マスを食べるとむかしの古傷が|うみ《ヽヽ》をもつ——ということですが、むかしの人はおもに菜食をしていたため、マスのようなものでも食べると精がつくと信じていたのでしょう。もちろん俗説です。同じようなことわざに「雉子《きじ》を喰えば三年の古疵《ふるきず》も出《で》る」がありますが、キジにしたところで、鳥肉の中では脂肪分の少ないほうで、しゅんの季節に食べたからと言って、精力の点では、カモほどのことはなさそうです。
マスはサケ科に属する魚で、大別すると海マスと淡水マスの二種に分けることができます。海マスにはカラフトマスをはじめ、ホンマス(サクラマス)・ベニマス・マスノスケ・ギンマスなどがありますが、多くはサケと呼ばれています。淡水産のマスとしては、ニジマス・ヒメマス・ヤマメ、それにイワナ科のカワマスもマスと呼んでいます。このことわざに登場するマスは、肉色から推《お》して考えると、あるいはベニマスだったかも知れません。
海の系統の魚で、産卵期にその卵を安全な場所に産むため河川にさかのぼってくる魚を遡河魚《そかぎよ》といいますが、卵からかえってある時期をすぎると幼魚は川を下って海に出て、ここで成長し、一定の年月が経つと再び生まれ故郷の河川に産卵場を求めて、遡ってきます。ところが遡河魚が何かの原因で海にくだることを妨げられ、生涯河川の中にとどまって、ここで大きくなり、繁殖するようになった魚があります。これがいわゆる「陸封魚《りくふうぎよ》」で、サケ科の魚はその代表的なものです。日本に見出される陸封魚としては、ヤマメ・アマゴ・ビワマス・ヒメマス・カワマス・ニジマス・イワナ・コアユ・ワカサギ・チカ・シラウオ・ハリヨ・イトヨなどがあります。サケ科の魚の中でもマスは陸封されやすかった魚と見えます。
マスは古名を「腹赤《はらか》」と呼び、景行天皇の御代、肥後の国、宇土の郡、長浜から漁師が献上したと『日本紀』に記されていますが、聖武天皇の御代にも太宰府から朝廷に献上され、以後毎年正月元旦に「贅《にえ》の魚」として、朝廷に献上する|ならわし《ヽヽヽヽ》となりました。年中行事「腹赤の贅を奏す」という歌に
初春の千代のためしの長浜に 釣れる腹赤も我が君のため
とあり、単なる献上魚としてだけでなく、「腹赤」は赤き心、直き心、誠心誠意を象徴し、この腹赤《マス》を通じて臣民が朝廷に忠誠を誓う|あかし《ヽヽヽ》となっていました。
こうした故事にあやかったのかどうか知りませんが、有名な富山の「鱒の寿《す》し」も、越中のうまいものとして、前田藩から将軍への恒例の献上品だったものが今日に伝わったものです。最近、温泉地で客寄せにさかんに使われるようになったマス釣り場のマスは、明治十年、アメリカ・カリフォルニア州の渓流からはるばる送られてきたニジマスの子孫です。釣りたてのものなら、塩焼き、フライ、すしなどにして賞味すると、おいしく召し上がれます。
鱒食ふや桜のつぼみなほかたし 菊池寛
マスはサケ科に属する魚で、大別すると海マスと淡水マスの二種に分けることができます。海マスにはカラフトマスをはじめ、ホンマス(サクラマス)・ベニマス・マスノスケ・ギンマスなどがありますが、多くはサケと呼ばれています。淡水産のマスとしては、ニジマス・ヒメマス・ヤマメ、それにイワナ科のカワマスもマスと呼んでいます。このことわざに登場するマスは、肉色から推《お》して考えると、あるいはベニマスだったかも知れません。
海の系統の魚で、産卵期にその卵を安全な場所に産むため河川にさかのぼってくる魚を遡河魚《そかぎよ》といいますが、卵からかえってある時期をすぎると幼魚は川を下って海に出て、ここで成長し、一定の年月が経つと再び生まれ故郷の河川に産卵場を求めて、遡ってきます。ところが遡河魚が何かの原因で海にくだることを妨げられ、生涯河川の中にとどまって、ここで大きくなり、繁殖するようになった魚があります。これがいわゆる「陸封魚《りくふうぎよ》」で、サケ科の魚はその代表的なものです。日本に見出される陸封魚としては、ヤマメ・アマゴ・ビワマス・ヒメマス・カワマス・ニジマス・イワナ・コアユ・ワカサギ・チカ・シラウオ・ハリヨ・イトヨなどがあります。サケ科の魚の中でもマスは陸封されやすかった魚と見えます。
マスは古名を「腹赤《はらか》」と呼び、景行天皇の御代、肥後の国、宇土の郡、長浜から漁師が献上したと『日本紀』に記されていますが、聖武天皇の御代にも太宰府から朝廷に献上され、以後毎年正月元旦に「贅《にえ》の魚」として、朝廷に献上する|ならわし《ヽヽヽヽ》となりました。年中行事「腹赤の贅を奏す」という歌に
初春の千代のためしの長浜に 釣れる腹赤も我が君のため
とあり、単なる献上魚としてだけでなく、「腹赤」は赤き心、直き心、誠心誠意を象徴し、この腹赤《マス》を通じて臣民が朝廷に忠誠を誓う|あかし《ヽヽヽ》となっていました。
こうした故事にあやかったのかどうか知りませんが、有名な富山の「鱒の寿《す》し」も、越中のうまいものとして、前田藩から将軍への恒例の献上品だったものが今日に伝わったものです。最近、温泉地で客寄せにさかんに使われるようになったマス釣り場のマスは、明治十年、アメリカ・カリフォルニア州の渓流からはるばる送られてきたニジマスの子孫です。釣りたてのものなら、塩焼き、フライ、すしなどにして賞味すると、おいしく召し上がれます。
鱒食ふや桜のつぼみなほかたし 菊池寛