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食物ことわざ事典206

时间: 2020-01-19    进入日语论坛
核心提示:手前味噌で塩が辛い 自分の手で作ったみそなら、多少塩辛くてもうまいと思うこと。自画自賛の意に使われます。だれでも、自分の
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手前味噌で塩が辛い

 自分の手で作ったみそなら、多少塩辛くてもうまいと思うこと。自画自賛の意に使われます。だれでも、自分の家のみそがいちばんうまいと思うのが人情というもので、どんなみそでも毎日食べているうちに好きになるわけです。「手前味噌」ということばは、今日でも広く一般に使われていますが、都会では早くからみそは作らず買うものになっていたので、都会に住む人たちの中には、案外、このことばの由来を知らない人があるかも知れません。しかし、地方の人なら、おおかた、みそは自分の家で作っていたので、このことばの由来はよくご存知でしょう。
一般に家々で作るみそを|うちみそ《ヽヽヽヽ》と言い、|かいみそ《ヽヽヽヽ》をするのは、その家の貧しさを示すものとして、農村などでは、とりわけこれを恥としていました。「三年みそ」といって、毎年毎年仕込んでは、順繰りに三年たったみそから食べていくのが|ならわし《ヽヽヽヽ》で、地方の農家などでは仕込んだみそ樽を何本も蔵に貯蔵して置くのが、自慢のタネでした。
事実、醸造期間の長いほうが風味のよいみそができますが、また一面、冷害などの天災によって、たびたび襲う凶作のときの重要な保存食料として役立てるためでもありました。
いったい、みそはいつごろわが国に招来されたものでしょう? いろいろな文献を調べてもはっきりしません。ただし『万葉集』の和歌の中に「醤《ひしほ》」ということばが見られ、文武天皇(今から約一二八〇年前)の大宝令には醤院の制がおかれて、調味料としてみそが使われていたことがはっきりしています。また史実として、紀元八世紀から九世紀にかけて、尾張や隠岐、駿河など、当時としてはかなり辺鄙《へんぴ》な地方から租税として徴収されていたと言われ、このころからみそは、すでにありふれた食品となっていたようです。
平安時代になると、はじめてみそ醸造の家などが生まれ、地方名を冠せて飛騨みそとか志賀みそ、河内みそなどと呼ぶようになりました。とは言っても、この時代のみそはもっぱら、宮廷や寺院だけで食べるための高級品で、庶民の口にはめったにはいらず、一般に庶民がみそを口にするようになったのは、室町時代以降のことです。庶民の中にはいったみそは、大部分が自家製で、それぞれの地方の風土や嗜好に合ったものが生まれ、手前みそと言われるように、みその種類も数え切れないほど、多種類になってきました。
みそが商品化されたのは、江戸時代にはいってからで、新興都市の江戸では、みそ造りの伝統がなく、だれもがみそ買いをしたからです。
戦後における自家製みそ状況は十分明らかではありませんが、まだ地方によっては、名実ともに「手前味噌」が行なわれておるようです。しかし、それもごくわずかなもので、都市生活者のほとんどは、大量生産による商品化されたみそを口にしています。時代の流れとは申せ、手作りのみその持っていた微妙な味わいが失われていきつつあるのは残念でなりません。
ある朝のかなしみゆめのさめぎわに 鼻に入り来し味噌を煮る香よ
  石川啄木
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