貧乏人には子が多いことの|たとえ《ヽヽヽ》。「貧乏柿」とは肉の少ないまずい柿のことで、「核」は種子《たね》をさしています。「貧乏柿」がここでは「貧乏人」にたとえられ、「核」が「子ども」にたとえられていることは言うまでもありません。似たことわざに「渋柿の核沢山」「痩柿《やせがき》の核沢山」があります。このことわざの意を、そのものズバリに言い表わしたものに、ご存知「律気者《りちぎもの》の子沢山」「貧乏人の子沢山」があります。
近ごろは産児制限の知識が普及し、社会保障制度が曲がりなりにも行届いて、極端に貧しい人たちが少なくなり、むかしのように、みすぼらしい|みなり《ヽヽヽ》をした母親が、年の開きのない三人の子——ひとりは背中におぶい、両手にひとりずつの手を引いて連れ歩くといった哀れな情景は、都会では、あまり見かけなくなりました。一方、このたとえに用いられた|くだもの《ヽヽヽヽ》なども、|すいか《ヽヽヽ》をはじめ、いちご、柿……なども改良が加えられ、タネなし種《しゆ》が作り出されるようになって、どうやら、あまり適切なたとえとは言えなくなってきそうな気配《けはい》です。
日本古来のくだものである柿には、「猿蟹合戦《さるかにかつせん》」のむかしばなしをはじめ、いろいろな伝説、逸話、迷信などがあります。そのうちの一つ、真宗の開祖親鸞さまが諸国辺土教化の旅をつづけておられたとき、ある家で串柿をすすめられ、そのタネを三粒ほどいろりの火に投じ、半焦げにして庭に埋め、「我すすむる所の法、後盛んならば、この焼きた種より芽を生ずべし」と言って立ち去った。ところが間もなく芽を出した柿は、三年めにりっぱな実をつけ、世人は聖人の法力に大いに驚いた——という話が、『親鸞聖人御一代記』にのっております。
柿にはいろんな種類がありますが、大別する甘柿と渋柿の二種に分けることができます。甘柿には丸型でひらたい富有《ふゆう》をはじめ、同じくひらたく、上に十文字に浅いみぞのはいっている次郎、禅寺丸《ぜんじまる》(枝柿)などがあります。一方、渋柿としては身しらず、愛宕《あたご》、蜂屋《はちや》、庄内《しようない》、御所《ごしよ》、玉川などがあります。九月下旬ごろ、渋抜きした御所柿がまず姿を見せ、それまでのくだものにない紅色で店頭を飾りますが、味はたいしたことありません。果肉がやわらかで保《も》ちが悪く、短期の出回りで終わり、次に角張った次郎、見ばえがして甘い富有がつづき、この間に小さい禅寺丸が出て、同時に渋抜きした身しらずが会津から大量に出荷されます。このあとには大振りのとがった蜂屋、暮から正月には愛宕のさかりとなります。
蜂屋を樽につめ、焼酎《しようちゆう》で渋抜きしたものは、傷口などに焼酎が浸み込み、樽から出したてのものは、こたえられないうまさです。甘柿は、表面にふいた粉がはげていないものなら新しいもの。富有など、暮近くまでおいて霜にあたったものは、舌の上でとけるように熟成しています。柿はタンニンがあるので、食べ過ぎると便秘《べんぴ》しますが、酒を飲み過ぎたとき、柿を食べると、すぐに気持ちよく治ります。
水飲むがごとく柿食ふ酔のあと 虚子
近ごろは産児制限の知識が普及し、社会保障制度が曲がりなりにも行届いて、極端に貧しい人たちが少なくなり、むかしのように、みすぼらしい|みなり《ヽヽヽ》をした母親が、年の開きのない三人の子——ひとりは背中におぶい、両手にひとりずつの手を引いて連れ歩くといった哀れな情景は、都会では、あまり見かけなくなりました。一方、このたとえに用いられた|くだもの《ヽヽヽヽ》なども、|すいか《ヽヽヽ》をはじめ、いちご、柿……なども改良が加えられ、タネなし種《しゆ》が作り出されるようになって、どうやら、あまり適切なたとえとは言えなくなってきそうな気配《けはい》です。
日本古来のくだものである柿には、「猿蟹合戦《さるかにかつせん》」のむかしばなしをはじめ、いろいろな伝説、逸話、迷信などがあります。そのうちの一つ、真宗の開祖親鸞さまが諸国辺土教化の旅をつづけておられたとき、ある家で串柿をすすめられ、そのタネを三粒ほどいろりの火に投じ、半焦げにして庭に埋め、「我すすむる所の法、後盛んならば、この焼きた種より芽を生ずべし」と言って立ち去った。ところが間もなく芽を出した柿は、三年めにりっぱな実をつけ、世人は聖人の法力に大いに驚いた——という話が、『親鸞聖人御一代記』にのっております。
柿にはいろんな種類がありますが、大別する甘柿と渋柿の二種に分けることができます。甘柿には丸型でひらたい富有《ふゆう》をはじめ、同じくひらたく、上に十文字に浅いみぞのはいっている次郎、禅寺丸《ぜんじまる》(枝柿)などがあります。一方、渋柿としては身しらず、愛宕《あたご》、蜂屋《はちや》、庄内《しようない》、御所《ごしよ》、玉川などがあります。九月下旬ごろ、渋抜きした御所柿がまず姿を見せ、それまでのくだものにない紅色で店頭を飾りますが、味はたいしたことありません。果肉がやわらかで保《も》ちが悪く、短期の出回りで終わり、次に角張った次郎、見ばえがして甘い富有がつづき、この間に小さい禅寺丸が出て、同時に渋抜きした身しらずが会津から大量に出荷されます。このあとには大振りのとがった蜂屋、暮から正月には愛宕のさかりとなります。
蜂屋を樽につめ、焼酎《しようちゆう》で渋抜きしたものは、傷口などに焼酎が浸み込み、樽から出したてのものは、こたえられないうまさです。甘柿は、表面にふいた粉がはげていないものなら新しいもの。富有など、暮近くまでおいて霜にあたったものは、舌の上でとけるように熟成しています。柿はタンニンがあるので、食べ過ぎると便秘《べんぴ》しますが、酒を飲み過ぎたとき、柿を食べると、すぐに気持ちよく治ります。
水飲むがごとく柿食ふ酔のあと 虚子