むかし、むかし、そのころの日本の都、京の町に貧乏《びんぼう》で、貧乏で、しようのない人がありました。もうこんなに貧乏では、神さまか仏さまにおねがいするよりほか、どうすることもできないというので、大和《やまと》の国は長谷《は せ》というところの、名高い観音《かんのん》さまへおまいりにやって来ました。そして朝から晩《ばん》まで、晩から朝まで、何日も一生けんめいに観音さまを拝んで、どうかお助けください、どうかお助けくださいと、おねがいしました。すると、ある夜の明けがた、ほんとうにふしぎな夢《ゆめ》を見ました。観音さまが御堂《おどう》の奥の方から出ておいでになって、
「これこれ。」といわれました。
「ハッ。」とおじぎをしますと、
「そのほうはふびんな者じゃ。前の生《しよう》のおこないがわるかったので、今、この世でそのむくいをうけている。そのほうに授《さず》けられる福は、何ひとつない、いいか。」といわれます。
「ハッ。」とまたその人は頭をさげました。すると、観音さまがつづけていわれますことに、
「だから、いつまでもそうして、祈っているのはおろかなことだ。わかったか。」
「ハッ。」
「しかし、そういうのもあまりぶあいそうに思うから、ほんの少しのものだけをつかわす。都へ帰る道すがら、何によらず手のうちに入ったものを、たまわりものと思って持って帰るがよい。」
「ハアーッ、ありがとうございました。」
これで目がさめました。しかし、その人は、その夢を観音さまのおつげと思い、もうあきらめて、夜が明けたら京都へ帰ることにいたしました。それで、その長谷のお寺の大門《だいもん》を出ようとしますと、どうしたひょうしか、ついつまずいてころびました。
「やれやれ、なんという運の悪いことだろう。」
そうひとりごとをいって起きあがって、気がついてみますと、知らぬまに一本のわらしべをつかんでおりました。これを見ると、その人は思いました。
(なるほど、これがあの観音さまの、夢のおつげのたまものだったか。)
たいへん心細いことに思われましたが、もともと信心ぶかい男でしたから、そのわらしべを大切に手に持って、その大門を出てきました。
その日は、春なかばのあたたかい日だったそうであります。京都のほうへ歩いておりますと、とちゅうで一ぴきのアブが飛んできて、顔のあたりをうるさく飛びまわりました。はじめは手で追《お》っておりましたが、あまりうるさく飛んできてたかりますので、木の枝《えだ》を折って、それで追ったり、たたいたりしました。しかし、アブはそれでもすぐ飛んできて、顔や頭や、肩《かた》や胸《むね》や、そのへんをブンブン、ブンブン、飛んだり、とまったりいたしました。それでしまいには、思いきって、そのアブをつかまえ、ちょうど手に持っていたわらしべで、それをしばりました。そして、今までアブを追っていた木の枝に、そのわらしべを結びました。アブはしばられたまま、ブンブン枝先で飛びまわりました。そんな、トンボつりともいえないような形をして、その人は京への道を歩いていました。
ところが、ちょうどそこへ京都のほうから、きれいな牛車《ぎつしや》に乗って、たくさんの家来をつれて、長谷へおまいりする人がやってきました。その牛車の中には、小さな男の子と、そのおかあさんが乗っていました。そのおかあさんと子どもは、車のみすをあげて、外の景色《けしき》をながめていました。子どもはすぐその貧乏男が持っている、わらしべでしばった枝の先のアブを見つけました。そして、
「あれがほしい。あのわらしべでしばった枝の先の虫がほしい。」
といいだしました。
「何をいいますか、あれはアブというきたない虫じゃ。」
おかあさんが小さな声で、たしなめているようですが、子どもはなかなかききません。ますます大声をだして、
「ほしいほしい。」
といいたてます。それでまもなく、馬に乗ったひとりの家来が、貧乏な男のところへとんできていいました。
「若さまが、そのわらでしばったアブがほしいと、おおせられている。なんと、それをさしあげてはくださるまいか。」
これを聞くと、貧乏男が申しました。
