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日本むかしばなし集50

时间: 2020-01-19    进入日语论坛
核心提示:狩人《かりゆうど》の話 むかし、むかし、陸中《りくちゆう》の国上郷《かみごう》村というところに、ひとりの狩人が住んでいま
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狩人《かりゆうど》の話
 むかし、むかし、陸中《りくちゆう》の国上郷《かみごう》村というところに、ひとりの狩人が住んでいました。そのころ、日本のそのような山の中では、狩人のことをまたぎとよんでいました。で、そのまたぎは、その山中《さんちゆう》きっての狩りの名人《めいじん》であったのです。名まえをぬえといいました。ぬえには、ひとりの娘《むすめ》がありました。娘は、ホオの木の葉の窓《まど》ぎわで、毎日機《はた》を織っていました。キイコン、バッタン、キイトントンと、その機の音は聞こえていました。
ある日のこと、ぬえは山へ狩りに出かけようとして、その窓ぎわの、ホオの木の下を通りました。すると、その木の下を流れている小川を、一ぴきのヘビが泳いでいました。そのヘビを見ると、
「これは、何かいわくがある。」
と、ぬえはすぐ感じとったのです。そこで、すこしはなれたところの木のかげにかくれて、じっと、ヘビのようすをながめていました。ヘビは、二尺にたらない小ヘビでしたが、首のところに白線の輪がついていました。そういうヘビはめずらしく、まためずらしいだけに、おそろしい変化《へんげ》の術《じゆつ》をこころえているのです。
さて、ぬえが木《こ》かげでうかがっていると、そのヘビは、ホオの木の下に行くと、小川からはいあがり、太い木の幹《みき》のまわりをあっちへ行きこっちへ行き、チョロチョロうねうねとはいまわりました。そのあいだにも、窓の中の娘の音に気をつけているらしく、おりおり首を立てて、口からペロペロ長い舌《した》をだしました。それから、ヘビはホオの幹をのぼりはじめました。ところが、なにぶん、ひとかかえ近い木のこととて、二尺たらずの小ヘビでは、それをまききれません。木をくるりくるりまわってみるものの、パラリとはなれて、下に落ちてくるのです。また、ひとまわりして首をあげると、結んだひもがほどけるようにして落ちてくるのです。
「これは、おもしろいぞ。」
またぎの名人は、小ヘビのしわざに興味《きようみ》をおぼえ、首をつきだすようにしてながめていました。すると、どうでしょう。幹をひとまわりして、しばらく動かないでいるように見えていたヘビのからだが、ずんずんずんずん、のびだしてきました。太くもなっていくのです。名人ぬえは、
「目がどうかなったのかしらん。」
と、手をあげて、目をこすってみました。しかし、まちがいはありません。もう、フジづるのように幹にまきついたヘビのからだは、その太さ、自分の腕くらいもあり、長さ、そうだ、もう一間《けん》も上にのぼっているところをみると、一間《けん》以上もあるかもしれないのです。
「これは、すごいヘビだ。魔性《ましよう》のヘビだ。」
ぬえはそう考えるとともに、思わず、そばにおいていた鉄砲《てつぽう》に手をやりました。しかし、ヘビは、ぬえには気がつかないのか、そのまま上の枝《えだ》のところにのぼりつくと、その一つ、娘のいる窓のほうにのびている枝に頭を向けました。その頭を見て、ぬえは、そろそろ鉄砲を身がまえました。そうせずにおれないほど、その頭は大きくなっていたのです。ネコの頭くらいはあったでしょうか。これが、やはりペロペロ舌をだしているのです。そして、そろそろ娘のほうにはいよろうとしているのです。一寸《すん》、二寸、動いてるように見えないのに、もう二尺もはい進んでいました。娘のところまで七尺とありません。しかし娘はそれに気づかず、キイコン、バッタン、キイトントンと織りつづけています。
「や、もう五尺のところへきた。」
これはいかん、と、ぬえは、ねらいをさだめました。
そのとき、ヘビは跳躍《ちようやく》の用意か、首を高く立て、まるでのびあがるようなようすをしました。そこをねらって、ぬえの鉄砲が鳴りました。煙《けむり》がパッとたちこめました。ぬえは木かげを出て、小川をとびこし、ホオの木の下へとんで行きました。窓の下をかがんでみると、二尺たらずの小ヘビ、首に輪のあるそれがのびていました。ぬえは、そのしっぽをつまんで、土の上に一度たたきつけると、そのまま、そばの小川の中に投げこみました。急な流れは、すぐヘビを下流におし流し、運び去ってしまいました。
