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日本むかしばなし集17

时间: 2020-01-19    进入日语论坛
核心提示:木仏長者《きぼとけちようじや》 むかし、むかし、あるところに、ひとりの貧乏《びんぼう》な男がありました。貧乏で貧乏で、ひ
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木仏長者《きぼとけちようじや》

 むかし、むかし、あるところに、ひとりの貧乏《びんぼう》な男がありました。貧乏で貧乏で、ひとりではくらしがつかないものですから、ある長者の家に奉公《ほうこう》しておりました。
ところで、その長者の家にりっぱなこがねづくりの仏像《ぶつぞう》がお祭りしてありました。その貧乏な男は生まれつき信心《しんじん》ぶかい男でしたから、その金の仏さまをおがみたいおがみたいと、いつも思っておりました。しかし、その金の仏像は長者の家の仏壇《ぶつだん》の奥《おく》にしまってあって、一年のうちに、ほんとにかぞえるほどしか、おがむことができませんでした。だって、その仏壇の戸は一年のうちかぞえるほどしか、開かれなかったからであります。で、その男は思いました。
「一生のうち一度でいい。あのようなりっぱな仏像を、自分の仏壇において、ぞんぶんおがんでみたいものだ。」
けれども、自分は奉公する身分ですから、いくらそんなことを考えても、ただもう、考えるばかりでありました。
ところが、ある日のこと、山へ木を切りに行きますと、ちょうど仏さまのような形をした木ぎれが一つ木の下に落ちていました。信心ぶかい男ですから、
「ああ、もったいない、もったいない。」
と、すぐそれを拾いあげ、枝《えだ》の上に祭りました。そして、
「ナムアミダブツ、ナムアミダブツ。」
と、その前に手をあわせて、おがみました。帰るときには切った木の上にそれをのせて、大切にうちに持って帰りました。うちでは、また自分の寝部屋《ねべや》のたなの上に祭って、日に三度、自分の食べるおぜんを、まず、その木ぎれの仏さまにそなえました。そして、何度も何度もおがんだり、おじぎをしたりしたすえ、そのおぜんをさげて、それから、そのおさがりを食べるということにして、自分の食事をするのでありました。
ところが、それが、木でもほんとうの仏像ならいいのですが、なにぶん仏像のような木ぎれでしたから、長者の主人をはじめ、やとい人たちが、本気でその男がおがんでいるのを見ると、もう、おかしくてたまりません。クスクス、クスクスと笑う者があれば、ハッハ、ハッハと笑う者もありました。
しかし、その男は笑われても、からかわれても、毎日毎日、長年のあいだ、その木ぎれをおがみつづけました。三度のおぜんのおそなえも、ずっとかかすことなく、つづけていました。
ところで、一方長者の主人ですが、この男が、とても安い給料《きゆうりよう》で、ほんとによく働くものですから、こんないいやとい人は、またとないと考えておりました。そして、もし、ほかのうちへ奉公するなどといいはしないかと、心配しておりました。どうかして、自分のところで、いつまでも安い給料で働かせておきたいものと考えておりました。それについて、いい工夫《くふう》はないかと、首をひねっておりました。と、その仏像の形をした木ぎれのことが、フト頭にうかんできました。それで、
「そうじゃ。これは、いい考えだ。」
そういって、さっそく、その男をよんでこさせました。そして、いいました。
「これこれ、おれは、いいことを思いついたのだが、どうじゃ、ひとつやってみる気はないか。おまえの木仏と、おれの金仏《きんぼとけ》と、ひとつ、すもうをとらせてみようというのだが、どうじゃ、おもしろい考えじゃろうが。それで、しかし、おまえの木仏が、おれの金仏に負けたら、おまえは、一生おれのところに奉公しなきゃならない。だが、そのかわり、おれの金仏が、おまえの木仏に負けたらばじゃ、そのときは、おれのこの身代《しんだい》を、すっかり残らず、かまどの下の灰《はい》までやる。どうじゃ、え、どうじゃ、ひとつやってみる気はないか。いや、木仏金仏にやらせてみる気はないか。」
