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日本むかしばなし集128

时间: 2020-01-30    进入日语论坛
核心提示:赤いおわん小国《おぐに》の三浦《みうら》という家は、村いちばんの金持ですが、今から二、三代まえの話です。そのころ、三浦の
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赤いおわん

小国《おぐに》の三浦《みうら》という家は、村いちばんの金持ですが、今から二、三代まえの話です。そのころ、三浦の家は、まだ、まずしくもありましたし、おかみさんなどは、すこし子どもっぽいところのあるような人だったのです。
ある日のこと、そのおかみさんが、門の前を流れている川っぷちで、フキをとっていました。いいフキがありませんので、だんだん、川上《かわかみ》の方へのぼっていき、しだいに、谷の奥深《おくふか》くにまで、はいっていきました。
ふと気がつくと、りっぱな黒い門のある家の前に、出ていました。こんなところに、こんな家が、と、ふしぎに思って、門の中にはいってみますと、大きな庭があって、そこには、紅白《こうはく》の花が、いちめんにさいております。また、ニワトリが、たくさん遊んでおります。その庭を、裏《うら》の方へまわってみますと、牛小屋《うしごや》があって、たくさんの牛が、モウモウ鳴いたり、しっぽをふったりして、かいばおけから、なにか食べております。また、その先には、馬小屋《うまごや》があり、そこにも、何頭かの馬が、ヒヒン、ヒヒン鳴いて、やっぱり、なにか、ゴシゴシ食べていました。こうして、おかみさんは、そのへんを歩きまわってみましたが、どうしたことでしょう、人が、ひとりもおりません。じつにふしぎなので、また、玄関《げんかん》にもどって、
「ごめんください。」
と、よんでみました。何度もよんでみるのですが、家のなかは、しいーんとしていて、ぜんぜん、へんじがありません。人のけはいもないのです。それで、思いきって、家の中へはいってみました。
すると、玄関のつぎの間には、赤や黒のおぜんやおわんが、ずらっとならんでいます。奥座敷《おくざしき》の方へ行くと、そこには、大きな火ばちがあって、鉄びんの湯《ゆ》が、ゴンゴンわいております。それなのに、人は、ひとりもいないのです。
三浦のおかみさんは、そのとき、ふっと、ここは、山男の家ではないかしらん、と、思いました。すると、きゅうにおそろしくなって、玄関へかけだし、げたをはくのももどかしく、そこを飛びだし、大急ぎで、わが家の方へ、帰ってきてしまいました。
帰ってくると、すぐに、家の者に話し、村の者にも、そのことを話しましたが、だれひとり、その話を信用する者がありません。
「そんな家など、今まで、見たことも、聞いたこともない。」
そういう人ばかりです。
ところが、ある日のこと、三浦のおかみさんが、いつものように、家の前を流れている川のそばで、洗《あら》いものをしておりますと、川上のほうから、赤いおわんが一つ、流れてきました。あんまり美しいので、拾いあげて、持って帰りましたが、
——家の食器に使うと、みんなが、だれが使っていたのかわからないといって、きたながるかもしれない。
と思って、米やヒエなど、穀物《こくもつ》をしまう箱《はこ》の中に入れて、ますのかわりに、使うことにしました。ところが、このおわんではかりはじめてから、箱のなかの米が、いつまでたっても、なくなりません。家の者は、
「いったい、これは、どうしたんだ。米びつに入れたしもしないのに、このごろは、いつまでも、米があるじゃないか。」
そういって、ふしぎがりました。そこで、おかみさんは、じつは、これこれしかじかと、そのおわんの話をして聞かせました。
それからのち、三浦の家は、だんだん運がひらけてきて、今の三浦家という、村いちばんのお金持になりました。
このへんでは、そういう山の中のふしぎな家のことを、まよいがというのだそうです。そこへ行った者は、まよいがの家のものを、なにか一つ、持ってかえると、長者《ちようじや》になるという、いいつたえがありました。きっと、三浦のおかみさんは、子どものように、正直で、欲《よく》がなくて、あのふしぎな家から、なに一つ、とってこなかったので、あのおわんが流れてきて、それをさずかったにちがいない、ということであります。めでたし、めでたし。
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