その翌年《よくねん》、雪のとけるころでした。ぬえがホオの木のそばの小川の岸を通りかかると、川から一ぴきのさかながはねあがりました。見ると、首のへんに白い輪形《わがた》がついています。ふしぎに思って、川の中をのぞくと、そんなさかなが何十、何百となく、水の中で群《むれ》をなして泳いでいました。めずらしいので網《あみ》を持ってきて、それをすくい取りました。しかし、なんにしても、ふしぎなので、チガヤの茎《くき》でつくったはしで、そのさかなを入れたかごをかきまわし、先祖《せんぞ》からつたえられている呪文《じゆもん》を口の中でとなえました。と、今までさかなとばかり思っていた、そのふしぎなものが、一度に、たくさんの小ヘビとなり、かごの中でニョキニョキ首をおしたてたのです。
ぬえは、まえの年の秋の、あのヘビのことを思いだし、大いそぎで、近くの原っぱへ、その小ヘビを持って行って土の中へうずめました。ところが、夏になると、そこへまた見たこともない草がはえてきました。そして、それがひどくしげり、それを食った牛や馬が、病気をしてうなったりあばれたりしました。
ある日のこと、ぬえは、山へ狩りに行きました。ところが、その日は、一日、山や谷をかけ歩いても、一羽《いちわ》の鳥にも、一ぴきのけものにもあいませんでした。そのうち、日が暮《く》れてしまいました。そこで、森の中の大きな岩かげにその晩《ばん》はねむることにして、そこに、さんずなわというのをはりめぐらしました。それは、またぎだけにむかしからつたわっている魔よけの秘法《ひほう》なのです。
で、まず、そのなわの中で集めてきた枯《か》れ木《き》でたき火をして、めしを食ったりあたたまったりしました。それから、鉄砲をまくらにしてねむりました。すると、夜中ごろ、なんでもないのに、フッと目がさめたのです。見ると、たき火は消え、さんずなわの一方がとけ落ちていました。ちょうど西の山に入りかけている半かけの月の光りで、それが見えていたのです。
「ははあ、これは、何かおこるぞ。」
ぬえはそう考えて、鉄砲を手に取り、いつでもうてるように用意しました。そのとき、月がすうっと西の山にかくれ、山も谷も一度に暗くなりました。ところが、ふしぎなことに、二、三十間さきにある大木の下ばかりが、ホッとあかりがさしているのです。よく見ると、そこに、へんなけだものがすわって、糸車《いとぐるま》をまわしています。
「キリキリ、キリキリ、ブーン、ブーン。」
糸車のまわる音が聞こえるように思われました。どうも、あやしい光景であると、じっと目をとめて見つめると、そのけだものというのは、サルのように思われました。しかしまた、人間のようにも思われました。
「年をとった山男というものは、ああいうものではあるまいか。」
ぬえは、そう考えました。村の老人がこの山中で、いつか山男に出あったという話を思いだしたのです。
また、ずいぶんむかし、大ワシにさらわれた赤んぼうが奥山のワシの巣《す》でそだてられ、山男になっていたという話も思いだしました。しかし、月も西山にかくれた今、あそこだけあかりがさしているということはふつうではありません。
「あのけだものは、きっと魔性のものにちがいない。」
そう考えたとたん、そのけだものが、ぬえのほうを向いて、にたにたと笑いました。白い歯に赤い舌、それに、その目のおそろしさ。ぬえは、思わず、ぞっとしました。
「これは、もう人間ではない。ぐずぐずしてはいられない。」
そっと岩かげに身をかくし、そこから筒先《つつさき》をそのけだものに向けて、ねらいをさだめました。けだものは、それがわかっているのか、糸車をまわしつづけながら、たびたびぬえのほうを向いては、気味のわるい笑いかたをしました。大きな音が、森のやみの中にひろがって、山々がゴーゴー鳴りました。たしかに手ごたえはありました。その煙の消えたところで見ると、どうでしょう。大木の下のあかりに変わりはなく、けだものは平然《へいぜん》として、糸車をまわしていました。
「しまった!」
ぬえは大いそぎで弾《たま》をこめました。岩のかげに身をひそめ、その岩の上に筒先をのせ、こんどこそは——とねらいをさだめたのです。さっきは、のどの急所をねらったのですが、こんどは、みけんの急所に照準《しようじゆん》をつけました。にたっと、けだものが笑ったところで、ダーンと鉄砲をうちました。手ごたえがあって、また、山々がゴーゴー鳴りました。煙が晴れて、むこうを見ると、しかし、けだものにすこしの変わりもありません。やはり、ブーンブーン、キリキリキリキリと、糸車をまわしつづけていました。
「だめだ!」
