むかし、むかし、あるところに、たいそうな長者がありまして、たんぼや畑《はたけ》や山林《さんりん》など、ありあまるほど持っていました。ところが、その長者の田をつくっている小作《こさく》の中に、その日食べるお米もないような、貧乏《びんぼう》な夫婦《ふうふ》の者がありました。この夫婦の者は、もう四十をこすような年になっていましたが、まだひとりも子どもというものがありませんでした。それで、ふたりは、
「どうかして、子どもがひとりほしいもんだ。わが子と名のつくものなら、カエルでもよい、タニシでもよい。」
そんなことをいって、なげきあっておりました。そのすえ、とうとう水神《すいじん》さまへおまいりして、そのようにいっておねがいいたしました。水神さまというのは水の神さまですから、百姓《ひやくしよう》にとって、これぐらいありがたい神さまはないのであります。
それから、ある日のことでした。女房《にようぼう》はたんぼへ田の草取りに行っていましたが、いつものように、水神さまへおねがいのことばをくりかえしていました。
「水神さま、水神さま、そこらあたりにおりますタニシのような子どもでもよろしゅうございますから、どうぞ、わたしにひとり、子どもをおさずけくださいませ。ああ、とうとや、とうとや。」
すると、それからひとときして、さずかったのが、なんとじつに一ぴきの小さなタニシだったのです。
おやじさんも、おかみさんも、これにはまったくおどろきました。おどろきましたが、なにぶん、水神さまへおねがいしてさずかった子どもであるから、けっしてそまつにはできません。
おわんに水を入れ、その中において、神だなにあげました。そしてだいじに育《そだ》てていきました。それから二十年という年月がたちました。
けれども、ふしぎなことに、そのタニシの子は、すこしも大きくなりません。ごはんなどはふつうに食べるのですが、一声《ひとこえ》、声を出すこともできませんでした。
それから、またある日のことです。おやじさんも、もう年をとりましたので、仕事もだいぶ骨《ほね》がおれるようになりました。それで長者どんへおさめる、その年の年貢米《ねんぐまい》を馬につけながら、思わずぐちをこぼしました。
(さてさて、おれもふしあわせな者じゃ、水神さまにおねがいして、せっかく子どもをさずかったが、やれうれしやと思うまもなく、その子がなんと、あろうことか、タニシのむすことあってみれば、なんの役にたとうはずがない。つまりおれはこうして、一生《いつしよう》、妻や子をやしなうばかりに生まれついたのじゃ。)
と、そのとき、
「おとうさん、おとうさん。」
と、よぶ声がしました。
「きょうはその米、おれが持って行こう。」
その声は、そういうのでした。
おやじさんはびっくりしました。そのへんをきょろきょろ見まわしました。しかしだれもおりません。ふしぎに思って、声をかけました。
「そういうのは、いったいだれだ。」
と、これに答えて、
「おれだよ、おとうさん。タニシのむすこだよ。今まで長いあいだ、たいへんご恩《おん》をうけましたが、そろそろおれも世の中へ出るときがやってきた。きょうは、おれがおとうさんのかわりに、だんなのところへ年貢米を持ってまいりましょう。」
タニシのむすこは、そういうのでありました。これを聞いて、おやじさんはいいました。
「しかし、どうしておまえなどに、馬がひいて行けるか。」
すると、タニシのむすこがいいました。
「おれはタニシだから、馬はひいて行けないが、荷物《にもつ》のあいだに乗せてくれさえすれば、馬を使うことくらい、なんの苦もなけりゃ、ぞうさもない。」
これにはいよいよおやじさんもびっくりしました。それで、タニシのむすこにそんなことができるようには思えませんでしたが、なにしろ水神さまの申《もう》し子《ご》だし、二十年めにものをいいだしたことだし、そむいては、どんなばちがあたるかもしれんと考えました。
それで、馬三びきに米俵《こめだわら》をつけ、表口に引っぱってきました。それから神だなのおわんの中から、タニシをつまんできて、荷物のあいだに乗せました。と、タニシのむすこが、あたりまえの人間のとおりの声で、
「では、おとうさん、おかあさん、行ってきますよ。」
といいました。それから、
「はい、どうどう、しっしっ。」
と、馬を使いはじめました。そうして門をじょうずに出て行きました。
