みょうがはおそらく大むかし、インドあたりから渡来したものでしょうが、今では日本特有の野菜の一つに数えられています。山野の湿地に自生する多年生草本で、晩春には緑色の若芽を出し、その形がちょっと篠竹《しのたけ》のたけのこに似ているところから「みょうがたけ」と呼ばれます。香りがよく、風味もあるので、香辛料として、水にさらして、刺身のつまや酢のもののケン、料理のあしらいなどに用います。真夏のころ、淡紅紫色をした六、七片の苞《ほう》をかぶって、五、六センチのたけのこに似たつぼみを地上にあらわします。これを「みょうがのこ」と呼び、やがてこの頂《いただ》きに淡黄色の花を開きますが、花が開いてしまうと、中がうつろになって香味が落ちるので、花の咲かないうちが食べごろになっています。七、八月ごろあらわれるものを夏みょうが、九、十月ごろのものを秋みょうがと呼び、ともにそば汁や土佐じょうゆの薬味、卵とじ、刺身のつま、汁の実にするほか、ぬかみそ漬けなどにして賞味します。
むかしからみょうがを食べると、忘れっぽくなると言われ、真偽のほどは別としても、不眠症にきく民間薬として古くから用いられてきました。そのせいか、みょうがにはいろんなエピソードが伝わっています。その中でも有名なのが周梨槃特《しゆうりはんどく》の話です。槃特はお釈迦さまの弟子で、生来、|のろま《ヽヽヽ》で記憶力も悪く、仏道の修行も進まず、自分の名までも忘れてしまうというふうでした。ある人が気の毒がり、その名を書いた札を首にかけてやりました。すると、こんどは、その名札をかけたことも忘れてしまいました。そんな反面、非常に誠実な努力家であったため、晩年には、ついに悟道の域に達したと言われます。その槃特が死んで、遺骸を葬った墓地から草が生えてきたので、おおかた、名を荷《にな》ってきたものであろうと、それからこの草に「茗荷《みようが》」という名がつけられたという話です。ちょっと落《おと》しばなしみたいな伝説なので、皮肉屋の川柳子はさっそく「馬鹿らしい事は茗荷の謂《いわ》れなり」と批評しています。物忘れと言えば、江戸の古典落語にも『茗荷屋《みようがや》』という話があります。この話も槃特の話と同工異曲《にたりよつたり》で、よくない宿屋の亭主が、大金持った客と見て、その持金をなんとか忘れさせようと、しきりにみょうがを食べさせたら、客は宿賃の払いを忘れて、そのまま出立《しゆつたつ》してしまった——という筋です。「茗荷」は正しくは「※[#「くさかんむり/襄」、unicode8618]荷」と書かねばならぬものだそうですが、発音は同じミョウガであり、冥加《みようが》(神仏の加護、おたすけ、おかげ)にも通じるところから「弓矢の冥加に叶う」というわけで、武家などの紋所《もんどころ》としてむかしから尊ばれ、鍋島家の家紋が抱茗荷《だきみようが》だったところから、江戸の川柳子はまた、「茗荷でも馬鹿にはならぬ御家柄」と詠んでいます。
みょうがの葉には、めったに虫がつきません。葉の匂いが虫を寄せつけない作用があるからで、また、刻《きざ》んだみょうがの中では、バイキンが繁殖し得ないようだという人もおります。いずれにしても、みょうがは、自然に近い状態で香味を味わうのが正しい食べ方と言えましょう。
茗荷汁ほろりと苦し風の暮 草城
むかしからみょうがを食べると、忘れっぽくなると言われ、真偽のほどは別としても、不眠症にきく民間薬として古くから用いられてきました。そのせいか、みょうがにはいろんなエピソードが伝わっています。その中でも有名なのが周梨槃特《しゆうりはんどく》の話です。槃特はお釈迦さまの弟子で、生来、|のろま《ヽヽヽ》で記憶力も悪く、仏道の修行も進まず、自分の名までも忘れてしまうというふうでした。ある人が気の毒がり、その名を書いた札を首にかけてやりました。すると、こんどは、その名札をかけたことも忘れてしまいました。そんな反面、非常に誠実な努力家であったため、晩年には、ついに悟道の域に達したと言われます。その槃特が死んで、遺骸を葬った墓地から草が生えてきたので、おおかた、名を荷《にな》ってきたものであろうと、それからこの草に「茗荷《みようが》」という名がつけられたという話です。ちょっと落《おと》しばなしみたいな伝説なので、皮肉屋の川柳子はさっそく「馬鹿らしい事は茗荷の謂《いわ》れなり」と批評しています。物忘れと言えば、江戸の古典落語にも『茗荷屋《みようがや》』という話があります。この話も槃特の話と同工異曲《にたりよつたり》で、よくない宿屋の亭主が、大金持った客と見て、その持金をなんとか忘れさせようと、しきりにみょうがを食べさせたら、客は宿賃の払いを忘れて、そのまま出立《しゆつたつ》してしまった——という筋です。「茗荷」は正しくは「※[#「くさかんむり/襄」、unicode8618]荷」と書かねばならぬものだそうですが、発音は同じミョウガであり、冥加《みようが》(神仏の加護、おたすけ、おかげ)にも通じるところから「弓矢の冥加に叶う」というわけで、武家などの紋所《もんどころ》としてむかしから尊ばれ、鍋島家の家紋が抱茗荷《だきみようが》だったところから、江戸の川柳子はまた、「茗荷でも馬鹿にはならぬ御家柄」と詠んでいます。
みょうがの葉には、めったに虫がつきません。葉の匂いが虫を寄せつけない作用があるからで、また、刻《きざ》んだみょうがの中では、バイキンが繁殖し得ないようだという人もおります。いずれにしても、みょうがは、自然に近い状態で香味を味わうのが正しい食べ方と言えましょう。
茗荷汁ほろりと苦し風の暮 草城