そう思うと、にわかにその魔性のけだものがおそろしくなり、にたにた顔がすぐ目の前にせまってくるような気がしてきました。そこで、鉄砲を手にさげて、やみくもにそこから逃《に》げだしました。けだものは、追いかけてくるようすもないので、それでも、夜じゅう歩いて、あけがたやっと家へ帰ってきました。
なにさま、今までにないことなので、その日は、村の老人にその話をして、どうしたら、そのけだものがうちとれるかときいてまわりました。すると、ひとりの老人のいうことに、
「それは、年をへたサルのふったちというもののしわざであるから、ふつうの弾では、うつことができない。五月節句《せつく》の、ショウブとヨモギを弾といっしょにこめて、それでうつなら、うちとめることができる。しかし、それでもうてなかったら、つぎには、こがねの弾でうつよりしかたがない。」
というのです。
そこでその夜、ぬえはショウブとヨモギと、それからこがねの弾を用意して、また、ゆうべの山へ出かけました。日暮れを待って、さんずなわをはって、その中にねむりました。すると夜中に、ゆうべと同じように目がさめました。半かけ月が、やはりしずみかけていました。その月がしずむと、むこうの大木からあかりがさし、同じような光景があらわれました。けだものが糸車をまわし、こちらをむいて、にたにた笑っているのです。きょうこそは——と、ぬえは、まず、ショウブとヨモギをまいた弾をこめました。しかし、それはゆうべ同様、なんのききめもなかったのです。しかたなく、いよいよ最後のこがねの弾をこめました。ぶっぱなすと同時に、ギャッというような悲鳴《ひめい》が聞こえました。煙が消えてから見ると、木の下のあかりもなく、けだものの糸車もありませんでした。
朝になって、木の下に行ってみると、血のあとがついていました。それをつたわって行くと、山をのぼり、谷をくだりして、一つの岩穴《いわあな》の中へはいっていました。岩穴の中をのぞいてみたら、見たこともないふしぎなけだものがたおれていました。それをかついで村に帰り、みんなに見せたところ、老人が、
「これは、やはりサルのふったちといって、百年からの年をへたもの。」
と教えてくれました。これで、いよいよ、ぬえは、またぎの名人ということになりました。
ある日のこと、ぬえは片羽山《かたばやま》という奥山《おくやま》の、沢《さわ》のほとりで狩りをしていました。その日、その片羽山のふもとにきて、山の上をのぞむと、そこの岩の上に一ぴきのシカがすわっていました。それは、全身が雪のように白く、角《つの》が十六のまたになって、両耳の上に高々と立っていました。じつに、なんともみごとな角を持ったシカで、またぎの名人であるぬえも、今までの長いまたぎ生活に、見たこともないシカでした。そこで、すぐそこにひざをつき、
「どうか神さま、このむこうの岩の上にいる、十六またの角のあるシカを、このぬえにおうたせくだされ。」
と、手をあわせて祈りました。その白シカが、どうしてもこの山の神さまの家来《けらい》か何かのように思えたからです。それから、鉄砲を背中《せなか》におうて、木々をわけ、岩をつたい、山上めがけてのぼりはじめました。ところが、その日は風がはげしく、谷の下のほうからふきのぼる風が、どうどう、草や木をゆすっていました。おそらく、それが人間のにおいを、岩の上のシカの鼻さきへふきつたえたものとみえます。シカは、ぬえが山の半分ものぼらないうち、びっくりしたようにはねおどって、向きを変えるとみるまに、角をふりたてふりたて、山のむこうにかけ去ってしまいました。だから、やっとのこと、ぬえが岩にのぼりついてみたら、もう、シカのすがたは見えませんでした。
しかし、名人ぬえのことです。シカの足あとを枯れ葉のつもった土の上や、ふみしだかれた草の中にもとめ、また谷をくだり、森をつたい、日がかたむくまであとを追いかけました。そして、夕日が赤くなったころ、この片羽山の奥山の沢のほとりにたどりつきました。シカは、この沢の岸の大きなカヤ原の中にいるのでした。
カヤの穂《ほ》の上に、おりおり、その十六またのつのがあらわれ、それが、夕日に光るのが見られました。シカは、カヤの根もとの山ぜりの若葉を食べているらしいのです。
「もう、しめたものだ。」
と、ぬえは風下《かざしも》のほうへまわり、大きなカシワの木の上にのぼりました。この葉のしげみにかくれ、枝のあいだから、筒先をシカのほうへ向けて、ねらいをさだめました。シカは、しっぽをふったり、首をあげたりしました。首をあげて遠くを見るのは、敵を用心するためであり、しっぽをふるのは、沼《ぬま》や沢に多いアブを追うためでした。そのあいだにも風がふいていたので、木の上の葉っぱの中にいたぬえは、発見されませんでした。ぬえは、
