返回首页
当前位置: 首页 »日语阅读 » 日本名家名篇 » 作品合集 » 正文

食物ことわざ事典203

时间: 2020-01-19    进入日语论坛
核心提示:月夜に米の飯 いつも月夜で米のめしを食べていれば、こんなによいことはない。また、いつまでも飽《あ》きのこないものの|たと
(单词翻译:双击或拖选)
月夜に米の飯

 いつも月夜で米のめしを食べていれば、こんなによいことはない。また、いつまでも飽《あ》きのこないものの|たとえ《ヽヽヽ》。同じように、江戸庶民のいじらしい願いをあらわしたことわざに「常八月に常月夜《じようつきよ》 早稲《わせ》の米に泥鰌汁《どじようじる》 女房十八我二十」というのがあり、「月夜に米の飯」はもっとも望ましいものだったことがわかります。時が移り、今日ではどうでしょうか?
くらし向きや社会環境がよくなり、庶民の望みも飛躍的に増大し、近ごろは三C時代(セントラル・ヒーティング、コティジ、電子レンジ)とさえ言われております。それゆえこのことわざに示された江戸庶民の|つつましやかな《ヽヽヽヽヽヽヽ》願いなど、理解されにくい種類の事柄になっています。
今日でこそ米のめしは珍しくありませんが、戦前、戦後(つい二、三〇年前)の一時期までは、米を常食するのは、ごく一部の上流階級に限られ、東京近郊の農村でも、麦飯《むぎめし》、稗飯《ひえめし》、粟飯《あわめし》が常食でした。
藩政時代の能登《のと》地方では、米の収穫が少なかった割に貢米《こうまい》の率が高く、六割以上のところが多かったと聞きます。(当時は四公六民、あるいは五公五民、つまりその年、穫り入れた米の四割ないし五割を税米として納めるのがふつうでした)それだけに食生活の貧しかったことは想像を絶するものがありました。
加賀藩で毎月二日、百姓に読み聞かせて守らせた「村方二日読《むらかたふつかよみ》」というのを見ると、その圧制ぶりがよくわかります。
「百姓の食物、常々雑穀を用ふべし。米、猥《みだ》りに食ふべからざる事」
事実、米などとても口にすることはできませんでした。正月や盆・祭・節句にあっても、下等米のタイト飯《めし》が精一杯で、主食はどこも同じく、稗・黍《きび》・粟などの雑穀で、籾殻《もみがら》までも食べたのでした。カイゴ飯《めし》というのがそれで、カイゴ飯というのは籾殻の粉末で、年貢米《ねんぐまい》を納めた後仕事に秕《しいな》や籾を煎《い》って石臼で粉末にし、俵詰めにしてたくわえておきました。カイゴ飯を作るには、まずカイゴを篩《ふるい》にかけ、残ったものは搗《つ》いても砕けないひどい秕です。これを飯の煮上がりのときに入れて蒸し、蒸し上がった飯を飯櫃《めしびつ》に容《い》れ、篩を通った粉末を入れて、よくかきまぜて食べるわけですが、箸にもかからず、のどにもとおらぬシロモノだったようです。
これを、山盛りにしたコウコ(大根漬け)やオクモジ(菜葉漬け)をおかずにして、大なべのみそ汁で、わずかにのみくだしたといわれます。(小倉学「農山村における食い祭」より)
それだけにむかしの百姓の米に対する執着は、想像以上に強いものがあったようで、各地に伝わる「振り米」の伝説も、ほんとうにあった話なのです。米を竹筒に入れ瀕死の重病人の枕もとで振って聞かせるのが振り米で、治ったらこの米を食わせてやるぞと、力づけたのです。
現代は、お米がともすれば|ぞんざい《ヽヽヽヽ》に扱われがちですが、時にはこのようにお米が貴重品だったむかしを思い起こして、粗略なふるまいをつつしみたいと思います。
轻松学日语,快乐背单词(免费在线日语单词学习)---点击进入
顶一下
(0)
0%
踩一下
(0)
0%

[查看全部]  相关评论