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食物ことわざ事典83

时间: 2020-01-12    进入日语论坛
核心提示:とどのつまり「とどの結局《つまり》は貸座敷か」といった使われ方をして、「いろいろやって、または、せんじつめていった最後の
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とどのつまり
「とどの結局《つまり》は貸座敷か」といった使われ方をして、「いろいろやって、または、せんじつめていった最後のところ」という意味をもち、副詞的にも「結局、畢竟《ひつきよう》」の意味で、多く思わしくない結果である場合に用いられる「とどのつまり」は、一体どんな語源をもつことばなのでしょう。トド(止)のツマリ(詰・留)の義──といった語源説がありますが、わたしなどは、トドは魚のボラが、幼魚のときから順次名を変えて最後の呼び名であるところから──といった語源説に軍配を挙げたくなります。
すでに江戸後期の国学者石原|正明《まさあきら》の『年々随筆』にも、「鯔《ぼら》のいとちひさきは白がね色に光るものなり、是を|はく《ヽヽ》といふ。その次は|おぼこ《ヽヽヽ》、六、七月のほどより|すばしり《ヽヽヽヽ》、年こえたるは|なよし《ヽヽヽ》、年つみたるは|ぼら《ヽヽ》といふ」と、記されています。
ボラは出世魚と言って、各地で成長段階に従って、名が変わります。その名は各地共通のもあり、ちがうのもあります。東京辺では、当歳魚の三センチ以下のものをオボコ、三〜六センチのものをイナッコ、六〜一八センチほどのものをスバシリ、二年魚の二〇〜三〇センチほどのものをイナ、三年魚の三〇センチ以上のものはボラの名で呼び、四年目になって外洋に留まる超大型のボラをトドと言います。
オボコはウブコの転で、産まれて間もない子の意味。スバシリは内湾の浅い砂地を敏捷《びんしよう》に泳ぐから、イナは川から水田にも入るのでイネウオ・イナウオ(稲魚)の意と言います。ボラは「腹太き意」(『大言海』)ということで、トドは止々のほか到々とも書き、つまりは詰まるで、そこから先がないこと、詰まりだけでも、結局、要するに──の意になります。
鰡《ぼら》はねて暮色の迫る船溜り 桂邨
ボラは泥臭いと言って敬遠するムキがありますが、秋から冬にかけてのボラを塩焼き、つけ焼き、刺身、煮つけなどにすると、これがボラかと見直したくなります。福井の三国港では、一、二月の寒ボラ釣りが盛んで、刺身にすると、なかなかの風味があります。
育ち盛りを内房の漁村で育ったわたしは、ボラの肉より臍《へそ》が好物で、今でもそのうまさを忘れかねています。俗に「アンコウの肝にボラの臍」と言われ、殊《こと》のほか賞味されるヘソは、ニワトリの砂嚢《さのう》同様、胃の幽門部。ボラはなかなかの大食漢で、河口に沈んだ穀粒や珪藻を食べるので、胃の幽門部の筋肉が厚くなり、その外観はちょっとソロバン玉に似た形をしています。
串に刺し、塩焼きして、粉ざんしょうを振って食べると、クセがなく、しこしこしてちょっと乙な珍味です。
四海浪静か座敷も開き鰡
婚礼も更《ふけ》てひらきの鰡を提《さ》げ
明治の三十年ごろまで、婚礼の席には開きの干鰡を出すのが|しきたり《ヽヽヽヽ》でした。
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