むかし、むかし、肥前《ひぜん》の国(長崎県)は島原《しまばら》に、有馬《ありま》というところがありました。そこの庄屋《しようや》さんの家に、美しい娘《むすめ》がいました。
ある夏のことです。ちょうど、稲《いね》の成長にたいせつな時期になって、とつぜん、この庄屋のたんぼに、水が、ぜんぜんはいらなくなってしまいました。村の人たちみんな、力をあわせて、たんぼへそそぐみぞを、作りなおしたり、もっと掘《ほ》りさげたり、いろいろやってみましたが、どうしても水がはいってきません。なんともふしぎなことです。そこで、しかたなく、庄屋さんは、氏神《うじがみ》さまに願《がん》をかけました。
「どうか、うちのたんぼに、水がのってきますように、おねがい申しあげます。」
ところが、満願《まんがん》の夜のことです。夢《ゆめ》に、氏神さまがあらわれて、
「これこれ、庄屋。おまえの家には、年ごろのきれいな娘があるだろう。有馬川にすんでいる一ぴきのカッパが、その娘をほしがっておるのじゃ。その娘を、カッパのおよめにやれば、すぐ、水が、たんぼにかかるようになるのだが、どうじゃ。カッパに、娘をやる気はないか。」
と、こう、おつげになりました。
庄屋は、目がさめてから、いろいろ考えましたが、どうも、すこしふにおちないおつげです。娘を、カッパのようなもののよめにするのか、と思えば、かなしくなってきます。それで、家の者にも、その話をしないで、いつものように、たんぼの見まわりに出かけました。みれば、やっぱり、じぶんの家のたんぼにだけ、水がはいっておりません。何日も水がはいらないので、たんぼの土は固くなって、いちめんにひびわれがしており、稲はもう黄ばんで、枯《か》れそうになっています。それにひきかえ、よそのたんぼには、水がなみなみとみなぎり、稲は、一本残らず青あおと成長しています。くやしくてなりませんが、どうすることもできません。それも、自分が作っているたんぼなら、あきらめもするのですが、自分のたんぼでも、小作人《こさくにん》に作らしているのですから、その小作人たちに、なんとも、すまなく思われるのでした。あれを思い、これを考えしながら、たんぼへ流れるみぞの口のところへ行って、ふと見ますと、夢で聞いたとおり、一ぴきのカッパが、水のとりいれ口をふさいで、からだをせきにして、寝ころんでいました。
「カッパ、カッパ、どうして、おまえは、そんなことをするのだ。」
庄屋がたずねますと、カッパは、昨夜、氏神さまがいわれたとおり、
「おまえさんとこの娘が、およめさんにほしい。」
と、申します。庄屋は、すっかり困《こま》ってしまって、心配そうな顔をして、とぼとぼと、家に帰っていきました。どうしたものかと、考えこんでいますと、娘が、
「おとうさん、おとうさん。どうして、そんなに、心配そうにしていらっしゃるのです。」
と、そう聞きました。庄屋は、今はもう、しかたなく、昨夜の夢のことや、けさのカッパのことなどを話しました。そのあとで、
「おまえ、すまんが、カッパのよめになってはくれまいか。」
と、娘にたのみました。すると、娘は、
「そんなこと、ご心配にはおよびません。わたくしに、おまかせください。きっと、水が、たんぼにはいるようにいたします。」
と、おとうさんをはげましました。
娘は、ヒョウタンをさげて、有馬川に出かけていきました。そして、みぞの口にがんばっているカッパに向かって、いいました。
「カッパさん、おまえが、わたしを、およめにほしいといわれたそうなので、わたしは、今、およめさんになりに来ました。だが、そのまえに、うちのたんぼに、水をいっぱいにしてください。いいですか。それから、ここに持って来たこのヒョウタンは、わたしの魂《たましい》ですが、今、これを、川の中に投げこんで行きますから、これを、水の中にしずめてください。このヒョウタンがしずんだら、わたしは、いつでも、あなたのところへやってきて、よめになります。たのみますよ。」
そういって、ヒョウタンを、川の中へ投げこんで帰っていきました。しばらくしますと、庄屋のたんぼには、水が、音をたてて流れこみ、それこそ、こぼれるほどに、たんぼいっぱいになりました。やがて、稲も青あおとしげってきました。
しかし、ヒョウタンのほうですが、それからのち、有馬川に、一つのヒョウタンが、ういたりしずんだり、ういたりしずんだり、いつまでも、ブクブクやっていました。ヒョウタンのことですから、カッパがしずめようとしても、どうしても、しずめきれないのです。それでも、カッパは、秋が来ても、冬になっても、ヒョウタンをしずめることに、一生けんめいになりました。しかし、どうしてもしずめられなくて、とうとう、庄屋の娘を、およめにもらうことができませんでした。めでたし、めでたし。