幼いころ、私たちは西洋人のことを異人とよんでいました。私たちの村には女の異人が住んでいました。
その異人の犬は胴が細くて、足がとても長かったのです。毛はラシャのようで、黒いのも、茶褐色のも、ようかん色のもありました。黒いのはピカピカ光っていて、海軍の軍人が着ている外套《がいとう》の軍艦ラシャというのにそっくりでした。だからとても|えらく《ヽヽヽ》見えました。もしかしたら、異人の海軍の軍人があの女の異人に魔法を使われて、犬になって、駆けているのではないかと、一人で思ったりしました。
茶褐色の奴は年よりじみていました。きっと異人の年よりが、あんな犬にされたのです。眼だって、異人のような青い眼をしています。古ぼけた異人帽をかぶせたら、年よりの異人になって、杖《つえ》をついて歩き出すかも知れません。
ようかん色のはとてもよく走る奴です。いつもどんどん駆けていました。あっちへ駆け、こっちへ駆け、方々の土の中に鼻を突っこみくの字のように、8の字のように、からだをひねって、それはいそがしく駆け廻っていました。
これは狼《おおかみ》が犬になったのだと、私は考えました。第一、こいつは私たちを見ると、一番さきに駆け寄って来るのです。そして黙って一二間先に立止り、そこから鼻を突き出して、フンフン言い言い側に寄って来るのです。ほえも、うなりもしませんが、それでもとても恐かったのです。
異人屋敷は周囲がトタン塀《べい》で囲ってありました。そしてその外に大きなポプラの木が茂っていました。その塀に私たちはよく小便をひっかけました。だって、バリバリという音が面白かったのですもの。すると、じき、ようかん犬がやって来て、塀の下から長い頭をのぞけます。足をくいつかれるかと思って、びっくりして、私は飛びのきました。
すると、犬の方でもびっくりして、頭を引っこめようとしましたが、今度は頭がトタンに引っかかって引っこめなくなってしまいました。
私たちは二間も離れて、それを眺めておりました。犬はあせって、頭を右に向け、左に向け、眼を白黒させていましたが、そのうちに、私たちがワナにかけたとでも思ったのでしょうか。首を斜め上に向けて、ギャッというような声を出すと、大きな口を開けて、上のトタンに噛《か》みつきました。白い歯が鋸《のこぎり》の歯のようにギザギザに列んだ、それは、ものすごい口でした。それからは私たちは、その犬を狼々と呼んで、みんなで恐がりました。
こんな犬が走り廻っているのですから、異人屋敷はそれは不気味なところだったのです。
異人の家は小高い壇の上にありました。その下に広い芝生があって、その中に大きな花畑がありました。色々な花がさいていました。紅い小さなコップ型の花や、小指ほどしかない白い百合や、実がつるつる坊主のようになる気味の悪い草などと、何十という種類があって一々覚えていることは出来ません。鮮やかな色をした、黄色や、紫や、白や、紅やの花が、一色ずつかためて植えてあります。それぞれ美しい一枚ずつの色紙を見るように思えました。
屋敷の外を通ると、風につれてとてもいい匂いがして来るので、みんな鼻をふんふん言わせたり、息を深く吸いこんだりしました。そのうちにだれかしら、異人はその花から薬をとるんだと言いはじめました。
「この花、ジキタリスと言います。心臓の薬とれます。死ぬ人、この葉で生きかえります。この円い実、これから出る乳から、モルヒネという薬とれます。眠り薬。だれでも飲むと眠ります。」
異人がこんなことを言ったというのです。それから私たちはこの花畑をも恐がり出しました。鮮やかだった花の色も、毒々しい色に見えて来ました。いい匂いも気味の悪い匂いになりました。それが匂って来るときには鼻をおさえて駆け通りました。匂いをかいだので眠くなりはしまいかと心配したり、眼がまいそうになったといって困ったりするものもありました。
異人は顔のぐるりに真白なかぶりものをしておりました。ちょうど白いものの中から顔をのぞけているような形です。そして体には真黒なふわふわしたものを着ていました。見れば見るほど、私たちには魔法使いのようにしか思えませんでした。
それに首から、金のピカピカ光ってる鎖を下げ、その先から、これもピカピカの十の字の形の金具を胸の上につるしていました。これが魔法使いの|しるし《ヽヽヽ》のように思われました。