ところで、親たちのほうでは、出しは出したが、どうも心配でなりません。それで父親があとを追いかけ、タニシに見えかくれについて行きました。すると、タニシは、水たまりだとか橋のところだとか、馬のあぶないところにくると、人間がいると同じに、「はあい、はあい。」と、声をかけます。馬はこれにしたがって、シャンシャンと進んでおります。すこしすると、こんどはタニシは美しい声をはりあげて、馬方《うまかた》のうたう歌などうたいだしました。馬はまたそれに足をあわせ、首の鈴をジャンガ、ゴンガとふり鳴らせ、勇みに勇んで歩いて行きます。往来《おうらい》やたんぼにいる人たちは、これを見ておどろいてしまいました。あの馬はたしかに、あの貧乏百姓のやせ馬にちがいないのだが、だれがいったい、どこであんな歌なんかうたって行くのだろう。こういって、ふしぎがってながめておりました。一方《いつぽう》では、このありさまを見たおやじさん、すぐ家へひきかえして、おかみさんにもこのようすをしらせ、それからふたりで水神さまをおがみました。
「水神さま、水神さま。今まで何も知りませんでしたので、タニシの子をああしておきましたが、ほんとうに、ありがたい子どもをおさずけくださいました。それにつけても、ぶじにむこうにとどきますよう、あの子や馬のうえをどうぞお守りくださいませ。」
タニシは、そんなことにとんちゃくなく、たいへんな元気で、長者どんの門をはいって行きました。すると、それ、年貢米がきた、というので、そこの召使《めしつか》いたちが出て見ましたが、馬ばかりで、だれも人間がおりません。「はてな——」と、ふしぎがっておりますと、
「米を持ってきたから、おろしてください。」
という声が、馬の荷物のところでいたします。
「だれだ、そんなところにいるのは。」
そんなことをいって、召使いのひとりが、荷物のところをのぞきましたが、もとより、人間など見えません。
「だれもおりゃせんじゃないか。」
そういったものの、よく見ると、荷物のわきに、小さなタニシが一つのっておりました。すると、タニシのいいますことに、
「おじさん、おじさん、おれはこんなからだだから、馬から荷物をおろすことはできない。申しわけないが、おまえさんたちで、おろしてください。それから、おれのからだも、つぶさないように、えんがわのはしにそっとおいてください。」
これには召使いたち、どんなにおどろいたことでしょう。長者のところへ走って行って、
「だんな、だんな、タニシが米を持ってきました。」
と、しらせました。長者もおどろいて出てみると、いかにも召使いのいうとおりです。うちの人たちも、それを聞いて、ぞろぞろ出てきて、タニシの子をうちながめ、「まあ、なんとふしぎなことだろう。」と、話しあいました。
そのうちに、タニシのさしずで、米俵を倉につみ入れ、馬にはかいばをやりました。それからタニシは茶の間のほうで、ごちそうになりました。ところで、タニシがごはんを食べたり、おしるをすったりするようですが、ほかの人の目にはひとつも見えませんでした。それなのに、つぎつぎとおぜんの上のものがなくなり、おわりに、
「ごちそうさまでした。じゅうぶんいただきました。」
タニシがそういいました。これには長者どん、ますますおどろきました。水神さまの申し子だということは聞いていましたが、人間のようにものをいったり、働いたりするとは思っていなかったのです。それで、にわかに、自分のうちの宝物《たからもの》にしたいと思いだしました。しかし容易なことで、そうもできないと思って、
「タニシどん、タニシどん、おれのところには、娘《むすめ》がふたりいる。そのひとりを、おまえのおよめにやってもよいと思うが、どうじゃ。」
といいました。これを聞くと、タニシは大喜びをしまして、
「だんなさん、それはほんとうのことですか。」
と、念をおしました。
「ほんとうとも。うそはいわない。」
それで、タニシはかたい約束《やくそく》をして、また三びきの馬をつれ、えらい元気で、家をさして帰《かえ》って行きました。家では帰りがおそいので、夫婦で心配しておりましたが、
「おれは、きょう、長者どんの娘を、およめさんにもらってきた」
と、タニシが帰ってきていいましたので、父母は、
「あろうことか、あるまいことか、このタニシが——」
と、目を見はりました。それでも、水神さまの申し子のいうことだからと、人をやって、長者どんにきかせますと、やっぱりほんとうということがわかりました。それも、長者どんが、ふたりの娘をよんで、タニシのところへおよめに行けといいますと、姉娘は、「だれがあんな虫けらのところへ。」と、おこりました。しかし妹のほうは、心がやさしかったので、おこりもせずに、「おとうさんが、せっかく約束なさったことですから。」と、およめさんになることになったのです。
