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日本むかしばなし集119

时间: 2020-01-30    进入日语论坛
核心提示:山の神と子どもむかし、むかし、あるところに、おかあさんと子どもが住んでおりました。家が貧乏《びんぼう》だったので、子ども
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山の神と子ども

むかし、むかし、あるところに、おかあさんと子どもが住んでおりました。家が貧乏《びんぼう》だったので、子どもが十二になったとき、おかあさんにいいました。
「おかあさん、おかあさん、今までは、おかあさんに難儀《なんぎ》をさせましたが、わたしも、十二になったから、これからは、一生けんめいはたらいて、おかあさんに、らくをさせてあげます。」
そして、それから、おかあさんにかわって、毎日、毎日、山へたきぎをとりに出かけることになりました。おかあさんは、大喜びして、子どもに、べんとうを作って、持たせてやりました。
ある日のことです。子どもが、おかあさんの作ったべんとうを、木の枝《えだ》にぶらさげて、木の上に登って、枯《か》れ枝を折《お》っておりました。すると、そこへ、どこからか、しらがのおじいさんがやってきて、子どもに、くれともいわず、枝のべんとうを、ムシャムシャ食べはじめました。子どもは、上からそれを見て、
「へんなおじいさんも、あるものだなあ。」
と、思いました。しかし、また、
「きっと、あのおじいさん、おなかがすいて困《こま》っているのだな。それなら、きのどくだから、おべんとうをあげることにしよう。自分は、家へ帰れば、いくらでも食べられるから。」
そう、思いかえしました。それで、木をおりてくると、
「おじいさん、おじいさん、えんりょなくおあがりなさい。」
そういいました。おじいさんは、
「ありがとう。年をとると、おなかがすいてなあ。」
そういって、おべんとうを、みんな食べてしまいました。子どもは、たきぎを背負《せお》って家へ帰ってきましたが、帰るとすぐ、山で会ったおじいさんの話をしました。すると、おかあさんがいいました。
「そうか、そうか。それはいいことをしたね。それでは、あすは、そのおじいさんのぶんと、二つのおべんとうを作っておこう。」
それで、子どもは、そのあくる日、ふたつのべんとうを持って、家を出ていきました。山へいくと、前の日のとおり、それを木の枝へかけ、自分は上に登って、枯れ枝を折っていました。すると、しらがのおじいさんが、また、どこからかやってきて、枝のおべんとうをとって食べはじめました。しかも、一つ食べると、二つ目も食べております。子どもは、これを見ると、
「おじいさん、よっぽど、おなかがすいてるのだな。わたしは、家へ帰れば、いくらでも食べられるのだから、べんとうなんかなくてもいい。」
そう思って、木をおりると、おじいさんにいいました。
「おじいさん、おじいさん、えんりょなく、二つともおあがりなさい。」
おじいさんは、
「ありがとう。ありがとう。年をとると、おなかがすいてなあ。」
そういって、二つとも食べてしまいました。
三日目は、べんとうを一つだけもって山へ行きました。おかあさんがよそに行くので、子どもに、早く帰るようにと、おじいさんのぶんだけ作ってくれたのです。
山へ行って、木に登りかけたら、いつものおじいさんが出てきて、
「子ども、子ども、おまえは、気だてのいい、親切な子どもだ。それで、これから、おまえに、いって聞かせることがある。わたしは、この山に住む、山の神さまだ。」
そこで、子どもは、木からおり、神さまのまえの石に腰《こし》をかけ、神さまのことばを聞きました。
「これから西の方へ行くと、天竺《てんじく》というところがある。そこには、おまえが、今まで見たこともないような、りっぱなお寺がある。そこへ、これからお参りしてくるがいい。行くとき、だれかが、きっと、おまえに、たのみごとをするはずだから、そのたのみごとを聞いてやるがよい。」
おじいさんは、そういったかと思うと、もう、そこに、大きなカシの木になって立っていました。
子どもは、家に帰って、おかあさんに、その話をしました。おかあさんも、その話にだいさんせいで、それではというので、天竺行きのしたくをはじめました。ところが、天竺というのは、遠い遠いところで、行くのに、何日も何日もかかります。それで、米だの、みそだの、たくさん持っていかなければなりません。大へんだというので、おかあさんと相談して、近所の長者《ちようじや》のうちへ、米やみそを借《か》りに行きました。
「こんど、わたしは、天竺の、見たこともないような、りっぱなお寺へお参りに行きます。それで、申しかねますが、道中《どうちゆう》に入りような米とみそを、お貸しくださいませんか。」
そういうと、長者は、
「それは、けっこうなことだ。ついては、こちらにもたのみがある。うちの娘が、もう三年も病気している。その天竺の、見たこともないような、りっぱなお寺へお参りしたら、娘の病気のなおるように、お祈《いの》りしてきてくれないか。」
と、いいました。
「それは、おやすいご用です。」
そういって、子どもは、米とみそを借りて、天竺へ出立《しゆつたつ》しました。何日も何日も行ったところで、一軒《けん》のりっぱな家へ泊《と》めてもらいました。すると、そこの主人がいいました。
「おまえさん、どこへ行かれますか。」
子どもが、いいました。
「天竺のお寺へお参りにいきます。」
主人が、いいました。
「それは、いいところへ行かれます。それでは、ひとつ、おねがいがある。うちでは、サンダンの花という花を作って、それで、今まで暮らしてきた。ところが、近ごろ、そのもと木が枯れ、つづいて、二番木が枯れた。今は、三番木しか花がさかない。どうかして、もと木と二番木に、もう一度、花をさかせたい。天竺のお寺へお参りしたら、そのことを、お祈りしてきてくださらないか。」