ある日のことでした。私は三四人の友だちと一しょに、異人屋敷へ遊びにいきました。そこの料理人になって来た人の子供が私たちの学校へ新しく入って来たのです。それが異人屋敷を見せてやろうというので、恐々《こわごわ》ついていきました。
門から見ると、異人は花畑の真中で、高いいすに腰をかけていました。側には高い机があって、その上に木の枝でつくった止り木にとまったハトのような鳥が置いてありました。でもハトとはちがい長い頸《くび》のところの羽根が紫色に光っており、あとは黄色や赤や黒色の斑《まだら》になっていました。はじめ、じっとして動かなかったので、私はこれを造った玩具《おもちや》の鳥かと思いました。
ところが異人が人さし指を立てて鳥の前へ出し、何かペチャクチャ言い出すと、その鳥は首を傾げ傾げしはじめました。
それを見て私は、もしかしたらこれは動く玩具ではないかと思いました。けれども、異人が話を終ると、今度は鳥が、分らない異人の言葉でいろんなことを言いはじめたのにはおどろきました。鳥が一しきり話すと、異人がまた何か言いました。今度鳥が何かを言うと、異人はほほほと笑って、机の上の綺麗なふた物に手をかけました。鳥はそれを見るとフワリと止り木から机の上へ下りて、ふた物の側へ来て大きく口を開けました。
異人はまたほほほほと笑って、ふた物の中から円いものをつまみ出して、鳥の口に入れてやりました。鳥は首を上げ下げしてそれをのみこむと、また大きく口を開けました。異人はまた一つ円い餌《えさ》を入れてやりました。そしてふた物へふたをしました。
でも鳥はいつまでもそのまま立っていて、口ばしでふたをつッついたり、足で引っかいてみたりしながら、不思議そうに首を傾げていました。
それから異人は机の上から小形な本をとって片手にもって、しばらく読んでいましたが、いつまでも鳥がふた物をつッつくので、鳥を見て、何か叱るようなことを言いました。
すると、鳥はその意味が分ったのでしょう。ピョンと止り木の上へ飛び上り、その上をあちこちと歩き廻りながら、異人の言葉で、分らないことを、くりかえしくりかえし言い散らしました。異人は、もうそれにかまわず、一心に本に見入っていました。そのときになって、私たちはやっと気がついたように、
「何て鳥だろう。」と、言い合いました。料理人の子の話では、九官鳥って言うんだそうでした。
また或るとき、私たちは異人屋敷へいって、異人から二三間も離れて立っていました。異人は芝生にいすを出して腰をかけていました。そしてみんなに向って何かしきりに話しかけました。みんなは分らないので、たがいに顔を見合せて、
「何だい。」
「何言っているんだい。」
「え?」
と、こそこそ言い合いました。すると、料理人の子が、
「うん、分った。」と言って駆けだしました。みんなも、それについて駆け出そうとしますと、
「そこに待っているんだよう。」と、その子が言ったので、仕方なくそこに立っていました。でも、異人が、また何か言やアしないか、恐いことにでもなったらなお困るしと、みんな心細い気がしました。中には異人の方へ背中を向けて花畑を見るような|ふり《ヽヽ》をするものもありました。
少したつと、料理人の子は帰って来ました。見ると、カバンのような、箱のようなものをさげています。異人はそれを受けとると、にっこりして何か言いました。それが何だか「キュウ・キュウ。」というように聞えたので、みんなクックッと笑いました。後で料理人の子に聞いたら、それは、ありがとうッて言ったんだというので、みんなの間で、キュウキュウッていう言葉がはやりました。サンク、ユウっていう言葉のクユウばかりを聞きかじったのです。
異人は料理人の子が持って来た箱を開きはじめました。みんなは何が出るかと、だんだんに側へよっていきました。金ちゃんという子は、みんなをおしのけて、前へ前へと出るので、高さんという子が後ろから、とっと、おして「ほらあ。」と、おどかしました。金ちゃんはびっくりして思わず「キャッ。」と大声を出しました。それから二人は、小さい声で喧嘩《けんか》をしたりしました。
そのうちに箱が開いて、中から不思議な機械が出て来ました。それは幻燈の機械よりももっと立派で、もっと入り組んでいました。異人は、それへ三本の木の脚をつけて、地べたへすえつけました。
