よい茶を上手に点《た》てるには、水の選択が肝心であること。すでに虎寛本狂言『清水』に、「茶は水がせんじやといふが、どこ許の水が能いと聞いた」といった使われ方をしています。今更言うまでもなく、「茶は水の神であり、水は茶の体」と言われるくらい、茶の湯にはよい水を選ぶことがたいせつ。どれほどの名茶であっても、わるい水を用いれば、せっかくの持ち味を味わえません。さすがに茶聖陸羽は心得たもので、『茶経』巻下の五、茶を煮てるの項に、「山水を上とし、江水之に次ぎ、井水を下と為す。而《しか》も、井水にして絶佳なるものあり、山泉に亜《あ》かず」とし、また、「江水は甘を以て勝り、井水は冽を以て勝り、山水は甘と冽とを兼ぬ」とも記しています。
良水に恵まれない中国では、昔から良水が祈願されてきました。それは陸羽の「六羨の歌」でも明らかです。すなわち、良水のためならば、「黄金の罍《さかだる》を羨まず。白玉の杯を羨まず。朝に省に入るを羨まず。暮に台に入るを羨まず。千羨万羨西江の水、曾《かつ》て竟陵の城下に向って来る」と言って、西江の水を讃えています。西江水と言うのは、漢水の一分江だろうと言われていますが、今日では明らかではありません。「茶は飲料水の最良の試薬」と言われているその茶の水に、苦心|惨憺《さんたん》した人であってみれば、何物を捨てても、その良水に仕えたのは、うなずける話です。
さりとて、『茶経』の水の等級は中国における説で、日本では井戸水がいけないということはなく、昔より名水として茶人の間に賞されているのは、多くは井戸水で、『茶の湯評林』には、京都付近における名水として、六条堀川の醒ヶ井以下一四カ所を挙げています。現在もある名水の一つに洛北大原の三千院に、裏山の音無滝から引き水をした「華厳《けごん》の手水鉢《ちようずばち》」があります。試しに掌を掬《むす》んで飲んでみますと、実に甘く、やわらかな水で、まさに「甘露、甘露!!」と歎声《たんせい》を上げたくなるほどのうまさ。また、近くの寂光院には、その昔、建礼門院がお使いになったという清水の跡があり、裏山からの筧《かけひ》の水は、蹲踞《つくばい》にこんこんと溢《あふ》れています。
しかし、現状では都会地ではほとんどが水道を使っているので、水を選ぶということはなかなか困難です。先人は水質と同時に、それを汲む時間についても敏感で、
「夜会トテ昼以後ノ水不用也。晩景夜半迄、陰分ニテ水気沈ミテ毒アリ。暁ノ水ハ陽分ノ初メニテ清気浮ブ井華水ナリ。茶ニ対シ大切ノ水ナレバ茶人ノ用心肝要ナリ」(『南方録』)
などと説いています。このほか、『茶の湯評林』の中には、水質良否鑑別法、汲みとり上の注意など、こまごまと説明してあり、科学的知識を持たなかった往時の茶人たちが、経験からとは申せ、いかに科学的に、いかに衛生的にやっていたか──驚かずにはおれません。現在では井戸水すら、なかなか使えませんが、うまい茶を飲むためには平素から身近によい水のある所を心がけておくのも、たいせつなことではないでしょうか。
良水に恵まれない中国では、昔から良水が祈願されてきました。それは陸羽の「六羨の歌」でも明らかです。すなわち、良水のためならば、「黄金の罍《さかだる》を羨まず。白玉の杯を羨まず。朝に省に入るを羨まず。暮に台に入るを羨まず。千羨万羨西江の水、曾《かつ》て竟陵の城下に向って来る」と言って、西江の水を讃えています。西江水と言うのは、漢水の一分江だろうと言われていますが、今日では明らかではありません。「茶は飲料水の最良の試薬」と言われているその茶の水に、苦心|惨憺《さんたん》した人であってみれば、何物を捨てても、その良水に仕えたのは、うなずける話です。
さりとて、『茶経』の水の等級は中国における説で、日本では井戸水がいけないということはなく、昔より名水として茶人の間に賞されているのは、多くは井戸水で、『茶の湯評林』には、京都付近における名水として、六条堀川の醒ヶ井以下一四カ所を挙げています。現在もある名水の一つに洛北大原の三千院に、裏山の音無滝から引き水をした「華厳《けごん》の手水鉢《ちようずばち》」があります。試しに掌を掬《むす》んで飲んでみますと、実に甘く、やわらかな水で、まさに「甘露、甘露!!」と歎声《たんせい》を上げたくなるほどのうまさ。また、近くの寂光院には、その昔、建礼門院がお使いになったという清水の跡があり、裏山からの筧《かけひ》の水は、蹲踞《つくばい》にこんこんと溢《あふ》れています。
しかし、現状では都会地ではほとんどが水道を使っているので、水を選ぶということはなかなか困難です。先人は水質と同時に、それを汲む時間についても敏感で、
「夜会トテ昼以後ノ水不用也。晩景夜半迄、陰分ニテ水気沈ミテ毒アリ。暁ノ水ハ陽分ノ初メニテ清気浮ブ井華水ナリ。茶ニ対シ大切ノ水ナレバ茶人ノ用心肝要ナリ」(『南方録』)
などと説いています。このほか、『茶の湯評林』の中には、水質良否鑑別法、汲みとり上の注意など、こまごまと説明してあり、科学的知識を持たなかった往時の茶人たちが、経験からとは申せ、いかに科学的に、いかに衛生的にやっていたか──驚かずにはおれません。現在では井戸水すら、なかなか使えませんが、うまい茶を飲むためには平素から身近によい水のある所を心がけておくのも、たいせつなことではないでしょうか。