「はい、はい、承知《しようち》しました。」
子どもは、これもひきうけて、あくる日、そこを出立しようとすると、主人が、
「この先に行くには、大きな川をわたらにゃならん。」
と、いいました。行ってみると、なるほど、大きな川がありました。わたろうにも橋はなし、一つの船も見えません。
「さて、どうしたものか。」
と、考えていると、川の向こう岸を、ひとりの女が通っております。見ると、顔がはれていて、目がどこやら、鼻がどこやらわかりません。みっともない女の人です。しかし、ものは問うてみろと思って、子どもは、声をかけました。
「おーい、この川、どうすれば、わたれるかあい。」
すると、女が、かげのようになって、すっと、水の上をわたって、子どものそばに飛んできました。そして、聞きました。
「子ども、子ども、おまえ、どこへ行くんだ。」
子どもは、いいました。
「天竺へ行って、お寺参りをするんだ。」
これを聞くと、そのみにくい女が、頭をさげてたのみました。
「それでは、一つ、たのみがある。じつは、わたしは、陸に千年、川に千年、海に千年と、生きてきたもので、ほんとうのところは、人間ではないのです。天にのぼろうと、長いこと苦心《くしん》しているのですが、のぼる術がわかりません。それがわからないままに、目がはれ、鼻がふくれ、みにくい顔になりました。天竺のお寺へ行ったら、どうすれば天にのぼれるか、仏さまにうかがってみてください。」
子どもは、
「はい、はい、承知しました。」
そういいました。すると、その女は、
「では、わたしの頭にお乗りなさい。」
と、子どもを頭に乗せて、すっと、川の上を飛んでいきました。見るまに、向こう岸につきました。子どもは、そこに立って、西の方を見ますと、丘の上に、りっぱなお寺がたっていました。それこそ、今まで見たこともないようなお寺だったのです。
「あれこそ、山の神さまに教えられたお寺だ。」
と、喜びいさんで、そのお寺をさして歩きました。お寺へつくと、そこには、あのしらがおじいさんの、山の神さまが立っていました。
「よく来たねえ。」
神さまはいいました。それから、
「とちゅうで、なにか、たのまれなかったか。」
と、いうのでした。子どもは、まず、自分の家の近所に住む長者の娘の話をしました。すると、山の神さまは、
「そんなことは、わけはない。その家のまわりにいる男たちをみんな集めて、娘に、盃《さかずき》をわたさせてみるんだ。うけとったあいての男に財産《ざいさん》をやって、娘のおむこさんにすれば、娘の病気は、すぐなおる。そのほかに、なにかたのまれなかったか。」
そう、聞きました。それで、子どもは、サンダンの花の話をすると、神さまは、
「それも、わけはない。」
といって、花の木の根もとに、二つ、金のつぼがうまっていることを、教えてくれました。
「それを掘って、一つを人にやり、一つを家の者がとれば、サンダンの花は、また、美しくさくようになる。」
つぎに、子どもは、川の岸で出会った女の話をしました。すると、山の神さまは、
「それは、その女が、にんじょという玉を持っていて、それが惜しさに、目がはれ、鼻がつぶれ、三千年たっても、天へのぼれないでいるのだ。それを人間にやりさえすれば、すぐでも、天にのぼっていける。」
そう教えてくれました。そして、見るまに、神さまは、また、前のように、大きなカシの木になってしまいました。子どもは、そこで、すぐひきかえし、おかあさんのところへ帰ることにしました。歩いてくると、大川の岸へ出ました。岸には、みにくい女が立って、待っていました。
「どうだった。」
そう、聞きました。
「今、話してあげますが、その前に、川をわたしてください。」
子どもは、いいました。そして、やはり、頭に乗せてもらって、川をわたりました。そこで、
「あなたが持ってるにんじょの玉を、人間におやりなさい。すれば、すぐに、天にのぼれます。」
これを聞いて、女は、玉を子どもの前に出しました。と、もう、遠くの方で、おそろしい大きな音がおこり、まわりが霧《きり》でうまってしまいました。子どもは、おそろしくなって、どんどん逃《に》げだしました。遠くまで逃げて、ふりかえって見ると、霧がはれて、水柱《みずばしら》が空高くあがっていました。女は、その水に乗って、天へのぼってしまいました。
子どもは、玉をふところに入れて、おかあさんのところをさして歩いてきました。やがて、サンダンの花の家へ来ました。そこの主人も、待っていて、子どもに、
「どうだった。」
と、聞きました。子どもは、おじいさんに教えられた話をしました。主人は、さっそく、花の根もとを掘って、金のつぼを二つ見つけだしました。それで、一つを子どもにくれました。すると、二本の花の木は、もうすぐ芽を出し、葉を出し、つぼみをつけ、美しい花をさかせました。
子どもは、玉と金のつぼとを持って、喜んで帰ってきました。長者は、それを待ちかねていて、娘の病気のことを聞きにきました。そこで、子どもは、神さまから教えられた話をしました。
長者は、さっそく、近所の男たちを残らず集めて、娘に、盃をささせてみましたが、娘は、だれにもさそうとしません。長者のすすめで、子どもが、娘の前に行ってみると、娘は、すぐ、盃を手にとって、子どもにさしだしました。
ところが、子どもは、どうしても、それをうけとろうとしません。長者が、
「神さまのなさったことだ。うけとってくれ。」
と、いいましたので、子どもは、とうとう、盃をうけました。すると、娘の病気は、すぐになおって、立ちあがると、おどりをおどりはじめました。
そんなことになったので、子どもは、母親をつれて、長者のおむこさんになり、いつまでも、しあわせに暮らしたということであります。
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