国から子供等のおばあさんがくるというので、郊外の岡の上へその汽車を見にと十一になる善太をだしてやった。暫《しばら》くして彼は浮ぬ顔をして帰って来た。聞けば彼は汽車が原の遠くから白い煙を吐いてウネウネと動いてくるのを、岡の上でマタメガネをして待っていたというのである。
「そうしたらお父さん、汽車の窓から女学生のような人がだれかに突き落されたよ。そうしたらね、下に自動車が待っていて、その人を乗っけて、『ププププ——』って飛んでっちぁったよ。」
「ホントかい。」
「ホントウ。」
子供は大まじめである。しかしその時私は考えた。恐らく子供のマタメガネをしている間に、活動写真か何かで見たものをイメージとしてくり返したのだ。それに違いない。だってそれについては、私もまた幼い頃に不思議な記憶を有《も》っている。
秋の午後。
村端ずれの小高い岡の上で三四人の子供がモグラモチの穴を掘るのに夢中になっていた。その時、村の方から「ドン、ジャラン——。」という音が聞えて来た。草の葉かげからのぞくと、今葬れんが村を出ようとしているところだ。風に吹かれている白いのぼりにつづいて、棺《ひつぎ》の上に金のほうおうが屋根と屋根の間からユラユラと現われ出た。つづいて、黒装束の四人の担ぎ屋が長い足をそろえて、サッサッサッサッとやって来た。
「葬れん、葬れん。」
子供等は岡の上に立って、一せいにその方を打ち眺めた。棺につづいてテラテラの坊主頭。けさが金魚のようにキラキラ光る。その後がかみしもをつけた人、白むくを着た女、つづいてふなのようにゾロゾロと黒い人々の行列。
「ドン、ジャラン——。」鐘がしきりに鳴って、その行列が村からウネウネと遠い野原の方へ動いて行った時、今まで黙っていた子供の一人がこう叫んだ。
「オイ、こうしてみい。面白えぞ。面白えもんが見えら。」
子供の一人が葬れんに向って、岡の上からマタメガネをやっている。これを見ると他の子供もわれ勝ちにマタをのぞき込んで、ズラリと一列に尻を葬れんの方へ向けて立てならべた。
「見えらあ見えらあ。」
「ウン、葬れんが行きょうるぞ。」
「あれゃ、お墓山か、あの白えのは?」
墓の累々と立列んだ白ッポイ山の上には、一本の松の樹が鮮やかな影絵のように立っていた。ところが、その山の空を小さい黒い二三の点のようなものが飛んでいた。からすである。
「墓山の松の樹が見えるのう。」
「ウン、見える。」
「松の樹の上のからすが見えるか。」
「ウン、見える見える。」
「何ぼおりゃ?」
「一つ二つ。五羽じゃあ。」
「ウン。」
その時である。一人の子供が他の方で彼のマタの間から呼びかけた。
「何も見えりゃせんが、葬れんも墓山も。お前らどこを見ゅんなら?」
他の子供等がこれもみなマタの間から口々に答えた。
「あねえに見えるのに!」
「のう、あねえに!」
「どこを見ゅんなら?」
やがてこういって、一人の子供がマタから頭をぬいた。
「そっちじぁない。こっちじぁが。そら。」
こういって、その子供は友達の尻を墓山の方に向けさせてやった。
「見ょうが。」
「ウン。」
「葬れんが橋を渡っとろうが。」
「ウン。」
そこで、その子供は自分もまた尻を墓山に向って突き立てようとして、また一人の友達があらぬ方角にマタメガネでのぞいているのを発見した。
「正公、お前どこを見とんなら?」
しかし正公は返事をしないで一心に他の方角にマタメガネを見いっている。
「正公、何を見とんなら? オイ。」
やはり正公は返事をしないので、仕方なく彼はまた墓山に向ってマタメガネを突き立てた。
「アアアアア、オイ、からすがぎょうさんになったぜ。」
「ウン、ずんずんずんずんふえてくらあ。」
「もう、三十も四十も居るのう。」
「鳴きょるんが聞えるか?」
「ウンニャ。」
「聞いてみい。のう、ガヤガヤガヤガヤ鳴いとろうが。」
「ウン、鳴いとる鳴いとる。」
こうして皆が遠い墓山のからすの声にマタの間で耳をすましている時である。葬れんがウネウネと墓山の方に次第に小さくなって動いている時である。子供等の後ろで「モウ——。」という牛の鳴き声を聞いて、彼等はビックリ立上った。見れば、後ろには真黒な岩のような大きな一頭の牛がいつの間にくくられたのか、そこの一本のくいにくくられて、鼻づらを空にあげて低い声で鳴いていたのである。「モウ——。」