「あれ、きっと遠眼鏡だよ。僕たちに星を見せてくれるんだよ。」
金ちゃんがこんなことを言いましたが、料理人の子に聞いてみると、それは写真をとる機械だったのです。
それを聞くと、みんなはもじもじし始めました。そのころは写真をうつすと、寿命がちぢまると言って、村ではだれもうつしたものはありません。異人が何か言うと料理人の子はみんなに列べ列べと言いました。
それで、もう仕方なく、みんなは不承不承に五人で一列に列びました。異人は機械をみんなの前にすえつけ、硝子《ガラス》玉の側へ来て、みんなの方をねらいました。玉はまるで水のようにすきとおっています。その奥は暗くなっているようです。私たちはへんに気味がわるくなって来ました。
それから異人は、箱の後ろへまわって黒い布をかぶり、越後獅子《えちごじし》のような、かっこうをして、私たちの方をねらいました。あたりが暗くなって来るようなきがしました。きっと異人は、あの中で頭に角を生やし、口を耳まで裂《さ》きひろげ、狼のように目をむいて私たちの方をねらっているのだと私はおもいました。
だって、そうでなければ、あんな黒い布の中へ顔や頭をかくさなくてもいいはずです。
でも間もなくカチリと音がしたとおもうと、異人は、にっこりして顔を出しました。私たちは、ほうっと、ため息をつきました。
雪がとけた春のはじめでした。ある日みんなで異人屋敷の側を通っていると中からオルガンの音が聞えて来ました。それで私たちは屋敷の中へ入っていきました。そのころは、いくらか異人にもなれて恐さも少し減っていました。
そこへ料理人の子がやって来ました。聞くと、今日は異人の家で礼拝があるんだというのです。異人たちがたくさん集まって、あの家の中でキリストを拝んでいるというのです。何のお祭だったのでしょう。屋根の上には異人の旗が高く上っていました。旗には、黄色と赤とで、不思議な絵がかいてあるようでした。それが風にあおられて、バタバタと音を立てていました。日は暖かく光ってその赤れんがの高い家全体に当っていました。地面からは湯気が煙のように立上り、その後から陽炎《かげろう》がユラユラと、炎のようにゆらいでいました。
「どんなお祭をしているんだろうな。」
などと話し話し、みんなで異人の家をながめていました。異人たちは家の中で分らない歌をうたっています。姿は見えなくても私には、何だか、その一人一人が烏のように思えて来ました。だってみな黒い、ふわりとした服を着ているのでしょう。そしてみな高い鼻をしているのでしょう。烏天狗《からすてんぐ》っていうのは、もしかしたら、あんなのかも知れないと考えたりしました。歌の声だって、人間らしくなく、まるで魔ものの声のようでした。
と、そのとき、じっと異人の家を見つめていた一人が、
「おい、見てみろ。見てみろ。異人の家がユラユラゆれるぞ。」と、言い出しました。みんなは目をとがらせて見つめました。と、どうでしょう。ぐるりに陽炎がもえているので家がユラユラゆれているように見えました。
「ゆれてる。ゆれてる。」
一人が、びっくりして言ったので、みんなも本気になって、いかにも不思議そうに顔を見合せました。家がゆれているのは、異人がお祈りをしているせいだと料理人の子が言いました。それでみんなは、また家を見つめました。異人の歌はいよいよ高くひびいて来ました。
私は夏休に親類へ泊りにいって、いく日かして帰って来ました。帰ってみると、異人屋敷が二三日前に火事で焼けたという話を聞きました。それで、その翌朝、すぐ屋敷へ駆けていきました。
門に立ってながめると、ほんとに家は焼けており、屋根も落ちて、れんがの壁だけが残って煙で真黒になっていました。なぜ焼あとを片づけないのでしょう。家のあった壇の上には色々のものが炭になって崩れ散ったり、高く盛り上ったりしていました。門も開いたままで、花畑なぞもめちゃめちゃにふみ荒されていました。私は恐くて中へははいれませんでした。ふと見ると、門の側のポプラの木の下にきれいな鳥の羽根が三本散らばって風でかすかに動いていました。あのものを言う鳥の羽根でしょう。私はそれを三本とも拾って駆けて帰りました。その後も異人屋敷はいつまでもそのままで、煤《すす》けたれんがの壁に、さびしい雨がふったりしていました。