相性がよく、うまいもの。
とろろの原料になる山芋は、わが国特産で山野に自生し、あるいは栽培される宿根性蔓草です。一般に野生のものは、山の芋または自然薯《じねんじよ》(自然生《じねんじよう》ともいう)と呼び、栽培種のものは長芋の名で呼んでいます。栽培種のものは地形によって変形または変種になったものが多く、中国の『薬性論』という古書には、「薯蕷《やまのいも》は人のこれを栽《う》うる所、ものに随って之を像《かたちど》るなり」と、この事実をいちはやく認めております。ひねしょうがのような形をしたものはつくね芋、熊の手のようなものは大和芋《やまといも》または伊勢芋《いせいも》、扇形のものを地紙芋《ぢがみいも》、またはいちょう芋の名で呼んでいます。
山芋の季節は十月から翌春四月までで、おいしいのは十一月と十二月です。地上の蔓が枯れるころともなると、地下茎に当たる芋の生長はストップして水分も少なくなり、えぐ味も弱くなって食べごろとなります。そのため、山芋掘りは葉の黄ばんだころに始まり、さかりは師走の雪空を控えた時期となります。野生の自然薯はほとんど日本各地の山野で穫《と》れ、『延喜式』にも、大和・摂津・伊賀・尾張をはじめ三八か国から貢物として献上されたことが記され、日本人との|つきあい《ヽヽヽヽ》の古さを物語っています。古来「山薬」と呼ばれ、正月松の内に山芋を食べると、中風にかからず、年内健康で暮らせると言い、漢方では強壮剤・腎虚《じんきよ》の薬として効きめがあると推賞しています。今日でもスタミナ源として大いに見直してよい食品です。
一方、カロリーの点から見ると、ビタミンや無機質こそ恵まれておりませんが、でんぷんを分解するのに有効なジアスターゼを、大根とは比較にならぬほどたくさん含んでいます。「麦飯《むぎめし》にとろろ汁」と言われるのも、とろろにふくまれるジアスターゼによって、麦めしの消化が促されるからです。ただし、ジアスターゼの効力は煮るとこわれてしまい、役に立ちません。
とろろ汁と言えば、だれでも東海道|丸子《まりこ》の宿を思い出すでしょう。丸子のとろろ汁が有名になったのは江戸時代以降、東海道に宿駅制度が布《し》かれてからで、参覲交代《さんきんこうたい》の大名に気に入られたことから急速に名が上がり、それからというもの、広重の版画や十返舎一九の『東海道中膝栗毛』にも取り上げられ、全国的にその名が知られるようになりました。
「梅若菜丸子の宿のとろろ汁」有名な芭蕉の句も、石碑に刻まれ、この地にあります。広重の描いた丁子屋はむかしぶりを残して現存し、一二代目に当たる主人は、県内で穫《と》れる自然薯を擂鉢《すりばち》でおろし、むかしながらの手法を生かして、とろろ定食を食べさせています。
山かけ、イクラとろろ、納豆とろろ、五色芋、千切りにした芋にのりと卵で形を整えた菊水……と、山芋料理の趣向は尽きませんが、やはり本命は麦とろ。吸収がよいので、いくら食べてもお腹《なか》をこわすことはありません。麦三米七の割合に、水かげんは少なめにして炊き上げ、青のりを入れ、のばしかげんのとろろをかけて食べる。とろろの味はこれに尽きます。
とろろ汁吾に齢の高さなし 誓子
とろろの原料になる山芋は、わが国特産で山野に自生し、あるいは栽培される宿根性蔓草です。一般に野生のものは、山の芋または自然薯《じねんじよ》(自然生《じねんじよう》ともいう)と呼び、栽培種のものは長芋の名で呼んでいます。栽培種のものは地形によって変形または変種になったものが多く、中国の『薬性論』という古書には、「薯蕷《やまのいも》は人のこれを栽《う》うる所、ものに随って之を像《かたちど》るなり」と、この事実をいちはやく認めております。ひねしょうがのような形をしたものはつくね芋、熊の手のようなものは大和芋《やまといも》または伊勢芋《いせいも》、扇形のものを地紙芋《ぢがみいも》、またはいちょう芋の名で呼んでいます。
山芋の季節は十月から翌春四月までで、おいしいのは十一月と十二月です。地上の蔓が枯れるころともなると、地下茎に当たる芋の生長はストップして水分も少なくなり、えぐ味も弱くなって食べごろとなります。そのため、山芋掘りは葉の黄ばんだころに始まり、さかりは師走の雪空を控えた時期となります。野生の自然薯はほとんど日本各地の山野で穫《と》れ、『延喜式』にも、大和・摂津・伊賀・尾張をはじめ三八か国から貢物として献上されたことが記され、日本人との|つきあい《ヽヽヽヽ》の古さを物語っています。古来「山薬」と呼ばれ、正月松の内に山芋を食べると、中風にかからず、年内健康で暮らせると言い、漢方では強壮剤・腎虚《じんきよ》の薬として効きめがあると推賞しています。今日でもスタミナ源として大いに見直してよい食品です。
一方、カロリーの点から見ると、ビタミンや無機質こそ恵まれておりませんが、でんぷんを分解するのに有効なジアスターゼを、大根とは比較にならぬほどたくさん含んでいます。「麦飯《むぎめし》にとろろ汁」と言われるのも、とろろにふくまれるジアスターゼによって、麦めしの消化が促されるからです。ただし、ジアスターゼの効力は煮るとこわれてしまい、役に立ちません。
とろろ汁と言えば、だれでも東海道|丸子《まりこ》の宿を思い出すでしょう。丸子のとろろ汁が有名になったのは江戸時代以降、東海道に宿駅制度が布《し》かれてからで、参覲交代《さんきんこうたい》の大名に気に入られたことから急速に名が上がり、それからというもの、広重の版画や十返舎一九の『東海道中膝栗毛』にも取り上げられ、全国的にその名が知られるようになりました。
「梅若菜丸子の宿のとろろ汁」有名な芭蕉の句も、石碑に刻まれ、この地にあります。広重の描いた丁子屋はむかしぶりを残して現存し、一二代目に当たる主人は、県内で穫《と》れる自然薯を擂鉢《すりばち》でおろし、むかしながらの手法を生かして、とろろ定食を食べさせています。
山かけ、イクラとろろ、納豆とろろ、五色芋、千切りにした芋にのりと卵で形を整えた菊水……と、山芋料理の趣向は尽きませんが、やはり本命は麦とろ。吸収がよいので、いくら食べてもお腹《なか》をこわすことはありません。麦三米七の割合に、水かげんは少なめにして炊き上げ、青のりを入れ、のばしかげんのとろろをかけて食べる。とろろの味はこれに尽きます。
とろろ汁吾に齢の高さなし 誓子