それから牛はくいの周囲を身体《からだ》に波を打たせ、よだれをタラタラと垂らせ「フウフウ。」と息をつき、そしてはえに向ってか、少し角を振ってまわって歩いた。それを見ると、一人の子供がバラバラと岡を下った。つづいて、また一人後を駆け下りた。また一人がそれにつづいた。
「のう、きょうとい牛じぁのう。ありゃ突くぜ。」
「ウン、ありゃコッテイじぁ。」
「のう!」
「のう!」
日はもう暮れかかっていた。彼等はそれから各自の家の方角へ散り散りに走り去った。しかし一人正公と呼ばれた、別の方角にマタメガネを向けていた子供だけは考え深そうに首を傾け傾け走りもせず、ソロソロ家路についた。
その翌日のことである。正公と呼ばれた子供が友達に話しかけていた。
「昨日のう、わしゃチンチン坊主を見たんだぜ。ホントウだぜ。マタメガネをしたろうが、あの時、彼方《むこう》の方の道を馬に乗って駆けっとった。」
その正公というのは実は幼時の頃の私である。私は実際見た。野原の白い道のウネウネの遠い彼方から、トルコ帽に似た帽子の後ろに垂れ下った長い辮髪《べんぱつ》を躍らせながら支那兵は馬に必死の駆け足をさせていた。服は黄いろく、手には青竜刀《せいりゆうとう》を持って、それを振上げ振上げ駆けていた。その後から一人の日本の騎兵が胸には赤い肋骨《ろつこつ》形の飾りのついた服を着て、背中には鉄砲を負い、これも馬に駆け足をさせていた。が、その馬の足の何と高く上ることか! それに見ろ! 日本兵はもう長い軍刀を前かがみになって振りかぶった。今、目の前であの支那兵の首は空中に飛びはしないだろうか。血が煙花のようにパッとはねはしないだろうか。私はそんなことを考えた。何にしても、秋の日暮れであるにかかわらず、それらの光景はまるで夏のように鮮やかな背景の上に映っていた。雲の峰のように白い煙が地平線にムクムクと浮んでさえいたのだ。
だが、今から考えれば、善太のマタメガネから見た女が活動写真の幻影であるように、私の幼時に見たこの支那兵も、あの頃はやっぱりのぞき眼鏡の幻影に違いない。しかし、それにしても、時代の移りを考えずにはいられない。子供等の中にも、いや、恐らく青年の中にも、日清戦争を頭に描くものなどはもう一人もいないのだ。時代も移れば、世界も変った。
村端ずれの小高い岡の上で三四人の子供がモグラモチの穴を掘るのに夢中になっていた。その時、村の方から「ドン、ジャラン——。」という音が聞えて来た。草の葉かげからのぞくと、今葬れんが村を出ようとしているところだ。風に吹かれている白いのぼりにつづいて、棺《ひつぎ》の上に金のほうおうが屋根と屋根の間からユラユラと現われ出た。つづいて、黒装束の四人の担ぎ屋が長い足をそろえて、サッサッサッサッとやって来た。
「葬れん、葬れん。」
子供等は岡の上に立って、一せいにその方を打ち眺めた。棺につづいてテラテラの坊主頭。けさが金魚のようにキラキラ光る。その後がかみしもをつけた人、白むくを着た女、つづいてふなのようにゾロゾロと黒い人々の行列。
「ドン、ジャラン——。」鐘がしきりに鳴って、その行列が村からウネウネと遠い野原の方へ動いて行った時、今まで黙っていた子供の一人がこう叫んだ。
「オイ、こうしてみい。面白えぞ。面白えもんが見えら。」
子供の一人が葬れんに向って、岡の上からマタメガネをやっている。これを見ると他の子供もわれ勝ちにマタをのぞき込んで、ズラリと一列に尻を葬れんの方へ向けて立てならべた。
「見えらあ見えらあ。」
「ウン、葬れんが行きょうるぞ。」
「あれゃ、お墓山か、あの白えのは?」
墓の累々と立列んだ白ッポイ山の上には、一本の松の樹が鮮やかな影絵のように立っていた。ところが、その山の空を小さい黒い二三の点のようなものが飛んでいた。からすである。
「墓山の松の樹が見えるのう。」
「ウン、見える。」
「松の樹の上のからすが見えるか。」
「ウン、見える見える。」
