陸中《りくちゆう》の国というのは、今の岩手県のことであります。むかし、むかし、そこにシロミという山がありました。このふもとのほうに金沢《かなざわ》という村があったそうです。ここに、ひとりの若者がおりました。ある日のこと、その男がシロミ山の奥《おく》の奥の、まだ一度も行ったこともないような、奥の谷間へ行ったそうです。すると、そこにひろびろとした畑があって、アワやオカボがみごとに金色にみのっておりました。
「あれ、こんなところに、こんな畑が。」
と、その男がフシギに思って、歩いて行きますと、その畑はずっとつづいていて、ダイコンやゴボウ、ニンジンなどが、きれいにうわっているところもあれば、トウモロコシやキビなどの、風にそよいでおる村もあります。それかと思うと、ところどころに、大きなクリの木があって、クリの実がいっぱいみのっております。また、カキやナシの大木も、あっちこっちの畑のなか、道のそばなどに立っております。
「いや、まったく、こんな村のことは、今の今まで聞いたこともなかった。」
若者は、そんな思いで、首をかしげるばかりです。だれか、そのへんに人でもいたら、ここがなんという村で、このへんの畑は、なんという人の持ち畑《ばた》か、そんなことも聞いてみたいと思うのですが、フシギなことに、人も見えない。人が見えないせいか、道のむこうの草のなかに、ヒョイと頭を見せたのは一ぴきのウサギ。野ウサギのようです。しかたなく、その野ウサギに、若者は声をかけてみました。
「おい——」
しかし、ウサギはその声におどろいたのか、くるりと後をむくと、ピョン、ピョン、ピョン、ピョン、はねていってしまいました。声におどろいたのは、ウサギばかりではありません。声を出した若者は、じつは少しおどろきました。今まで気がつかなかったのですが、この谷間、シーンとしていて、ほとんど声というもの、音というものがなかったのです。これで若者は首をかたむけ、いや、耳をかたむけて、その音を聞こうとしました。すぐそばで、草の葉が風にそよいで、さびしい音をたてていました。それから、どこか遠くで、二、三羽の鳥が鳴くらしい声が聞こえました。見ると、むこうに家があります。その家の門のあたりに立っている高い木の上で、ハトくらいの白い鳥が鳴きながら飛びこうているようです。
「でも、よかった。あそこに家がある。あの家へ行って、お話でもうけたまわろう。」
男はそう思うと、やっと、今までのなんとない不安の心もなごんできて、その家をさして歩いて行きました。
カブキ門というのですか。その家の門は、昔風の屋根のある門です。ちょうど、戸があいていたので、男は中へ入っていきました。門の両がわは長屋になっております。一方はウマヤのようです。一方は、その馬のせわをする牧夫《ぼくふ》とか、別当《べつとう》とかいうような人のいる部屋《へや》らしい構えです。男は、まず、馬より人間にあいさつしなければと考え、そっちの戸をたたいていいました。
「もし、わたしは金沢のものですが——。」
「——」
「えー、わたしは金沢村のものですが——。」
「——」
「えー、どなたかいらっしゃいませんか。」
しかし、シーンとしておるのです。
「だれもいないのかなあ。フシギな家だ。フシギな谷間だ。しかたがないや。もすこし人間をさがしてみよう。とにかく、お茶一ぱいでもごちそうにならなけりゃ。のどがかわいてきちゃったからな。」
これは、そのへんにだれかいるだろう。そうしたら、聞いて出てくるだろう。そういう考えから、ひとりごとにしては大きな、聞こえよがしのことばです。そして、ウマヤのほうに歩いて行きました。ところが、ウマヤを見ておどろきました。ずっと、頭をならべて、りっぱな駿馬《しゆんめ》が六頭も七頭もいるのです。
「へえ、これはたいしたものだ。」
男は馬好きだったので、一目で、それらの馬が、まず、金沢村などの百姓《ひやくしよう》に飼《か》われるものでないことがわかりました。畑やたんぼや、山仕事に使う馬もおれば、乗る専門の、いわゆる乗馬もおります。しかし、いずれも首を高く上げて、
「見たこともない男がきた。」
といわぬばかりに、耳をキッとつき立てました。なかには、鼻をならすものもありましたし、ひづめで、ウマヤの板の間を音高くふみならす馬もありました。白い馬。黒い馬。カメの甲形《こうがた》のもようのある馬。
しばらく、そこに立っていましたが、人のくるけはいもないので、男は家の玄関《げんかん》の方に歩きました。とにかく、大きな屋敷《やしき》ですから、門から玄関まで長い敷石《しきいし》がつづいていて、その右にはニワトリが何十羽と飼ってある竹垣《たけがき》があります。左は花畑になっていて、白いキクや黄色のキクがさいております。
「とにかくフシギなおうちだ。これだけのかまえで、いくらひろいおうちとはいえ、今までにひとりの人にも会わないとは、とにかくフシギなおうちです。」
またしても男は、こんなことをいいいい、玄関へかかりました。
「ハイ、ごめんなさい。金沢のものです。道にまよって、こんなところへやってきました。ごめんください。ごめんあそばせ——。」
そんなじょうだんまでいって、案内をこいましたが、まったく、人ひとりいないようです。家の中に人気《ひとけ》の音、あるいは声、そんなものがてんで感じられません。それでつい、ふざける気にもなったんです。しかし、まったくもの音ひとついたしません。それなのに、見ると、玄関のいろりには炭火が山のようにもりあげられております。男はそこでも、
「ごめんなさい。ごめんください。金沢の村のものです。」
