ある夏のことです。佐川《さがわ》のさじさんという人が、用事があって、山家《やまが》の方へ出かけました。とちゅうで泊《と》まった宿屋《やどや》に、ノミがうんといて、からだじゅう、あっちこっちとくいつかれ、一晩じゅう、ねむれませんでした。
——帰りにも、ここで泊まらねばならないのだが、こんなにノミが出ては、とてもたまらん。
さじさんは、そう思って、宿屋のおばあさんに、いいました。出立《しゆつたつ》のときに、
「ばあさん、ばあさん、おまえさんは、もったいないことをしとるのう。佐川では、くすり屋で、ノミを、たこう買《こ》うとるが、ここじゃあ、なぜ、ノミをとって売らんのじゃ。」
おばあさんは、びっくりして、
「へえ、ノミが、くすりになりますかいの。いったい、何病にききますのじゃ。」
そう、聞きました。
「そりゃあ、わしも知らんが、売れることは、たしかに売れるのじゃ。これから三日したら、また、ここへ帰ってきて、泊めてもらうから、そのあいだに、ひとつ、せいを出して、ノミをとっておいてくださらんかの。そしたら、佐川へ持っていって、売ってあげるから。」
さじさんは、そういって、出かけました。
さて、三日たっての帰りのこと、さじさんは、また、その宿に泊まりました。ところが、ノミをよくとったとみえて、一晩じゅう、一度も、ノミにくわれることなしに、ぐっすりと、ここちよくねむれました。
あくる朝、さじさんは、ノミのノの字もいわず、出立しようとしますと、宿のおばあさんが、
「だんな、おやくそくのノミを、とっておきました。ひとつ、売ってくださいませんか。」
そういって、大きな紙づつみをひろげてみせました。見れば、とりもとったり、何百何千、ぞっとするほどのノミの数です。とっさに、さじさんは、
「しまった。いうとくのをわすれとったが、じつは、二十ぴきずつ、くしにさしておかんと、だめなんじゃ。一くし、二くしと、かんじょうしなくちゃ、こんなノミでは、かぞえられんからの。近きん、また、やってくるから、それまでに、くしをこしらえて、ノミを、みんな、さしといてくださいよ。では、おおきに、おせわになりました。」
そういって、さじさんは、宿を出ていきました。