「何ぼおりゃ?」
「一つ二つ。五羽じゃあ。」
「ウン。」
その時である。一人の子供が他の方で彼のマタの間から呼びかけた。
「何も見えりゃせんが、葬れんも墓山も。お前らどこを見ゅんなら?」
他の子供等がこれもみなマタの間から口々に答えた。
「あねえに見えるのに!」
「のう、あねえに!」
「どこを見ゅんなら?」
やがてこういって、一人の子供がマタから頭をぬいた。
「そっちじぁない。こっちじぁが。そら。」
こういって、その子供は友達の尻を墓山の方に向けさせてやった。
「見ょうが。」
「ウン。」
「葬れんが橋を渡っとろうが。」
「ウン。」
そこで、その子供は自分もまた尻を墓山に向って突き立てようとして、また一人の友達があらぬ方角にマタメガネでのぞいているのを発見した。
「正公、お前どこを見とんなら?」
しかし正公は返事をしないで一心に他の方角にマタメガネを見いっている。
「正公、何を見とんなら? オイ。」
やはり正公は返事をしないので、仕方なく彼はまた墓山に向ってマタメガネを突き立てた。
「アアアアア、オイ、からすがぎょうさんになったぜ。」
「ウン、ずんずんずんずんふえてくらあ。」
「もう、三十も四十も居るのう。」
「鳴きょるんが聞えるか?」
「ウンニャ。」
「聞いてみい。のう、ガヤガヤガヤガヤ鳴いとろうが。」
「ウン、鳴いとる鳴いとる。」
こうして皆が遠い墓山のからすの声にマタの間で耳をすましている時である。葬れんがウネウネと墓山の方に次第に小さくなって動いている時である。子供等の後ろで「モウ——。」という牛の鳴き声を聞いて、彼等はビックリ立上った。見れば、後ろには真黒な岩のような大きな一頭の牛がいつの間にくくられたのか、そこの一本のくいにくくられて、鼻づらを空にあげて低い声で鳴いていたのである。「モウ——。」
それから牛はくいの周囲を身体《からだ》に波を打たせ、よだれをタラタラと垂らせ「フウフウ。」と息をつき、そしてはえに向ってか、少し角を振ってまわって歩いた。それを見ると、一人の子供がバラバラと岡を下った。つづいて、また一人後を駆け下りた。また一人がそれにつづいた。
「のう、きょうとい牛じぁのう。ありゃ突くぜ。」
「ウン、ありゃコッテイじぁ。」
「のう!」
「のう!」
日はもう暮れかかっていた。彼等はそれから各自の家の方角へ散り散りに走り去った。しかし一人正公と呼ばれた、別の方角にマタメガネを向けていた子供だけは考え深そうに首を傾け傾け走りもせず、ソロソロ家路についた。
その翌日のことである。正公と呼ばれた子供が友達に話しかけていた。
「昨日のう、わしゃチンチン坊主を見たんだぜ。ホントウだぜ。マタメガネをしたろうが、あの時、彼方《むこう》の方の道を馬に乗って駆けっとった。」
その正公というのは実は幼時の頃の私である。私は実際見た。野原の白い道のウネウネの遠い彼方から、トルコ帽に似た帽子の後ろに垂れ下った長い辮髪《べんぱつ》を躍らせながら支那兵は馬に必死の駆け足をさせていた。服は黄いろく、手には青竜刀《せいりゆうとう》を持って、それを振上げ振上げ駆けていた。その後から一人の日本の騎兵が胸には赤い肋骨《ろつこつ》形の飾りのついた服を着て、背中には鉄砲を負い、これも馬に駆け足をさせていた。が、その馬の足の何と高く上ることか! それに見ろ! 日本兵はもう長い軍刀を前かがみになって振りかぶった。今、目の前であの支那兵の首は空中に飛びはしないだろうか。血が煙花のようにパッとはねはしないだろうか。私はそんなことを考えた。何にしても、秋の日暮れであるにかかわらず、それらの光景はまるで夏のように鮮やかな背景の上に映っていた。雲の峰のように白い煙が地平線にムクムクと浮んでさえいたのだ。
だが、今から考えれば、善太のマタメガネから見た女が活動写真の幻影であるように、私の幼時に見たこの支那兵も、あの頃はやっぱりのぞき眼鏡の幻影に違いない。しかし、それにしても、時代の移りを考えずにはいられない。子供等の中にも、いや、恐らく青年の中にも、日清戦争を頭に描くものなどはもう一人もいないのだ。時代も移れば、世界も変った。