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食物ことわざ事典65

时间: 2020-01-12    进入日语论坛
核心提示:蕎麦七十五日「蕎麦は七十五日」「蕎麦は七十五日で鎌を持って行け」とも言われるほど、そばは種播《たねま》きから収穫するまで
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蕎麦七十五日

「蕎麦は七十五日」「蕎麦は七十五日で鎌を持って行け」とも言われるほど、そばは種播《たねま》きから収穫するまでの生育期間が極めて短い。貝原益軒の『大和《やまと》本草《ほんぞう》』によれば、そばは、
「夏の穀物がすでに終り、立秋前後に種を下し、九月に実り、十月に刈り取り、その後にまた麦を栽《う》えれば、およそ一年に三度穀類を収穫できる」と言うほど重宝なものです。植物分類学的には、そばは穀物ではなく、タデ科ソバ属に属する一年生草本で、気候に対する適応性もすぐれているため、旱魃《かんばつ》のときでも、すぐ種を播けば、米や麦の補いになるので、神奈川県相模湖町辺りでは「がし(飢饉の方言)蕎麦」と言い、また、茨城県方面では「蕎麦作りに飢饉なし」と言い、救荒作物の一つとして貴重なものとされてきました。
その源流は『続日本紀《しよくにほんぎ》』巻九の元正《げんしよう》天皇の養老六年(七二二)七月十九日の項に見出せます。
「今年の夏は雨降ることなく、たなつもの(田から生育するもの─稲)は実らず、よろしく天の下の国司《くにのつかさ》(朝廷から諸国に派遣された地方官)をして、おほみたから(農民)に勧めおほせ、晩禾《おくて》(遅く成熟する稲)・蕎麦・大麦・小麦を植ゑ、蓄へ置き、以てたなつものの実らぬ年に備へしむべし」
と、詔《みことのり》を発せられています。この詔から元正天皇の時代(七一五〜七二四)、すでに凶作が予想される年には、いち早くそばの栽培を農民に勧めていたことがうかがえます。もちろん、それ以前にもそばが栽培されていたことでしょうが、それを証拠だてる文献が見出せません。「夏蕎麦二十日」ということわざもありますが、これは生育の早いことを誇張したたとえで、結実するまで夏そばは七〇日から八五日、秋そばは八〇日から九〇日くらいの日数を要します。
種子は植物学的には果実(痩果)であり、夏そばは暖地ほど早く、秋そばは寒冷地ほど早く成熟します。後魏《こうぎ》(六世紀)の|賈思※[#「力/(力+力)+思」、unicode52f0]《チヤースーシユ》が著わした『斉民要術《せいみんようじゆつ》』という中国最古の農学書に、そばの耕作と収穫法が記されていますが、それによりますと、
「三遍耕して立秋前後各十日のうちに播く。もし三遍耕しておけば蕎麦も三段に実をつける。下二段の子実が黒くなれば、上一段の子実はまだ白くても、全部に白汁が充満して膿《うみ》の如くになっているのだから、早速刈り取り、梢と梢とを凭《もた》せかけて並《なら》べておくと、その白い子実も日と共にすっかり黒く枯れて来る。此れが妙法というものであって、もし上段の子実まで全部黒くなるのを待って居れば、下段の黒い子実はすっかり滾《こぼ》れ落ちてしまう」
そばは一個体の開花日数が二〇日ほどあるので、成熟も不揃いであると同時に、『斉民要術』にも記されていたように、完熟すると脱粒しますので、七〇%ぐらいの痩果が熟して黒変したときに収穫します。飛騨辺りには「蕎麦に蠅が三匹止まったら刈れ」、青森県|五戸《ごのへ》町辺りでは「蕎麦は黒粒三つぶら下がれば刈ってよい」といったことわざが伝承されていますが、そばの収穫時期を短いことばで、的確に教えています。
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