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日本むかしばなし集12

时间: 2020-01-19    进入日语论坛
核心提示:米良《めら》の上《じよう》ウルシむかし、むかし、日向《ひゆうが》の国の米良の山里に、安左衛門《やすざえもん》と十兵衛《じ
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米良《めら》の上《じよう》ウルシ

むかし、むかし、日向《ひゆうが》の国の米良の山里に、安左衛門《やすざえもん》と十兵衛《じゆうべえ》というふたりの兄弟《きようだい》が住んでおりました。ふたりはその米良の山奥《やまおく》へはいって、ウルシの木からウルシをかき取って、それを売ってくらしておりました。ウルシをかき取るというのは、ウルシの木にきずをつけて、そこから流れ出る木のしるを、木ぎれか何かでかいて取ることであります。
それで、その日も兄の安左衛門はカマを持って家を出ました。それでウルシの木にきずをつけるためなのです。山をのぼり、谷をわたりして、山奥のほうへ行っておりますと、谷川の淵《ふち》のさきに出ました。深い淵です。大きな淵です。そこまで谷川はひじょうないきおいで、まるで競走のように流れてきたのですが、ちょうどその淵の上が滝《たき》になっていましたので、水はそこから、まっさかさまに、淵をめがけてとびこむようでした。滝のいきおいといい、それがあげている水のしぶきといい、滝を見た者は、そんな気がするのでした。
しかし、水は、淵の中に落ちこんでみると、そこの深さと広さにぼんやりして、たくさんの水がくるりぐるりとうずをまいて流れている方向に、自然にまきこまれていくのでした。だから、その淵は大きく、そして、深かったのです。きれいな水でしたが、底はあおあおとして、何メートルあるかわかりませんでした。
ところで、兄の安左衛門が持っていたカマを、この大きな淵の中に落としました。どうしたらよいでしょう。カマは底にしずんでしまったのです。しかし心配はいりません。安左衛門は泳ぎがじょうずだったのです。すぐ、はだかになって水にとびこみ、底のほうにもぐって行きました。だんだん深いところにはいって行きますと、安左衛門はびっくりしました。もうカマを取るどころではありません。
だって大きなこの淵の底が、いちめんのウルシなのです。黒々として、つやがあり、光があるりっぱなウルシなのです。ほんのすこし、小さな器に一ぱいのウルシでさえ、よいねだんに売れるそのウルシが、この淵の底に、何リットル、何キロリットルとしれないくらいたまっているのです。喜ぶまいと思っても喜ばずにはおれません。われを忘れて水の上にうかびあがってきました。
考えてみますと、大むかしから、この山々のウルシの木のしるが、雨で谷川に流れだして、それがこの淵にきて、こんなにたまったものと思われました。それというのも、ウルシはいつまでたっても、かびたりくさったりしないものだからであります。しかし、安左衛門は喜びました。もう山へはいって、すこしずつのウルシをかいて集めることはいりません。ここに、この水底に、取ろうと思えば、どんなにたくさんのウルシでもあるのです。それで、毎日この淵にきて、すこしずつウルシを取りだし、それをたいへんよいねだんに売って、だんだんとお金をこしらえました。
これを見て、近所の人たちは、ふしぎに思いました。そして、
「安左衛門さんは、どこで、あのような上等なウルシを手に入れるんだろうか。」
こんなことをいいあいましたが、わかりません。けれども弟の十兵衛は、そのころ、兄の安左衛門が自分といっしょに行かず、いつもひとりでかくれるようにウルシを取りに行くのが気になっていました。何かわけがあるにちがいないと思いました。それで、ある日、そっと兄のうしろからついて行ってみました。すると、兄は淵の底からウルシを取ってあがってきました。これを見ると、弟も、
(なるほど、これはよいところがあった。これなら、ウルシを取るなんてわけのないことだ。)
そう考え、自分も淵にはいって、そこからウルシを取ってきて売るようになりました。ところが、今まで自分ひとりでよいことをしていた兄の安左衛門は、これがどうも気に入りません。どんなにたくさんのウルシでも、自分ひとりのもののように思っていたのですから、弟に取られたくありません。
しかし、そうかといって弟に、「あれはおれのものだ、取っちゃいかん。」そんなことはいえません。だって、淵の底にたまっているので、だれのものでもないからです。それで安左衛門は考えました。
(どうかして、だれにも取らせず、自分ひとりで、いつまでも取っていたいものだなあ。)
いろいろ考えたあげく、安左衛門は、よいことを考えつきました。町のほりもの師のところへ行って、大きな竜《りゆう》の形を木でつくってもらいました。
竜というものを知っていますか。
からだは何メートルとある大蛇《だいじや》のすがたです。しかも角《つの》があり、うろこがあり、手足もあるのです。そして、自分で空から雲をよびおろし、それに乗って、天にのぼって行くという、おそろしい生きものです。いや、むかしは神さまのようにおそれられ、尊ばれ、生きものなどとはだれもいわず、思いもしなかったようです。
なんにしても、そんなおそろしい竜なのですが、兄の安左衛門は、その大竜の形を木でつくってもらい、その角やうろこに赤や青の絵の具をぬり、目は金や銀でいろどり、まるで生きてる竜のとおりにつくって、それを、だれにも知られぬように、そうっと、谷川のその淵へ持って行って、しずめました。それも、ちょうど、滝の落ちるところの水底へ、ウルシのあるほうへ頭を向けてしずめておきましたので、落ちてくる水の力で、その竜は自然に頭を動かすようになっていました。水が静かに落ちているときには、それは静かに頭をゆするようでした。水がはげしく落ちるときには、それこそおどりあがり、おどりあがるように頭をふり、からだをゆすって、うねりくねりするのでした。まるで今にもとびかかってくるような、おそろしいすがたでした。
それで、兄の安左衛門も、
(これなら弟ばかりか、だれひとりこの淵にはいってくる者はあるまい。)
と、おおいに安心いたしました。
で、そのつぎの日のことです。安左衛門は、
(今に弟がやってきて、淵にウルシを取りにはいって行くだろうが、竜を見てどんな顔をするだろう。)
と早くから、ふちの近くにきて待っていました。
弟の十兵衛はそんなこととは知らず、その日もそこへやってきて、はだかになって淵の中にとびこんで行きました。
しかし、水底のほうへ行ってみると、これはたいへんです。大きな竜が、目をいからしてにらんでおります。ウルシどころではありません。それで、ほうほうのていでうかびあがって、きものを着るのもそこそこ逃げて行ってしまいました。
これを見ていた兄の安左衛門は、まず安心安心、これからは自分ひとりで、自由自在にウルシを取ることができると、大喜びで、すぐ、ウルシの入れものを持って、水の中にとびこんで行きました。
ところが、どうでしょう。自分が町のほりもの師にたのんで、たしかに木でつくってもらった竜で、しかも、きのうそこに持ってきてしずめたばかりの竜なのですが、それがなんと、一晩《ひとばん》のうちに魂《たましい》がはいり、今はほんとうに生きているのでした。安左衛門がウルシを取ろうと、そちらへ近よると、たいへん大きな口をあけて、安左衛門ひとのみと、とびかかってきました。こんなはずはないと、何度ももどっては、また行きなおして見ましたが、何度行っても、もう竜は生きたほんとうの竜になっていました。こんなことなら、はじめからふたりでなかよく、ウルシを取っていればよかったと後悔《こうかい》しましたが、もう、どうすることもできませんでした。
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