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日本むかしばなし集11

时间: 2020-01-19    进入日语论坛
核心提示:姉と弟むかし、むかし、あるところに、貧乏《びんぼう》な姉と弟とが住んでおりました。弟は学校へ行っておりました。学校といっ
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姉と弟

むかし、むかし、あるところに、貧乏《びんぼう》な姉と弟とが住んでおりました。弟は学校へ行っておりました。学校といっても、むかしのことです。このごろのような学校はありません。お寺なんかで、和尚《おしよう》さんが、村の子どもたちを集めて、習字を教えたり、そろばんを教えたりしておりました。で、その学校を寺小屋《てらこや》といいました。すれば、その弟もその寺小屋にかよっていたのでありましょう。
さて、その弟は、たいへんいい弟でした。いや、ねえさんも、いいねえさんでした。ふたりはなかがよかったのです。だって、ずいぶん、貧乏だというのに、ねえさんがひとり働いて、弟を寺小屋へだしてくれるのですから、弟は勉強せずにおられません。また、ねえさんのいうことをよく聞いて、なかよくせずにはおれません。そこでもう寺小屋でも、ならうことが、みんなよくできて、習字でも、そろばんでも、それから、論語《ろんご》というむずかしい本の読みかたでも、一番という成績でした。だから和尚さんも、この弟をかわいがって、なんでもかでも、センマツ、センマツとよんでいたそうであります。ユキノセンマツというのが、この弟の名で、ハナノセンマツというのが、ねえさんであります。で、そのユキノセンマツが書きかたのお清書でもすると、和尚さんは、すぐ、それを正面の壁にはりだして、
「どうだい、このお清書は、え、この中にこれだけの字の書ける者がいるかい。書けると思う者は手をあげて——」
そんなことをいうのでした。そして、ひとりも手をあげる者がないと、
「五十人もいて、ひとりもセンマツにかなう者がないとは、なんとなさけないことじゃないか。それというのも、みんなの勉強がたりないからじゃ。それ、そこにいる七五郎など、どうだ、さっきから見ておれば、習字はしないでいたずら書きばかりしている。ね、これをみんなに見てもらえ、いい字の書けないはずじゃないか。」
そういいながら、和尚さんは、その七五郎という子どもの書いた、へのへのもへじを、センマツの清書とならべて、はりだしました。みんなは一度にワッと笑いました。
こんなありさまですから、みんなはセンマツのよくできることを、うたがう者はありませんでした。しかし、今の七五郎のように、センマツとくらべてしかられるものですから、しだいに、なんかセンマツを悪く思う者が出てきました。もとより、七五郎もそのひとりです。そうして、寺小屋から家へ帰るとちゅうです。まず七五郎がいいました。
「おい、センマツ、おまえのうちには、扇《おうぎ》っていうものが、あるかい。」
「扇、あおぐ扇かい。」
「そうだよ。」
「ウーン、そうだなあ。」
ついセンマツは考えてしまいました。あったかどうか、思いだせないのです。すると、三太郎という子どもがいうのでした。
「へえ、センマツのうちには、扇がないのかい。おれのうちなんか、五つも十もあらあ。金や銀のピカピカだってあるよ。あす、みんな扇を持ちよって、扇くらべっていうのをするんだよ。一等、二等、三等、ほうびなし。だけど、びりから一等の者はみんなの前で顔にすみをぬられるのだ。持ってこなかった者も同じ。いいかい。センマツはなかったら、すみぬられるんだね。ハハアーン。」
センマツは、弱ってしまいました。それで、七五郎、三太郎たちに、ものもいわず帰ってきたのですが、ねえさんに、そんなことをいうわけにもいかず、だって、家にそんなりっぱな扇のあるはずもありませんから、ふとんをしいて、ふとんをかぶって、部屋のすみにねころんでおりました。そうすると、日暮れごろに、ねえさんが帰ってきました。そうして、そのありさまを見て、ふしぎに思ってたずねました。
「おまえ、どうしたの。」
弟のセンマツがいいました。
「だって——」
そうして、きょう寺小屋から帰るとちゅうであった話をしました。
「心配することはない。あすの朝までには、ねえさんが、いいようにしておいてあげます。」
そういって、晩のごはんをつくりました。ふたりはなかよくごはんを食べ、弟はすぐ安心して寝ました。
「それ、これを持っておいで。」
といって、出してくれた扇は、センマツがひと目見ただけで、悲しくなるような、そまつな扇でした。古い扇の骨《ほね》に紙をはって、それをたたんだだけのものなのです。
——これはこまった。きょうはきっと顔にすみをぬられる——
