいしや》す」というのもあり、また「羮《あつもの》に懲《こ》りて膾《なます》を吹《ふ》く」というたとえもあります。後者は『楚辞』に出てくることばですから、『論語』同様、紀元前の話です。日本語の「なます」は『日本書紀』の景行天皇の条に、白蛤《うむき》の膾を作ることが出ており、生宍《なましし》(宍は肉の古字)の転訛だと言いますから、奈良朝以前からのことばにちがいありません。
このように古くからある食べ物ですので、永い間に、改良と工夫が加えられ、室町時代には、種類も多く、筏《いかだ》なます、山吹なます、卯の花なます、雪なます、笹吹なますなどがありました。このうち、笹吹なますは、一名「日照《ひでり》なます」とも呼ばれました。「笹吹」とは、現代語の「笹がき」のことで、大根を笹がきにしたものを生の魚肉と酢と食塩であえたなますでした。
なますと言うからには、必ず生肉が入らなければなりません。同じ作り方でも、魚肉の入らない精進物は、室町時代から「酢和《すあ》え」と呼び、干し魚を材料とした場合は、「和交《あえまぜ》」または「水和《みずあ》え」と言い、江戸時代の前期まで、この呼び方が通用しました。
江戸時代のなますも、室町時代と同じようにあえる味液は酢であって、それに食塩、煎り酒、出し酒などで塩梅《あんばい》するのが原則でした。それだけに膾の決め手になるのは、調味液の酢で、心ある料理人は、酢の吟味に細かな神経を使いました。
今一つの田麩は、ごはんに振りかけたり、料理の飾りを兼ねて使われる例の魚肉の加工食品ではなさそうです。青森県南津軽郡黒石辺りでは、「ごぼう、ささげなどを煮たもの」を「でんぶ」と言うそうで、知人の料理人のひとりは、「かつらむきして細くそうめん状に切った野菜、さつまいもとか、やつがしら、にんじん、それにごぼうなどを、砂糖で煮たものも、|でんぶ《ヽヽヽ》と呼び、古くは婚礼などに使ってよろこばれたものです」と、話してくれました。どうやら、「牛蒡は田麩」のでんぶは、こちらのようです。
酢にかかわりのあることわざは、ほかにも結構多く、「酢が利《き》く」(才知がある)、「酢が過ぎる」(度が過ぎる)、「酢が回る」(先に先にと気を回して先走る)、「酢が戻る」(年老いて思慮分別がにぶること)、「酢でも蒟蒻《こんにやく》でも」(一筋縄ではいかないもの、手に負えない物事にいう。どうにもこうにも。煮ても焼いても)、「酢の蒟蒻《こんにやく》の」(なんのかのと。あれやこれや)「酢をさす」(人を扇動する。また、人にいどむ)などがあります。