声を大きくして、いってみました。やはり、なんの返事もありません。
「まったくフシギなことだな。これだけの家に人ひとりいないなんて、そんなことがあってたまるか。」
男は大きな声でいい、とうとう思いきって、
「ホントにいないんですか。だあれもいないんですか。」
声をはりあげました。そしてしばらく、そこに腰をかけて待っていました。やっぱりシーンとしているのです。そのうち、いや、もうまえまえからそうなのですが、男は少しこわくなってきたのです。どうしていいやらわからないのですが、きみがわるいのです。ハッとそのへんのものが消えて、そこが山の中になってしまうのではないかと思えたり、そっと、この家の奥をのぞいたら、なにか、たいへんなことが起っていたなんてことがありはしないか。そんなことも思われてくるのです。
「まあ、いいや、ここまで来て、このまま帰るわけにもいくまい。どっかの部屋に、ここの人もおられるんだろう。ちょっと上がって、おたずねしてみましょう。ええ、ごめんください。あがらせていただきます。」
男は山歩きのタビをぬいで、パッパッと、足のほうを手ぬぐいではらって、上にあがっていきました。りっぱなお座敷があります。ビックリするようなお座敷です。金ビョウブなど立ててあるのです。なにか、酒盛《さかもり》でも始まろうとしているのでしょうか。おぜんが、ずっと並んでおります。朱色の、うるしぬりのおぜんです。その上には、やはりこれも朱《あか》いおわんが、いくつもおかれており、中にはなにやらごちそうも入っております。しかし、男は気がとがめて、それで見る気はいたしません。お座敷のしきいぎわに立っているばかりです。しかしとにかく、ここはゆいしょのある旧家《きゆうか》と見えて、いくつもおいてある火ばちが、みんなカラカネ火ばちで、しかも大きくて、りっぱです。それにも火はドカドカとおこっております。そのとき、奥の方をのぞくようにしたのですが、そっちには土蔵《どぞう》などもいくつかあるらしく、どれくらい大きな家かわかりません。
すると、男はにわかに、おそろしさが、背中のほうからゾーッと影のようにやってきたような気がして、そこらに、ウロウロしておれなくなりました。そうなっては、一刻もじっとしておれません。大いそぎで山タビをはき、後をふりむき、ふりむき、かけるようにして、その家を出てきました。
それから、どこをどう歩いたか、わからないほどむちゅうで、その日の夕方、やっとシロミ山のふもとの自分の村近くにたどりついていました。それから、その日にあったことや、見たことを家のものにも、また村のものにも話しました。みんな、
「ウーム、それはかくれ里というものだ。今までそんな家もところも見たものがない。おそらく、もう一度行こうたって行けるところでない。」
そんなことをいいました。
それから日がたつにつれて、男はそのかくれ里のことが思われてなりません。もう一度行って見たくなったのです。
「そんなことがあってたまるか。」
そういう人もあるからです。
「それがホントなら、おれをつれて行け。あすでもいっしょに行ったるよ。」
そういうものもあったのです。そこで、何日かのち、男はひとりで、またそのかくれ里めざして出かけました。ところが、わかりません。シロミの山の中を、ここか、あそこかと、一日歩きまわったのですが、わかりません。そんな谷もなければ、畑もないし、家もないし。
「やっぱり、かくれ里というものか。」
そう思わないでおれませんでした。それでも、その後何年ものあいだ、男はひまさえあれば、そのかくれ里をさがしつづけました。が、ついにそれはわかりません。男にわからなかったばかりでなく、金沢村および、そのへんの人たちみんなが、よるとさわると、一時、その話でもち切りましたが、みんなそこを見つけようと、さがしまわったようすでした。しかし、たれひとり見つけた人もありませんでした。
ところが、それから何年かのち、もう金沢の男などもなくなったのちのことです。
おなじ陸中の国は和賀郡《わがぐん》、赤坂山のふもとに、鬼柳村というのがあり、そこに甚内《じんない》という男が住んでおりました。ある朝、早く起きて赤坂山の方を見ると、山のはしっこの松の木の下に、ひとり美しい女が立っていて、甚内を手まねきしております。フシギなことに思いましたが、甚内は人ちがいかと思って、あいてになりませんでした。
しかし、その翌日《よくじつ》、早起きして赤坂山を見ると、やはり若い美しい女がいて、おいで、おいでをやっております。それでも甚内はあいてにせず、その日はすぎました。しかし、三日四日、そんなことがつづきますので、ある日、甚内はその女のところへ行ってみました。と、女はたいへん美しく、しかもいかにもあいきょうよく、
「よくきてくださいました。さあ、どうか、こちらへ——。」
といいます。まるで、手を引くようにしてみちびかれ、二、三十歩も歩いたのでしょうか。もう見たこともないような景色《けしき》のなかへ入っていました。畑やたんぼや、果樹園《かじゆえん》がつづいており、花やくだものや、みのりものが、じつに美しくゆたかなありさまです。
「さあ、ここがわたしのうちなのです。」
そういわれて、見ると、これがりっぱな家なんです。ここに甚内は一月《ひとつき》あまり、ホントにたのしくくらすのですが、家がこいしくなって帰ってみると、そのあいだに三年たっていたという話です。
これもかくれ里の話で、そこには、その後甚内はいうまでもなく、村の人ひとりも行けたものはありませんでした。では、かくれ里のおはなし、これでおしまい。メデタシ、メデタシ。