と、そうセンマツは思いましたけれども、せっかく、ねえさんがつくってくれたものですから、
「はい、ありがとう。ねえさん、すみませんでした。」
そういって、それを持って、家を出ました。寺小屋では、三太郎や七五郎は、みんなピカピカの扇を持ってはしゃいでいました。そうして、センマツがあとから行くと、それらの扇を開いて頭の上にさしあげ、おどけたおどりを、おどるようなようすをして、はやしました。みんないい扇を持ってきて、うれしくてたまらないのでしょう。それに、きょうこそセンマツを負かして、その顔にすみをぬろうという悪い考えで、喜んでいる者もあったのです。まず、七五郎がいいました。
「さあ、センマツ、おまえの扇を見せろ。」
しかたなくセンマツは、そのそまつな扇を出しました。すると、七五郎は、それを手に取って、
「ハハアーハハハハ。」
笑いだしてしまいました。まったく、開いて見るまでもないそまつなものでした。しかし三太郎が、それを横取りして、
「中を見ろ。中を見ろ。中は金ピカかもしれないぞ。」
そういって、中を開きました。ところが、中には花のさいている一枝《ひとえだ》の梅《うめ》の木に、一羽《いちわ》のウグイスがとまっている絵がかいてありました。昨夜、ねえさんがかいたのでしょう。まだすみの色もよくかわいていない、かいたばかりのものでした。けれども、その絵を開くと、そこにいて、それを見ていた子どもたちが、シーンとして、ものをいわなくなってしまいました。だって、まず、プーンと梅の花のにおいがしてきたのです。つづいて、ホウホウと、ウグイスの鳴き声が始まってきたのです。みんなは、ふしぎがって、前や後をながめました。この扇以外に、どこにもウグイスはおりません。梅の花もさいていません。ところが、やがて、その絵の中のウグイスが、絵の中の梅の枝で、パッと羽を動かしたと思うと、どうでしょう、もう扇を持っている三太郎の肩の上に飛びうつってしまっていたのです。そうして、そこで、首をのばし、頭をあげて、ホウホケキョウと、それはいい声で鳴きました。つづいて、二三度も鳴いたでしょうか。鳴いたと思うと、バタバタとたって、また扇の中の梅の枝に帰り、そこで、もとのような絵になってしまいました。
三太郎はぼんやり扇を持ちつづけていましたが、センマツはだまって、その扇を取り、もとのようにたたみました。と、そのときになって、みんなが夢《ゆめ》から目がさめたように、口々に話しだしました。
「いい声で鳴いたねえ。」
という者があれば、
「あの梅のにおいで、おれ、ちょっと、お正月のような気がしたぜ。」
そんなことをいうものもありました。しかし三太郎も七五郎も、これで扇くらべなど、忘れたようにだまってしまって、コソコソと自分の席につきました。だれから見ても、センマツのウグイスの鳴く扇に、かなう扇が一本だってあろうと思えなかったからであります。
ところが、それから何日かした時のことです。こんどは、三太郎が考えだして、船くらべをしようということになりました。三太郎も七五郎も、りっぱなおもちゃの船を持っているのです。それをお寺の池にうかべて、やっぱり扇の時のように、いちばんそまつなものを持って来たものの顔に、墨《すみ》をぬろうというのです。
この時もセンマツは家に帰って、ふとんをかぶって寝ていました。寝ているセンマツを見て、そのことわけを聞くと、やっぱりねえさんはいいました。
「心配しなさんな。あすの朝までには、ねえさんがいいようにしておいてあげます。」
そして、あくる朝になりますと、やっぱり一つの船を作っておいてくれました。しかし、その船は、いかにもそまつなもので、船形に切った古い板ぎれ一枚だけのものでした。センマツには、寺小屋へ持っていく元気も出ないくらいに思えました。でも、ねえさんがせっかく作ってくれたものですから、
「ねえさん、すみません。」
そういって、持っていきました。
ところが、どうでしょう。いよいよ船くらべの時になって、これを池の上にうかべると、船の上にのせてあった、三つの小さい土の人形が、そばにおいてあった木ぎれをとって、エッサ、エッサ、エッサとこぎだしました。そうして他の船はりっぱでも、みんな風や波にゆられて、あちらへ流され、こちらへただよっているあいだに、センマツの船だけは、たいへんな早さで、池をグルグルいくまわりもいたしました。
これを見た子どもたちは、みんなもう大喜びして、ワッショ、ワッショとその船について、池をまわって走りました。
そこで、こんどもセンマツの船が一等になって、七五郎や三太郎たちは、だまってコソコソ自分の船を池から引きあげ、机の下にかくしてしまいました。そしてそれからのちは、もうセンマツと、なんでも競争しようなんて、いわなくなりました。めでたし、めでたし。
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