広い野原がありました。木も草も、一本もはえておりません。その向うに山がありました。山はいくつも重なり合って、遠い空の果てまでつづいていました。野原だって、遠くまでつづいていて、どこがおしまいなのかわかりません。
こんな草も木もない山と原とでは、動物だって住むことができません。だからねずみ一ぴき、虫一つさえおりませんでした。ただ、ときどき、風が空からおりてきて、その野原の上をつちけむりをおこして、あちらに走り、こちらに走りして遊んでいました。夜になると、山のかどばった岩かげに、月がじっとその光をとぎすまして、下界を見つめておりました。
「なんてさびしいところだろう。おそろしいようにさびしいところだ。」
月はかんがえていたかもしれません。
ある年の、夏のある日のことでした。このさびしい——そこはサバクだったのですが——山と野原の世界をかこんで、ぎんいろにかがやく雲のみねがたちました。雲のみねはむくむくもり上っていて、高いとうのように見えたり、大きなおおにゅうどうのような形をしていたり、ほとけさまがはすの花の上にすわっている姿になったりしていました。地上もものすごいさびしさなのに、空がこんなに美しかったので、もしこのサバクに人間の一人でも住んでいたら、
「これは天国のお祭が始まったのかもしれないぞ。」
と、そんなことをおもったにちがいありません。
その空のお祭が三日もつづくと、四日目から、今まで雨というものが、何年となくふったことのないこのサバクに、ザアザアザアザア雨がふりだしました。雨は一分のこやみもなく、実に七日七晩ふりとおしました。しかし、何年と雨を知らない土地のことですから、そんなになっても、こう水になるでもなく、そのたくさんの水を、土がみんな地のそこへすいとってしまいました。
七日たって雨がやむと、フシギなことがおこりました。サバクの草も木もない山の中の一つの谷間に、大きな虹が立ったのです。こちらの山の中腹から、むこうの山のいただきへかけて、空に五色の橋をかけました。人もケモノも、鳥も虫も、それからさかな一ぴきいない山の中ですから、虹はほんとにフシギなほど美しかったのです。しかも、その虹が夜も昼もきえないで、何と、三日も立っていたということです。
四日目の朝のことです。虹はゆうべのうちにきえたのですが、朝日が、——おそろしいほどさびしい谷間のけしきをまた見ることと思って、そーっと山かげから、その谷間にさし入りますと、あれ、これはどうしたことでしょう。虹のねもとになっていた山の中腹に、一本の大きな木がはえていました。それこそ、高さ何十メートル、太さ十何メートルという大木です。その上、その木は八方にはっている大枝という大枝、茂っている小枝という小枝に、むすうの花を、つけていました。さくらの花のようにうっすらとあかく、しかも、花びらは、はすの花のように大きな花です。それが一本の木で、そこにこんもりした花の森ができたように咲きほこっていました。朝日は山かげから、その花の木に光をなげ、ハッとしておどろいたのであります。それでひるになるにしたがって、だんだん強い光で、その谷間をてらしましたが、強い光でてらせばてらすほど、その花の木は一そう美しく光りかがやき、なんともいえない、いいにおいさえはっさんさせました。それは木から空へ、むらさきのけむりのようになって、立ちのぼるように見えました。
ところで、その午後のことです。夕日が西の山にかかり、あかい夕ばえ色に谷々山々をそめたころ、風が一吹き、空からその花の木の谷間へ吹きおりて来ました。つちけむりをあげるようなそんな強い風ではなかったのですが、しかし花の木の花はパラパラパラパラ、その風に吹かれてちりました。はじめは、三つ四つとちったのですが、やがてふぶきのように真白になり、ひとかたまりになり、一つの白い流れになってちって行きました。そして空をヒラヒラもうて、谷のあちらこちらへと落ちて行きました。中には、山のてっぺんにかかったり、またその山をこして、むこうの谷の方へちって行くものもありました。そして夕日の光が山のてっぺんからきえて行くころには、花の木は花一つない枝ばかりのはだかの木になって立っていました。
そのあくる日のことです。朝日がまた心配そうに、山かげからそっと、花の木のあった谷間をのぞきました。
「昨日は風がむざんにあの花の木の花をちらしたが、今日、あの木はどんなすがたで、どんなきもちで立ってるだろう。」
朝日はそんなことを思ったことでありましょう。でも、朝日は谷間に光をさしてみて、ついにっこりしたほど安心しました。だって花の木は花がちって、花をつけた枝は一枝もありませんでしたけれど、そのかわり、大枝という大枝、小枝という小枝に、青いはっぱが枝もみきもかくしてしまうほどしげっていました。しかも、そのははそよ風に吹かれて、さも涼しそうにさわさわと音を立て、そよいでいました。
「なるほど、こうなればほんものだ。心配することはない。」
朝日はそう口にだしていったかもしれません。それからあと、その木は枯れもせず、風に吹かれても、はを落しもせず、何年も何十年も、そのままの姿で立っていました。