「じつはこのわらしべですが、これは、さきほど観音さまからいただいたばかりのわらしべなのです。しかし、お子さまがおのぞみとありますれば、なにも惜しみはいたしません。」
そういって、家来の男にわたしました。すると、車の中の奥方《おくがた》は、これをたいへん喜んで、
「のどがかわいたろうから、お食べ。これはお礼のしるしじゃ。」
そういって、みごとなミカンを三つ、まっ白な紙につつんで、貧乏な男にくれました。これをありがたくいただくと、その貧乏男は思いました。
(なるほど、なるほど、観音さまのご利益《りやく》はあらたかなものだ。長谷を出てから、まだ、いくらも歩かないあいだに、わらしべ一本がこんなみごとなミカン三つになった。ありがたや、ありがたや。)
それで、その三つのミカンを大切にして、手に持ってやってきますと、こんどは道のわきに二三人のおともをつれて休んでいる、ひとりの若い女の人に会いました。女の人は、暑くてのどがかわいて、もうどうしても歩くことができないと弱っているところでした。それで、
「もしもし、このへんに、どこか水のあるところはありませんでしょうか。」
と、さも苦しそうに、貧乏な男にききました。しかし、貧乏男も、水のあるところは知りませんし、見まわしても、ちょっとそこらに井戸《いど》らしいものも、流れらしいものも見あたりませんでした。それにしても、その女の人は、のどのかわきで、もう気が遠くなりそうで、家来たちに、
「どこかで水を見つけてきておくれ。どこかで水を——」
と、いいつづけました。家来たちはほんとうにこまってしまいました。しかし、これを見ていた貧乏男は、見るにみかねて、手に持っていた三つのミカンを、その家来たちの前にさしだしました。
「これはじつは、今、京都の奥さまからいただいたばかりのミカンですが、ご主人がそんなにのどがおかわきでしたら、これをさしあげてごらんになってはいかがです。」
これを聞いて、女の人は、生きかえったように大喜びして、さっそくこれをもらって、むいて食べました。
「ああ。」
女の人は大きな吐息《といき》をついていいました。
「この人がきてミカンをくれなかったら、わたしは観音さまへおまいりもできず、道中《どうちゆう》で死んでしまっていたかもしれません。何かお礼をしなければと思いますが、旅のとちゅうで、何もさしあげるものがない。まあ食べて行ってくださいませ。」
そういって、用意してきたべんとうをださせて、その男にじゅうぶん食事をさせました。
「これは思わぬごちそうになりまして、ありがとうぞんじました。では、ご無事《ぶじ》におまいりなさいませ。」
その男は、ごちそうを食べおわると、そういって腰《こし》をあげました。すると、
「もしもし。」
そういって、女の人はその男をよびとめ、荷物の中から三反《さんたん》のとてもよい布を取りださせて、
「ほんのこころざしばかりで——」
といって、それをくれました。その男の喜びようはたいへんなものです。
(一本のわらしべが、もう、こんなりっぱな三反の布になった。)
感心して、喜び勇んで、また道をどんどん歩いておりますと、そのうち、日暮れが近くなりました。すると、むこうのほうから、りっぱな馬に乗ったひとりの武士が、何人かの家来をつれていそいでやってきました。
「世の中にはなんとよい男もあるものだなあ。」
と、その男が見ていますと、ちょうど目の前にきたところで、ふいにその馬がばたりとたおれました。
「これはこまった。こまったことになってしまった。今までなんともなかった馬が、どうしてふいに死んでしまったろう。」
馬のそばに立って、その武士はいいましたが、それにしても、どうすることもできません。それで、家来たちに、
「わしは、いそぐから、先へ行く。おまえたちは、馬のしまつをして、あとから追いついてくるがよい。では、たのんだぞ。」
武士は、そういって、大いそぎで行ってしまいました。家来はあとに残って、死んだ馬のしまつをしようと思いましたが、なにぶん遠いところからきた人たちで、ことばもよくつうぜず、そのへんの事情もわからず、馬をとりまいてしゃがんだきりで、
「どうしよう、どうしよう。」
とばかりいっていました。みんな弱りきっていたのです。それを見ると、その貧乏男がことばをかけました。
