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食物ことわざ事典201

时间: 2020-01-19    进入日语论坛
核心提示:搗いた餅より心持ち「食べた餅より心持ち」とも言います。人から餅をごちそうしてもらうことはありがたいが、それ以上に、ごちそ
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搗いた餅より心持ち

「食べた餅より心持ち」とも言います。人から餅をごちそうしてもらうことはありがたいが、それ以上に、ごちそうしてあげようという心づくしがありがたいという意です。一般庶民にとって餅を贈られたり、ごちそうになることが無条件にありがたかった時代に生まれたことわざだけに、心づくしのありがたみが身に沁みます。しかし、現代のように四季を問わず、駅のスタンドで「のし餅」の売られるご時世では、「搗いた餅」のありがたみなど、ピンとこないかも知れません。
大都市に住む人たちにとって、餅搗きはもはや縁遠い作業だし、餅は正月だけのものと思っている人が大部分でしょう。もちろん、正月は餅のもっとも必要な時節にちがいありませんが、それ以外にも田舎ではいろんな年中行事の日とか、祝儀、不祝儀にともなって、餅を搗きます。お産の場合には、都会でも、お七夜の餅を搗いて、親戚や隣近所にくばっていますが、不祝儀の場合には、あまり見かけなくなってしまったため、餅は吉事に限るように思っている人も少なくありません。しかし、東京の都心に近い東村山あたりでも、不幸があって式を出そうという直前に、血族の者だけが一升枡の裏底で力餅を食べる習慣がついこの間まであったし、四九日の餅は広い区域にわたってまだ残っています。この場合、枡の底で切ったり、なべの蓋にのせて切ったり、ふたりで引っ張り合って分けたりするのがふつうで、ふだんそんなことをするとしかられるのも、四九日の餅に限ってすることだったからです。
正月の餅——その第一の目的は神様(年神様、歳徳様)にお供えすることにあります。いやお供えするというより、正月の餅そのものが神様に依《よ》り給うところであったのかも知れません。正月の餅は、家族が揃《そろ》って一つのなべの食事をとるのとはちがい、一人一人に分配するというのがむかしからの考えでした。それというのも、正月という魂祭りの時に当たって、その年の新しい霊魂を一人一人に分け与える食べものが正月の餅だった——と民俗学者は説いています。
むかしの日本では、農業がすべての生活の中心でした。ことに、米というものに他の穀物にはない不思議な力、生命の根源といったものを感じていた日本人が、わが家の田を拓《ひら》いてくれたご先祖の霊魂《みたま》(年神様や歳徳様)と、自分たち一人一人の霊魂とのつながりを、米——つまり餅を通して、はっきりと感じたのは極めて自然な気持ちであったと言えましょう。正月以外のときにつくる餅も、米の餅には神秘な力が宿っている——と信じていたと見なければ理解しがたいものが多く、米こそ、したがって餅も、日本人にとっては「生命の根源」だったのです。
このことわざの「搗いた餅」は、はぎ餅(牡丹餅)のように、蒸した糯米《もちごめ》を半搗きにしてまるめたものに対し、臼《うす》と杵《きね》とを使って搗いた餅をさすのでしょうが、ここでは語呂の上から「搗いた」とつけただけのことでしょう。「餅」と「持」とはもともと一つの語源から出たものだといわれ、ここでは同意を利用しておもしろく言ったものであることは言うまでもありません。
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