これを聞いて、その男はおどろきました。だって、自分の仏さまは、毎日三度のおぜんをおそなえして、ナムアミダブツ、ナムアミダブツと、一生けんめいおがんではおりますものの、もともと、山の木の下から拾ってきただけの一つの木ぎれです。とても、主人のりっぱな金の仏さまなどとすもうのとれるようなものではありません。自分のほうが負けて、この家に一生安い給料で奉公しなければならないことはわかりきっているのです。
それで、その男は、じっとうつむいたまま、どういってこれをことわろうかと考えこんでおりました。すると、長者の主人は、もうそのあいだに、下男下女《げなんげじよ》の奉公人をすっかり集め、そしてみんなの前でいいました。
「これから、おもしろいものを、おまえたちに見せてやろうと思う。それは仏さまのおすもうじゃ。一つはこれの持ってるあの木仏さまじゃ。一つはおれの持っているあの金仏さまじゃ。どちらが勝たれるか。みんなに立ちあってもらいたい。それというのも、この勝負には大きなものがかけてあるのじゃ。まず、おれの金仏さまが負けられるようなことがあったら、この家の身代ひとつ残らず木仏どのの主人にさしあげる。しかし、金仏どのが勝たれるようなことになったらば、そのときは、木仏の主人はこの家に一生涯《いつしようがい》、命のおわりまで奉公してくれるという約束《やくそく》だ。どうじゃ。おもしろい見ものであろうが。で、さっきもいうとおり、おまえたちにはこの大ずもう、大勝負《だいしようぶ》の立ちあい証人になってもらうのじゃ。いいか。」
長者の主人にこういわれてみると、その木仏の男はもうことわることもできなくなり、青くなって、自分の寝部屋へかけこみました。そして、木仏さまに合掌《がつしよう》していいました。
「木仏さま、木仏さま、たいへんなことが起きてきました。うちのだんながかくかくかような難題《なんだい》をおれに持ちかけてまいりました。それでおれは一生もここに奉公してはかなわないし、それにおまえさまをみんなの前ですもうに負けさせるのは、それにもまして残念に思うので、これからおまえさまを背《せ》おって、ここを逃《に》げだそうと思っております。どうもすまないけれども、そう承知していてくださいませ。」
そういっておがみました。すると、木ぎれの仏さまが、
「これこれ、さわぐでない。」
といいました。
ハッと思って、その男が頭をあげますと、その木ぎれの仏さまが、またいいました。
「心配するな。金仏どのとおれは、ひとつ勝負をやってみよう。」
男のほうでびっくりしておりますと、もう、あちらではだんなが、
「おいおい、なぜ早く木ぎれ仏を持ってこないか。」
と、よびたてております。しかたなく、男は、
「それでは木仏さま、どうぞ、よろしくおねがいいたします。」
そういって、手をあわせて、もう一度おがみ、それからだんなのいる広間へその仏像を持ってかけて行きました。
広間では、もうおおぜいの下男下女がずらりとまるく輪《わ》になって、すもうの始まるのを待っていました。その輪の中には土俵《どひよう》のようにまるくすじが引いてあり、長者がそばにうちわを持ってひかえていました。それで、その木仏をそこへ持ちだしますと、長者は、金仏と木仏を土俵の両はしに、向きあうようにおきました。それから、自分で仏さまに、
「仏さま、仏さま、あなたがたおふたかたに、ここでこうして、すもうをとっていただきまするは、かくかくかようのしだいでござります。つきましてはどうか、それぞれの主人に恥《はじ》をおかかせくださいませんよう、また身代をなくしたり、一生奉公したりするようなことにならないよう、どうか一生けんめいのお働き、自分も下男もあいともどもにおねがい申しあげまする。それでは、すもうの作法《さほう》にしたがいまして、えいや、見あって、見あって——」
こんなことをいって、両仏像のあいだへさしだしていたうちわを、サッと後へ引きました。すると、これはどうでしょう。なんともふしぎなことに、二つの仏像は、ぐらぐらぐらぐらと動きだし、それからだんだん近よって行きました。そして、ついには、たがいにからだをからみあわせたり、押《お》したり押されたりするようになりました。