さて、長者どんの妹娘のよめいり道具《どうぐ》はたいへんなものでした。たんす、長持《ながもち》が七さおずつ、そのほか、手荷物はありあまるほどで、七ひきの馬にもつけきれません。そればかりか、おむこさんの家が小さくてはいりきれません。そこで、長者どんはおむこさんの家へ、別に倉を建ててやったりいたしました。
ところで、タニシの家では、花よりも美しいおよめさんをもらって、うちじゅうの喜びはいうまでもありません。それに、そのおよめさんがおとうさんおかあさんにとても親切で、それに大切にいたします。野良《のら》へもよく出て働きます。それで、くらしむきも、しだいに楽になりました。そのうち月日がたちました。お里帰《さとがえ》りを、いつにしようかということになりました。やっぱり四月八日の鎮守《ちんじゆ》のお薬師《やくし》さまの祭りがすんでから、ということになりました。
お祭りの日がきました。娘はお祭りに行くというので美しくおけしょうしました。きれいなきものを着ました。それからタニシの夫にいいました。
「おまえもいっしょに、お祭りを見にまいりましょう。」
すると、タニシの夫がいいました。
「うん、そうか、それでは、おれもいっしょにつれてってくれ。きょうはお天気もよいし、ひさしぶりで、外のけしきでもながめましょう。」
そして、娘の帯の結びめに入れられて、お祭りに出かけました。とちゅうもふたりはなかよく、よもやまの話をしながら行きました。すると、行きあう人がみなふしぎがって、
「あれあれ、あんな美しい娘の子が、ひとりで笑ったり、話したりして行く。かわいそうなことに、気でもちがったのだろうか。」
そんなことをいって、娘をふり向きふり向きしました。しかし、やがて、薬師さまの一の鳥居《とりい》のところまできますと、タニシの夫がいいました。
「じつは、おれはわけがあって、これからさきへは行けない。だから、おれを道ばたの、田のあぜの上にでもおいといて、おまえひとりでお堂へ行っておがんできてくれ。」
これを聞くと、娘がいいました。
「それでは、気をつけて、カラスなどに見つからないようにして、待っててください。わたしはちょっとおがんでくるから。」
そして、夫のタニシのいうままに、タニシを道ばたの、田のあぜの上においといて、いそいで坂をのぼって、お宮におまいりしました。それから、またいそいで、坂をくだって、タニシをおいといた、田のあぜのところへ帰ってきました。ところが、どうしたことでしょう。だいじな夫のタニシがおりません。おどろいてあちらこちらとさがしましたが、どうしても見つかりません。カラスがくわえて行ったのか、それとも田の中へ落ちてしまったか、そう思って空を見ましたが、一羽《いちわ》のカラスもおりません。田の中は、四月のことですから、そこらじゅう、たんぼいっぱいのタニシで、それを一つ一つ拾いあげてみましたが、どれもこれも夫には似《に》ても似つかないタニシでした。それで娘は、このような歌をうたいました。
つぶ(タニシ)や、つぶ(タニシ)や、わが夫や、
今年《ことし》も春になったれば、
カラスというばか鳥に、
チックラ、モックラ、さされたか。
そうして、田から田へさがしまわりました。そのうち顔には泥《どろ》がかかり、きものは泥まみれになり、そして日は暮《く》れどきになってきました。お祭りの人たちは、もうみんな家へ帰りはじめ、娘のそんなありさまをみて、
「気でもちがったか、かわいそうに。」といって、帰って行きました。娘はいくら夫のタニシをさがしても見つからないものですから、いっそのこと、谷になっている田の中の、深い泥の中にはいって、死んでしまったほうがいいと考えました。それで、その深い泥の中へ、とびこもうとしていますと、うしろから、
「これこれ、娘。」といって、声をかける者があります。見ると、それは美しい、それはりっぱな若者です。そして、
「おまえのたずねるタニシは、このわたしだ。」
と、この若者がいうのでした。いろいろ聞いてみると、娘が薬師さまへおまいりしたため、タニシが人間になれたのです。
こうなっては、娘の喜びばかりではありません。タニシの父母はもとより、長者夫婦も大喜びで、若いこのふたりのために、家を建てたり、あきないをすぐやらせたりしました。それでふたりは、一生けんめいに働きましたから、たちまちのうちに、町いちばんの物持となり、タニシ長者とよばれました。