むかし、むかし、あるところに、ひとりの琵琶法師《びわほうし》がありました。その琵琶法師はめくらでした。めくらでしたけれども、琵琶箱《びわばこ》を背中《せなか》におって、いつもひとりで旅をしていました。こつこつと、つえをついて、村から町へ、町から村へ、川をわたったり、山をこしたりして歩いていました。そして琵琶を聞きたいという人があれば、どこでも喜んでその琵琶をひき、平家物語《へいけものがたり》の一節《いつせつ》を語り聞かせたのであります。
ところで、ある日のこと、道にふみまよって、山の中にはいってしまいました。行っても行っても、里には出ないで、とうとうそこで、日が暮れてしまいました。西も東も山ばかりで、どうすることもできません。しかたがないので、一本の大きな木のかげに琵琶をおろし、そこで一晩野宿《ひとばんのじゆく》することにきめました。
それで、その大木にむかっていいました。
「もうし、山の神さま、わたしは道にまよって、このようなところにやってまいりましたが、夜になって、もうどうすることもできません。申しかねますが、今晩一晩、ここにとめていただきとうぞんじます。つきましては、お聞きぐるしゅうはございましょうが、旅の座頭《ざとう》(めくらのこと)の作法として、琵琶の一曲をお聞きに入れます。しばらくお聞きながしくださいませ。」
そういって、琵琶を取りだし、その木の下でひいたり、語ったりいたしました。そうすると、高いところから声が聞こえて、
「さてもさても、おもしろい。どうぞ、いま一曲語って聞かせてくれ。」
そういう声がしました。法師はふしぎに思いながらも、同じ平家物語のほかの一節を語り、琵琶をじゃんじゃんと打ち鳴らしました。そうすると、また高いところから、さっきのような声がして、
「これはおおきにありがたかった。さだめしつかれたことであろう。楽《らく》にして、休息するがよい。」
といいました。
しかし、法師は目が見えませんから、相手がどんな人かわからず、
「はい、ありがとうぞんじます。」
そういって、声のしたほうへ向いて、ていねいに頭をさげました。しかし、それからまもなく、遠くのほうから足音が聞こえてきました。だれだかわかりませんが、それはだんだん近よってきて、やがて法師の前でとまりました。それからその人がいいました。
「さ、おぜんを持ってまいりました。どうか、おあがりくださいませ。」
法師も、これにはびっくりしました。それで、なんと返事していいかわからず、「は、は。」というようなことをいっております。その人はおぜんを法師の前において、
「さあさあ、えんりょなしにおあがりなさい。」
と、すすめるのです。そしてまた足音をさせて、しだいに遠ざかり、どこかへ行ってしまいました。法師はしばらくぽかんとして、どうしたものかと考えておりましたが、もともと気のいい座頭であったうえ、ほんとうにおなかもすいておりましたので、
「それではえんりょなく、ごちそうになります。」
そういって、前の木にむかって、ていねいに頭をさげました。それから、手さぐりで、おぜんの上にさわってみますと、いろいろたくさんのごちそうがのっております。ごはんもあれば、おしるもあります。何か、にたようなものもあれば、焼いたようなものもあります。それも今つくったばかりなのか、あたたかくて、いいにおいがしております。目が見えたら、きっと湯気《ゆげ》なども立っていたことでありましょう。法師はそれをみな食べました。そして木にむかって、あつく礼をいい、その晩はそこに寝てしまいました。
すると、そのあくる朝のことであります。目がさめると、どこからかひとりの猟師《りようし》が出てきました。その猟師がこういいました。
「琵琶法師さん、あなたを人里のあるところまでご案内申せといいつけられてきたのですが、このうつぼにしっかりつかまって、わたしのあとについておいでなさい。」
そして、毛皮の太い筒《つつ》のようなもののはしを、その座頭の手ににぎらせました。うつぼというのは、猟師が矢を入れて、肩にかけたり、背中におったりする毛皮の筒なのです。この座頭にも、その人が猟師だということがわかったのです。
