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食物ことわざ事典236

时间: 2020-01-19    进入日语论坛
核心提示:命は食にあり このことわざは中国の古い書物『管子《かんし》』の枢言篇に出てくる「命は食に属し、治は事に属す」に由来し、生
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命は食にあり

 このことわざは中国の古い書物『管子《かんし》』の枢言篇に出てくる「命は食に属し、治は事に属す」に由来し、生命は食べものによって保たれる——という意味のことわざです。一方「人の運勢は食にあり」と解する説もあります。有名なフランスの大食通、ブリア・サヴァランは、その著書『美味礼讃』(一八二六年刊)の冒頭「アフォリスム」の中で、「君はどんなものを食べて居るか言って見たまえ。君がどんな人であるかを言いあてて見せよう」と記しています。
わが国でも、江戸中期の観相家、水野南北が『修身録』(一八一三年刊)の中で、食物の質を|もと《ヽヽ》にして観相をすれば、百発百中であると記しています。
南北は若いころ与太者的な存在で、一八のころ、飲代《のみしろ》を得るために悪事を働き、投獄されました。そのとき、フト気付いたことがあります。それは入牢している罪人と、娑婆《しやば》でまじめに働いている人々との間に、相貌にたいへんなちがいのあることです。そのころから相学に興味を覚えたらしく、牢を出るとすぐ、町の人相見にみてもらったところ、「お前は剣難《けんなん》の相がある。あと一年の寿命だ」と言われておどろき、「どうしたら助かるか」を尋ねたところ、「坊主になれ」と教えられました。
そこでさっそく、近くの禅寺を訪ね「出家したい」と頼んだところ、住職は彼の人相を見て断わるつもりで「坊さんの修行は、なかなかに苦しいものじゃ。お前さんがこれから向こう一年の間、麦と大豆だけの食事を続ける修行ができたら、弟子にしてあげよう」と突放しました。
助かりたい一念で、沖仲士をしながら、麦と大豆を常食にして、ようやく一年経ち、勇躍、弟子入りの許しを得るため、禅寺へ行く途中、一年前に観てもらった人相見にばったり会いました。彼の顔を見るなり人相見は「剣難の相が消えている。あんたは大きな功徳《くどく》を積《つ》まれたろう。たとえば人助けをするとか……」と、尋ねました。「いや、別に人の生命を救けたり、よいことをした覚えはありません。ただ坊主になるための修行として、麦と大豆を食べてきたまでです」人相見は「それ、それ。あんたが節食したことが陰徳を積むことになったのだ」と教えました。
かくして、南北は坊主になることをやめ、苦学力行の末、後世、易聖と言われるまでになるわけですが、南北は単に人相を見るだけでなく、今日でいうメンタル・テストでしょうか、その心を試し、あるいはふだんの生活習慣を知るため、わざと客に粗茶をふるまい、また極端な粗飯を出して相手の態度をつぶさに観察し、心を見抜いて運勢の判断をしました。『南北相法極意』の自序には「是皆食の慎みと不慎《つつしまざる》とに有事を漸く爰《ここ》に覚ゆ。而后人を相するに先食の多少を聞是に依って生涯の吉凶を弁ずるに万一失なし。故に是を予が相法の奥義と定む」と、記されています。このように、人間は食べものによって性格や習癖は言うまでもなく、人相から人生観まで変わり、ひいては運命や寿命にも大きな変化のあらわれてくるものだということを、よくよく認識してほしいと思います。
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