子どものころ、カゼを引くと、忙しい台所仕事の合い間を縫って、母は卵酒を作って飲ませてくれました。母手作りの卵酒を飲み、ぐっすり眠ると、忘れたようにカゼが治り、子ども心にもふしぎだなと思いました。
卵酒は卵を割って小鉢に入れ、少量の砂糖を加え、熱燗《あつかん》をした日本酒を注いで、よくかきまぜたもので、戦時中の食料の乏しい時期だけに、カゼぐずりとしてよりは、うまい飲みものとして記憶に残り、それからというもの、カゼを引くと、決まって母に卵酒をねだるのでした。
卵酒はなぜカゼに効くのでしょう。生の卵白の中のリゾチームという酵素が、初期のウィルス感染に対して、ウィルスの増殖を押える働きをもっている──とは、専門の学者の話。リゾチームは、卵白だけでなしに、人間の涙、鼻汁、唾液などにも多く含まれていて、外から侵入してくるバイ菌やウィルスを防いでいるわけです。ところがカゼにかかったときは、リゾチームの量が減っていて、からだの抵抗力が弱っています。それゆえ、リゾチームの多い卵白を食べて、リゾチームの材料を供給することで、カゼが治る──というわけです。
一方、卵酒のお酒のほうは、お酒に含まれているアルコールが血行をよくして、身体を温め、人によっては眠気を催させるので、カゼにかかったときの大切な養生法、栄養のある食品を摂って、静かに寝ていることの原理にうまく適合します。いずれにしても、酒や卵の栄養分が、身体を元気づけ、カゼに対する抵抗力を強くするので、その効用もまんざらではありません。
このほか、巷間伝えられる鶏卵の薬効はさまざまで、中には民間療法として、今日にも立派に通用しているものもあります。例えば、卵をゆでて、黄身だけをなべに移し、こねながら熱していると黒くなり、油がなべの底に出てくるので、これを熱いうちに、きつく絞って、消毒したビンに入れて冷暗所に蓄えておき、一日三回食後に〇・五〜一・五グラム程度服用すると、心臓病に特効があり、疲労回復、低血圧、胃病、肺結核などにも有効と言われます。
これはおそらく、卵黄中に含まれているステロイドが有効に働くからだろうと言われています。ステロイドは副腎皮質ホルモンや性ホルモンに関係が深いので、病後の衰弱した身体には有効と考えられます。もっとも、卵の油だけ単独に摂るより、野菜類、とりわけ生野菜をいっしょに摂るようにしたほうが、はるかにその働きは期待できることは言うまでもありません。
卵の油は、内服のほかに外用薬としても効きめのほどが知られていて、傷をしたあとや火傷のあとのひきつっている皮膚に、絶えず塗っていると、いつの間にか|あと《ヽヽ》がきれいに取れてしまいます。
卵はまた貧血の予防や治療に有効で、卵の中の鉄分は緑黄野菜や肉などに含まれる鉄分とちがって、病人にも吸収されやすいからです。
かりそめの恙《つつが》に臥《ふ》して玉子酒 たき江