「その馬は、わたしがいただいて、かたづけましょうか。しかし、ただでいただいてもすみませんから、これをかわりにさしあげることにいたしましょう。」
そういって、さっきもらった三反の布のうち一反をだして、家来たちに見せました。家来たちはとほうにくれていたときですから、それを見ると、たがいに顔を見あわせて、安心したように、ほっと、吐息をつきました。
「よかろう。よいだろう。なにかすまないような気もするが——」
そういう者もありましたが、先をいそぐとみえまして、布を取り、馬を残しておいて、すぐ主人のあとを追って行ってしまいました。これを見ると、貧乏男はまた思いました。
(ありがたいことじゃ。観音さまのおなさけで、一日のうちにわらしべ一本が、もう二反の布と、一頭の馬になった。しかし、できるなら、この馬をもう一度生きかえらせてみたいものだが——)
そこで手をあわせて、観音さまを一心におがみました。
「観音さま、観音さま。どうかこの馬をいま一度、生きかえらせてくださいませ。」
すると、どうでしょう。信心が観音さまにつうじたのでしょうか、馬がぱちりっと目をあけました。鼻を動かし、息をすいはじめました。それにつれて、胸も腹《はら》も動きだしました。耳さえ動かしはじめたのです。貧乏男はとびたつように喜んで、馬の口をとって、
「それっ。」
と、声をかけますと、馬はすっと立ちあがりました。そして、ぶるぶるとからだのほこりをふるい落としました。口をとって歩くと、馬はもうなんの故障《こしよう》もなく、かっぱかっぱと歩きます。まったくこれはなんということでしょう。わらしべ一本が、馬も馬、こんなりっぱな生きた馬になったのです。
しかし、貧乏男は考えました。
(自分みたいなものが、こんなりっぱな、しかも、馬具《ばぐ》も何もついていない馬を、引いて歩いて行ったら、人はきっとぬすんだ馬と思うにちがいない。)
それでまず、馬を村からはなれた林のかげに引いて行って、木につないで休ませました。そして夜になってから、自分だけ林を出てきて、残りの二反の布で麦やまぐさを買い、また、そまつな馬具も手に入れました。それでじゅうぶんしたくをして、その馬に乗って、いよいよ林のかげから出てきました。
京都へ帰ってきたのは、つぎの日の朝早くでありました。町の入口までやってくると、そこに一軒の大きな家があって、家内《かない》じゅう、大さわぎをしております。どこか遠方へひっこすものとみえ、荷物をくくったり、かたづけたり、大声で、「あれをどうせよ。」「これをああせよ。」「何はどこだ。」「かにはここだ。」なんてよびあっております。それで貧乏男は考えました。
(こんなときには、よく馬の入用があるものだ。もしかすると、買うかもしれぬ。)
で、門口《かどぐち》に立って、いいました。
「馬はいかがですか。おもとめになりませんか。」
すると、主人が出てきて、馬を見ていいました。
「なるほど、これはよい馬だ。ちょうどこれくらいの乗馬を一頭買い入れたいと思っていたが、旅に出るやさきで、代物《しろもの》に不自由する。しかし、この近くにすこしばかりの田があるのだが、それを取ってはくれないか。」
なんだか、たいへんけっこうな話なので、貧乏男は、
「はいはい。」
といって聞いておりました。すると、主人は、その田の見えるところまで引っぱって行って、その田を見せてくれました。
「けっこうでございます。」
といって、馬をわたしますと、こんどは主人も大喜びで、
「われわれは、きょう、関東のほうへたたなければならないが、じつは、この家もるすのあいだ住む者がない。なんならひとつ住んではくれまいか。」
そういうことをいいました。これは、男にはねがってもないことで、その家の者が旅だつと、さっそくそこに住むことにしました。
もとの家主《やぬし》は、今年は帰るか、来年《らいねん》は帰ってみえるかと、心待ちにしていましたが、いく年たっても、帰ってきません。それで、とうとうその大きな家も、自分のものとなってしまいました。
そして、その後も長く子々孫々《ししそんそん》にいたるまで繁昌《はんじよう》して、大和の長谷の観音さまのご利益を、末の世までも感謝しつづけたということであります。