これを見ると、みんなはただもう、びっくりするばかりで、一時は声もよう出しませんでしたが、そのうち、それぞれ両方にわかれて、木仏に味方する者もあれば、金仏に味方する者もでてきました。
「木仏どの、木仏どの、それ、そこじゃッ。もう一息、力をおだしなさい。そーれ、ウーン。」
こんなに見物人で力を入れる者がありました。と、また金仏のほうでも、
「金仏どの、金仏どの、負けてはならない。負けてはならない。あなたの力に、この身代がかかっているのじゃ。それ、そこを、もうひとふんばり、あああ、あぶない、あぶない。」
そんなことを口々にいって、どうもたいへんなことになりました。すもうはそんなにして、それから二三時間もつづいたという大勝負でありました。
ところが、どうしたことでしょう。そのうち金仏は、からだから汗《あせ》をタラタラ流しはじめました。そして、あっちへグラグラ、こっちへグラグラとよろめき始めました。
これを見た長者の主人は、もう気が気でなくて、自分もまっかな顔をして、ひたいに玉のような汗をかきました。そして、金仏さんの頭の上で、むちゅうになってよびました。
「金仏さん、金仏さん、どうしておまえさんは負けそうなんだ。そんな木ぎれの仏さんに、どうしておまえが負かされるんだ。それッ、負けてたまるか、それッ、負けるな、負けるな。」
しかし、そういえばいうほど、金仏さんは弱ってきて、ついには泣《な》くようなわめくような大声をだして、とうとうそこにぶったおれてしまいました。そして、もう起きあがることもできませんでした。
すると木仏どのは、その金仏をグングン押して、家の外へまで押しだしてしまいました。それから自分は、その金仏がそれまで祭られていた仏間《ぶつま》の壇《だん》の上にあがって行って、そこにすわりこんでしまいました。そのようすが、どんなことがあっても、もうこのおれさまはここを動きはしないぞ——というように見えました。
これを見た木仏どのの主人をはじめ、ほかの下男下女の一同、そこにひれふして、
「ナムアミダブツ、ナムアミダブツ、ナム、木ぎれの仏さま。」
と、両手をあわせて、おがみました。長者の主人はこれを見ると、いても立ってもいられないほど落胆《らくたん》しましたが、約束ですからしかたありません。それも、自分がいいだして、こんなことになったのですから、すぐその金仏さまをだき取って、その家を出て行ってしまいました。
そこで木仏の主人の下男が、そのあとをついで、このうちの主人となり、そして長者となりました。
ところで、家を出て行ったまえの主人は、金仏をだいて諸所《しよしよ》ほうぼうを旅して行きましたが、いいことはひとつもなくて、ついにはこじきのようになってしまいました。
それであるとき、野原を歩いていて、日も暮《く》れそうになったとき、自分の不運をなげいて、だいている金の仏さまにいいました。
「仏さま、仏さま、おまえさまは、どうしてあのような木ぎれの仏像などに負けられました。おまえのいくじなしばっかりに、おれたちはこんな苦労、こんなはずかしいめにあわなくてはならない。」
すると金仏がいいました。
「ご主人、ご主人、今さら、そのようなことをなげくものではない。あれは木ぎれの仏ではあったが、毎日毎日三度のおぜんはそなえられ、それに、強い信心をこめられていた。それが金仏ではあるが、このおれはどうじゃったろう。年に二三度そなえものにあずかるばかりじゃ。それに形ばかりの信心では、どうして強い力が出てこようか。な、ご主人、これを思うて、今はあきらめられるよりしかたはない。」
これを聞いて、むかしの長者のだんなは今さら太息《ふといき》をついて、信心のたらなかったことや、自分がつまらん話をだしたことを後悔《こうかい》しましたが、もうどうすることもできませんでした。それでは、これで、めでたし、めでたし。
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