「今うとうか、もうはなそうか。」
と思い思いしていましたが、シカが、もうすこし近くにこないと、自信が持てません。うちそこなったら、それこそ十里も二十里もさきへ逃げてしまう、かしこいシカなのです。二年や三年では、この山にあらわれてこないシカなのです。それなのに、シカは、カヤ原の中をしだいに遠くへ歩き始めました。そして、日はだんだんくれかかりました。
こんなときの用意にとぬえは弾入《たまい》れの中に入れてあったシカ笛《ぶえ》をだして、ヒューヒューとふき鳴らしました。悲しそうなメジカの声なのです。これを聞くと、白シカは、きっと首をたてて、あたりを見まわし、つづく鳴き声を待っているようでした。しかし、すぐ鳴らしては正体《しようたい》がわかるので、ぬえは、そのあいだ、身をひそめていました。シカは、あとの声がしないので、また首をさげて、草を食い始めました。そこを見すまし、ぬえはまたヒューヒューと、悲しそうな音をたてました。
シカは、ものものしく首をたてると、こんどは、こちらのほうへ、のそりのそりと歩いてきました。そのあいだも、ときどき立ちどまり、あっちか、こっちかと、声のしたほうをさがすようすでした。
三度めの笛が鳴ったとき、シカはカヤの中で、高く跳躍して、ぬえのいる、カシワの木めがけてとんできました。そして、五間ばかりのところへくると、シカは、またとほうにくれたらしく、ぼんやり立って、つぎの声を待つすがたになりました。
「たしかに、このへんでメジカがよんだようだったのに。」
シカは考えたらしいのです。
そこをねらって、ぬえは鉄砲をうちました。シカは、それこそ二間も高くとんで、カヤの中にたおれたのです。
行ってみると、たいへんな大シカで、かつぐことも背おうこともできませんでした。村まで五里もあろうという山奥です。しかたなく、ぬえは、そのみごとな皮をはぎ、それと、その十六またの美しい角を取って帰ることにしました。それで、山刀《やまがたな》を取ってその皮をはぎにかかったのです。やっと片《かた》がわをはぎおえて、もう片がわのほうをはぎにかかりましたが、ふと気がつくと、ふしぎなことに、さっきはいだ片がわの皮が、もうちゃんとシカの身についてしまっていました。
「これはへんだ。してみると、皮をはがなかったのかな。」
そう思って、そのほうの皮をはぎ、また片ほうにかかって、それをはぎおわってみると、もう一方の皮は、もとのとおりになっています。
「これは、いよいよふしぎなことだ。」
と、ぬえが山刀をさげたままながめていると、両方の皮がもうすっかりシカのからだについていました。いや、そればかりか、シカがむっくり起きあがったではありませんか。
日が暮れて、月の光でこれを見たので、ぬえは、自分の目がどうかしたかと思いました。木のかげのゆれるのでも見て、そんなことを勘《かん》ちがいしているような気がしたのです。しかし、そう思うまもなく、シカはぶるぶる身ぶるいするとともに、カヤ原の中をわけてかけ去って行ってしまいました。ほんとに、またたきするほどの時間でした。
それでも、その夜、月が明かるかったので、カヤ原をかけて行くシカのすがた、わけても、月光に光るその角は、よく見わけがつきました。カヤ原ばかりか、それが山にかかると、その白い毛の色は、木々のあいだにちらちらしました。それで、シカの逃げて行く方角もわかりました。
それから、ぬえの長いシカ追いが始まりました。二日、二晩、ぬえは深山の草木をわけて、シカの足あとをたずねてまわりました。そして、とうとうしすけごんげんというところで、そのシカを見つけました。シカは、山の岩場を逃げて行くとき、もうだいぶ弱っていたとみえ、岩と岩とのあいだにはさまって死んでいました。こんどは、ぬえもその皮をたやすくはぐことができました。皮ばかりか、その角も取ることができました。そのうえ、その目玉まで取ったということです。その目玉は、如意珠《によいだま》というもので、それを手に取ると、たちまち目の前に、あし毛の駒《こま》があらわれるという、ふしぎな宝物《たからもの》でした。
ぬえはこれからのち、そのあし毛の駒に乗って、深山を自由自在にかけめぐり、シカでも、クマでも、イノシシでも、取ろうと思うもので取れないものはないというようになりました。それで、その白シカをそのままにおいてはすまないと考え、それがたおれていた山上に、ほこらをたて、これを祭りました。これが、しすけごんげんというのです。また、片皮をはぐと片皮がついたというところを、片羽山ということになりました。そんないいつたえになったのです。
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