「ありがとうぞんじます。ありがとうぞんじます。わたしは、ほんとうに、これからどうしようかと、大心配をしておりました。」
法師はそういって大喜びをいたしました。まったくその猟師がきてくれなかったら、法師はどうすることもできなかったのでしょう。そこで大いそぎで身ごしらえをして、一生けんめいそのうつぼのさきをつかんで、猟師のあとについて歩いて行きました。だんだん山をおりてきますと、やがて谷川の水の音が高く聞こえだしてきました。また遠くから犬のワンワンという声、にわとりのコッケコーウと鳴く声などもかすかに聞こえてきました。村が近くなったのです。そこで法師は案内の猟師にいいました。
「猟師さん、猟師さん、もう、村里も近くなったようですが、そのへんに木を切っている人とか、草をかっている人とか見えませんでしょうか。」
しかし、猟師はなんとも返事をいたしません。返事をしないばかりか、法師ににぎらせているうつぼのさきに、猟師のへんにそわそわしておちつかない気分がひびいてきました。さっさっと山道をおりて行くのですが、猟師はふうふうと、あらい息づかいをし、胸《むね》にどきんどきん、どうきなども打たせているようです。
「猟師さん、すみません。さぞおつかれでございましょうな。」
法師は、猟師がつかれたのだと思ってそういいました。しかし、その猟師は、やはり返事をせず、ふうふうばかりいっております。
そのうち、村の子どもらが、おおぜい、何かがやがや話しあいながら、山へはいってくるのが聞こえました。と思うまもなく、そのうちの子どものひとりが、ふいに大きな声をだしてさけびました。
「あれあれ、あそこを見ろ! そら、あんな座頭の坊《ぼう》さんが、オオカミのしっぽをつかんで山をおりてくる。」
子どもたちは、その子どもの指さすほうでも見ているのか、ちょっとだまっていましたが、ただちに、ワーッとはやしたてました。すると、今まで道案内をしていた猟師があわててうつぼを座頭の手から引きはなし、ものをいわずにもとの道へ、山を上へと走って行ってしまいました。そのときの足音が座頭にはどうも四つの足音のように聞こえました。あとで聞きましたら、猟師と思っていたそれが、やはりオオカミだったそうであります。
それから琵琶法師はその道をくだってきますと、道ばたの草をかっている草かりの男に出あいました。そこで、
「もしもし、そこで草をかっておられるかた、わたしはごらんのとおり、めくらの琵琶法師でございますが、山の中で道にまよい、昨日から、なんとも難儀《なんぎ》をいたしております。おそれいりますが、ここの村の村長さんのお家まで案内していただけませんでございましょうか。」
このようにていねいにいいました。すると、その草かる人も、よい人とみえまして、すぐ手を引いて、村長さんの家へつれて行ってくれました。そこで、琵琶法師は昨日からのことをくわしく村長さんに話しました。
すると、村長さんは、
「なるほどなるほど、それではじめてよくわかりました。」
そういって、さもよくわかったように二度も三度も手を打ちました。それからつぎのような話をしました。
「じつは昨晩のことです。わたしのうちの小さな子が、とつぜん妙《みよう》なことをいいだしたのです。——おれはこの山の山の神だ。今夜はめずらしい客人があるのだから、何かごちそうをこしらえて、山へ持って来て、大木の下に休んでいる人にさしあげろ。おそくなると、この子の命をとってしまうぞ。——そういってひっくりかえり、手足をバタバタさせてあばれるしまつです。家じゅう大心配で、ともかくもいそいでおぜんをこしらえ、人に持たせて山へ出したのです。山の神さまのお客というのは、それではあなただったのですね。よっぽど琵琶がおじょうずと見えますね。」
そして、この琵琶法師をたいそう尊敬して、
「どうかここに何日でもおとまりになって、琵琶を聞かせてくださいませ。」
と、たのみました。
法師がそれをどんなにありがたく思ったか、いうまでもありません。しかしこれは、むかし、むかしのお話です。今では、もうどんないなかへ行っても、このような琵琶法師のひく琵琶の音《ね》を聞くことはできません。