どうやら、このことわざは割箸の登場した江戸時代化政期の女房族の生活実感のように思えます。
丈夫で長持ち、しかも生活力のある亭主を──と希《ねが》うのは、歴史の古今を問わない女房族の切実な願望でしょう。こうした希いのウラには、ひよわで、たよりないぐうたら亭主に悩まされ、泣かされた庶民のおかみさん連中の涙が光っています。一方の弱い箸は、一八〇四〜三〇年のいわゆる化政期に、世界中でも有数の人口密集都市、江戸の街に普及しはじめたうどん、そばなどのインスタント外食に伴って登場した割箸のようです。値段の安いうどんやそばに、割安な割箸が使われたのは当然のこととは言え、ささくれたり、折れたりして、使いにくさに、しばしば切歯扼腕《せつしやくわん》した|さま《ヽヽ》が偲《しの》ばれます。
箸はすでに『古事記』に登場しています。すなわち、スサノオノミコトが、出雲の国の簸川《ひのかわ》の川上にある鳥髪《とりがみ》の地で、その川に箸(波之《はし》)の流れ下るのを見て、上流に人が棲んでいると見て遡って行き、ヤマタノオロチを退治して、アメノムラクモノツルギを得たという故事に箸が現われています。神話時代の話は別格としても、平城宮の遺跡、宮内省大膳職の建物跡の三つの大井戸跡から、大量の瓦や土器、木具、木簡、附札《つけふだ》などと共に、たくさんの木箸が出土しています。長さ約二二センチから二六センチに及ぶ杉、檜、それに雑木で作られたもので、中程を太く丸く削り、両端を細く丸く削った、いわゆる胴太先細の羹箸《かんばし》と、頭部を太く丸く、先端を細く丸く削った片口箸(先細箸とも言う)と、さらに頭部も先端も同型の寸胴箸《ずんどうばし》のおおむね三種で、その材質や寸法、形状が今日使用の一般家庭箸とほぼ異ならないようなものです。おそらく、これらの箸は、一般官人及び職員の使用したものと思われます。
このような歴史の古さを物語るように、箸には用途や目的に応じて、さまざまな種類があります。平安時代には宮廷の箸台に銀の箸と匙《さじ》、ならびに柳箸と匙の二種がのっていて、ごはんは柳箸で食べ、そのほかのものは銀の箸で食べたと記録に残っております。
江戸時代になると、箸は食生活の多様さに伴って、白箸(杉箸)、赤箸(銅の箸)、太箸、先細の箸、割りかけの箸、塗箸、塗竹箸、高蒔絵《たかまきえ》の箸、象牙の箸、角箸、菜箸、雑煮の箸……といった具合に多彩になっています。
割箸の材料となるものも、また、さまざまで、杉、檜、白松、えぞ松、樺などの木や、孟宗竹、真竹などで、角箸を作り、半ば以上まで割れ目を入れておき、使うときに割いて用いる独特の箸で、材質によっては、ささくれたり、折れたりする欠点はあるものの、清潔性、機能性、一回性などといった他の箸にはない特徴があり、日本人独自の美意識が表現されています。
樹木の中で、もっとも割裂性に富んでいるのは竹で、江戸時代中期に登場した割箸も、竹の割箸で、吉野杉の割箸が考案されたのは明治十年頃、大和下市町でした。
丈夫で長持ち、しかも生活力のある亭主を──と希《ねが》うのは、歴史の古今を問わない女房族の切実な願望でしょう。こうした希いのウラには、ひよわで、たよりないぐうたら亭主に悩まされ、泣かされた庶民のおかみさん連中の涙が光っています。一方の弱い箸は、一八〇四〜三〇年のいわゆる化政期に、世界中でも有数の人口密集都市、江戸の街に普及しはじめたうどん、そばなどのインスタント外食に伴って登場した割箸のようです。値段の安いうどんやそばに、割安な割箸が使われたのは当然のこととは言え、ささくれたり、折れたりして、使いにくさに、しばしば切歯扼腕《せつしやくわん》した|さま《ヽヽ》が偲《しの》ばれます。
箸はすでに『古事記』に登場しています。すなわち、スサノオノミコトが、出雲の国の簸川《ひのかわ》の川上にある鳥髪《とりがみ》の地で、その川に箸(波之《はし》)の流れ下るのを見て、上流に人が棲んでいると見て遡って行き、ヤマタノオロチを退治して、アメノムラクモノツルギを得たという故事に箸が現われています。神話時代の話は別格としても、平城宮の遺跡、宮内省大膳職の建物跡の三つの大井戸跡から、大量の瓦や土器、木具、木簡、附札《つけふだ》などと共に、たくさんの木箸が出土しています。長さ約二二センチから二六センチに及ぶ杉、檜、それに雑木で作られたもので、中程を太く丸く削り、両端を細く丸く削った、いわゆる胴太先細の羹箸《かんばし》と、頭部を太く丸く、先端を細く丸く削った片口箸(先細箸とも言う)と、さらに頭部も先端も同型の寸胴箸《ずんどうばし》のおおむね三種で、その材質や寸法、形状が今日使用の一般家庭箸とほぼ異ならないようなものです。おそらく、これらの箸は、一般官人及び職員の使用したものと思われます。
このような歴史の古さを物語るように、箸には用途や目的に応じて、さまざまな種類があります。平安時代には宮廷の箸台に銀の箸と匙《さじ》、ならびに柳箸と匙の二種がのっていて、ごはんは柳箸で食べ、そのほかのものは銀の箸で食べたと記録に残っております。
江戸時代になると、箸は食生活の多様さに伴って、白箸(杉箸)、赤箸(銅の箸)、太箸、先細の箸、割りかけの箸、塗箸、塗竹箸、高蒔絵《たかまきえ》の箸、象牙の箸、角箸、菜箸、雑煮の箸……といった具合に多彩になっています。
割箸の材料となるものも、また、さまざまで、杉、檜、白松、えぞ松、樺などの木や、孟宗竹、真竹などで、角箸を作り、半ば以上まで割れ目を入れておき、使うときに割いて用いる独特の箸で、材質によっては、ささくれたり、折れたりする欠点はあるものの、清潔性、機能性、一回性などといった他の箸にはない特徴があり、日本人独自の美意識が表現されています。
樹木の中で、もっとも割裂性に富んでいるのは竹で、江戸時代中期に登場した割箸も、竹の割箸で、吉野杉の割箸が考案されたのは明治十年頃、大和下市町でした。