で、それからのち、何十年のことだったでしょう。その木の下の大きな岩のねもとから、きれいな泉がわき出しました。その泉は夏が来ても、秋が来ても、少しもかれないで、いっときのやすみもなく、こんこんとわきつづけました。それでやがてそれは小さな川になり、山をくだって谷を流れ、谷をくだってまた谷に入り、いくまがりしたのち、それは野原に出て行きました。そしてひろいその原を流れ流れて、遠い空のむこうまでつづきました。おしまいはきっと海に流れこんだことでありましょう。
そうして、また何年かたちました。すると、こんどはその谷の小川の岸に、ぽつりぽつりと木がはえだしました。やがて、それは大きな木になり、花を咲かせて、青ばを茂らせました。まるで杉の木のように高い木だったのです。そんな木が谷間のほうぼうにつき立って、風に吹かれるようになったのです。
と、ある日のこと、どこからか、鳥が一羽とんで来ました。白い鳥です。頭にはカンムリのような羽がはえているし、おばねはまた長い三本のリボンのようにひらひらしていました。それがとんで来て、谷川のきしの一本の木のてっぺんにとまり、そこでクワアー、クワ、クワ、クワと鳴きました。すると、空のむこうからおなじような鳥が、おばねをひらひらさせて、なんばもなんばもとんで来ました。しかも、白いのばかりではありません。金色の羽をしたのや、まっかな羽をしたのや、中にはむらさきの羽のものなどもありました。きっとそれは鳳凰《ほうおう》という鳥だったかもしれません。それらの鳳凰が谷間の木のあちらにもこちらにもとまりますと、それはまるで、そこに大きな美しい花が咲いているように見えました。しかもその鳳凰は、花のような白や赤のつばさをひろげて、木から木へ、あるいはその谷間の空を高く雲の上のほうへまいあがったりとびうつったりいたしました。木から木へうつって行く時は、金やむらさきの太い糸をひいているように見え、空の上高くまい上った時には、風に吹かれて行く花の一ひらのように見えたりしました。
ところで、その鳥が来て谷間の木々にすむようになってから、泉の水がだんだんふえ出して来ました。よく雨がふるようになったせいでしょうか。それとも、鳥が鳴きかわすこえに、泉の水がよび出されてくるのでありましょうか。とにかく水が、大へんないきおいでふき出しはじめました。それで谷間の川もだんだん大きくなり、しまいにはとちゅうにだんができて、そこが大きな滝になり、どうどうとシブキをあげて流れおちるようになりました。それからその下流の川が、はばもふかさも何十ばいとなったことはいうまでもありません。野原の中などでは、そこに大きな湖水が一つ出来たりしました。
それから、また、何年かたちました。と、またふしぎなことがおこりました。その泉のそばにいつのまにか、大きながまが住むようになったのです。せいの高さ三メートル、まるで大きな岩のようながまなのです。それが、知らないものがみたら、岩とまちがえるような形をして、じっと、泉のそばにしゃがみました。
どうしてでしょう。
それはきっと水のかみさまで、泉の水をにごしたり、よごしたりするものを番するために、そこへやって来たのでしょう。ほんとにそれもありましたが、その頃になって、この谷間にはとてもたくさん動物がふえ、泉へ水をのみに来るものがひきもきらないありさまでした。それでがまは、そこにいて、そこにたくさんよって来る動物を、次から次へパクリパクリとたべていました。その中でも、海にいるサケやマスというさかなは、その泉の水の美しくすんでつめたくあまいのをしたって、滝のしぶきもおどりこえて、そこに卵をうみに年々のぼって来たのです。すると、がまはそれをまちかまえていて、パクパクパクパクたべました。そしてがまは年々大きくなり、ついには十メートルもある大きな、大きな岩のようながまになってしまいました。
それからまた、何年かたちました。そして、雨のふらない年がつづきました。すると、泉の水がだんだんかれて来て、やがて、谷川の流れもほそくなり、草や木も枯れて来ました。谷間の動物もどこへ行くのか、いつとなくいなくなってしまいました。泉のそばのがまもやせおとろえ、骨と皮ばかりになりました。風が吹いてきて、谷間の土をまき上げ、これをけむりのようにして、あちらこちらとはこんで行って遊ぶようになりました。いつのまにか、その谷間が、昔のサバクの姿にかえってきたのです。
そしてある年のこと、何十年か昔のようにこのサバクのまわりにまたぎんいろの雲のみねが立ちました。とうのような、おおにゅうどうのような、はすの花の上のほとけさまのような、雲のみねがサバクをかこんで、空の上にならびました。そしてその後また雨がふりました。雨がやむと虹が立ちました。虹はやっぱり夜となく昼となく三日も、このさびしいサバクの谷の上にかかっていました。その時、その谷にはもう草も木も、泉も川も、それから動物もがまも、何一つなくて、いちめんはいいろの土ばかりでした。人ひとり通らず、このサバクの虹を知っている人もありませんでした。
やがて虹はきえて行きました。そしてそれから後、何十年、いや何百年か、ついに虹はその谷間の上に二度とたたなかったということです。