むかし、むかし、伊勢の大神宮《だいじんぐう》さまへ、若い男と女とふたりづれの者が、おまいりをしに来ました。出羽《でわ》の国は北秋田、独鈷《とつこ》という村の者だといいました。いなかの人にしては、ふたりとも上品《じようひん》で、ことに、女のほうは、めずらしいほど美しかったのです。名を松子といったそうであります。
ところで、ふしぎなことに、ふたりともいろいろなことに不案内《ふあんない》で、ことにお金の使いかた、そのかんじょうなどが、よくできないようにみえました。それで、大神宮さまへおまいりをすませて、いよいよ帰《かえ》るというときになってみると、お金がたりなくなっておりました。さあ、どうしましょう。ふたりはたいへんこまりました。見ていても、気のどくなほどのこまりかたです。だってふたりとも、ちょっとも悪気《わるげ》のない、よい人がらに見えたからです。ただ、ふしぎと世間知《せけんし》らずのところがありました。
そこで、これを見ていた宿屋《やどや》の主人《しゆじん》が、たいそう気のどくに思って、そしていいました。
「お客さま、宿賃《やどちん》は心配なさいますな。来年、たれか、おまえさまがたの村の衆《しゆう》が参宮《さんぐう》なさるとき、そのときことづけて返してくだされば、それでけっこうです。それからこれは——」
なにぶん、出羽の国というのは、伊勢の国からずいぶん遠いところにあり、帰って行くのにだって、そうとうの日にちがかかるのでありました。だから、そのあいだの旅費だって、またそうとう入用なわけだったのです。で、宿屋の主人は、その入用なお金まで貸してやりました。
ところで、そのつぎの年のことです。独鈷の村の衆というのがおおぜいきて、その宿屋にとまりました。それで、主人は、
「あの、あなたの村の松子さんという人と、いまひとりのかたに、去年、じつはすこしばかりおたてかえしたものがあるのでございますが、お持ちくださいましたでございましょうか。」
そうたずねてみました。
すると、独鈷の衆たちは、
「へ、松子さん——」
そういって、みんなふしんげな顔つきをしました。松野とか、松代とか、松のつく名も村にあるにはあるが、ちょうど、その松子というのがないというのです。それに村から、去年もおととしも、まだひとりも伊勢参宮したものがないというのです。
「へえ——さようでございますかなあ。けっして人をだまされるかたのようには、お見うけしませんでしたが——」
宿屋の主人は、そういって、何度も首をかたむけました。
しかし、村の衆は、
「第一、松のつく名で、そんな若い人もいないし、そんな美しい人もひとりもいないね。」
そういって、どうしても、主人がだまされたことになってしまいました。
しかし、それから何日かたってのちのことです。伊勢参宮から帰ってきた独鈷の村の衆は、さっそく伊勢の宿屋で聞いた話を、村の人たちに話しました。
すると、その村の人たちの中のひとりが、
「そうか、それでわかった。」
そういって、両手を打ちました。打って、こういいました。
「村の諏訪《すわ》神社の二本の高い松の木の上に、去年から白いもののちらちらしているのを、みんな知っていなさるか。」
と、これを聞いて、いう人もありました。
「うん、あれですか。わたしは、子どもが、たこでもかけたかと、今に思っていたのですが。」
「いやいや、あれは、今の話から考えてみると、どうしてもお伊勢さんの大麻《たいま》ですわ。そうじゃないか、そうじゃないかと、わたしは思い思いしとりましたが。」
これで、みんなは、
「そういえば、あれは、去年からありました。もしかしたら、大麻かもしれませんぞ。」
こんなことをいいました。それで、とうとう木のぼりのじょうずな人が、その木にのぼって、それをたしかめてみてくることになりました。みんなは、木の下まで行って、そこでおおぜい、木をとりまいて、今か今かと、木のぼりの人が、その木のてっぺんの白いもののところへ行きつくのを待っていました。木は、三十メートル以上もあって、空の雲の近くにそびえていました。そのうえ、下にいろいろな木がしげりあい、そのてっぺんが、すぐには見えないありさまだったのです。
「おうい。」
やがて、木の上から声がしてきました。
「どうだったあ——お伊勢さんの大麻かあい。」
下から、何人もの声が上を向いてたずねました。すると、
「やっぱり、大麻だあ——大神宮さんのおはらいだあ——まちがいなしの大麻だあ——」
上から、声が聞こえてきました。これを聞くと、みんなびっくりして、たがいに顔を見あわせました。
「やっぱり、そうだったのか。ここにある二本の大松《おおまつ》の木がおまいりしたのかなあ。」
みんなの顔が、そういいあっておりました。つまり、この二本の松の大木が人間の形になって、伊勢神宮へおまいりしたのであります。そこでまた村の人たちは、たがいに相談しました。
「どうだろう。たしかにこの二本の松が、おまいりしたのにちがいあるまいか。」
だって、お伊勢さんの大麻というものを、去年にも、おととしにも、もらってきた者が、この村にひとりもおりません。したがって、この松のてっぺんに、それを立てたという人もひとりもありません。すると、この二本の松が人間となって、おまいりして、その大麻をもらってきたと、そう考える以外に考えかたがありません。そうとわかってみれば、その宿賃を捨《す》てておくわけにいきません。それで村じゅうから、わけをいって金を集め、さっそく、それを伊勢の宿屋へ送ってやりました。
しかし、そのときから、この松の木が、一本は男で、一本は女ということがわかりました。そして、今でもその松は、出羽の国は北秋田、独鈷という村へ行けば、空高く、白雲のゆききする近くに、そびえ立っているということであります。