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「まさか」の人に起こる異常心理11

时间: 2020-01-31    进入日语论坛
核心提示:難聴から被害妄想になったベートーベン ベートーベンは一八二七年三月、五十六歳であの世に行ったが、生涯、慢性下痢と重い聴力
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難聴から被害妄想になったベートーベン

 ベートーベンは一八二七年三月、五十六歳であの世に行ったが、生涯、慢性下痢と重い聴力障害に悩んだことはよく知られている。
彼の生活態度や音楽の内容から、その性格は執着性と完全主義を中心とした粘着性であろうと想像される。彼はウィーンで、実に三十五年間に七十九回も引っ越しをしているのだ。たぶん家主とのトラブルや一〇〇パーセントを望む心情と粘着性にありがちなかんしゃく持ちが原因なのだろう。私の亡父、茂吉も典型的な粘着性だが、同じウィーン留学中のたった一年の間に、四回も下宿を変えている。主な理由は南京虫の襲来で、父は虫に好かれる体質の持ち主だったからだ。
父は慢性便秘だったが、ベートーベンは反対に慢性下痢だった。彼は人一倍、ストレスが強かったと思うが、ストレスは肉体的には消化器系統に最大の影響を及ぼすから、この下痢は心因性の下痢、つまり心身症の下痢と考えるのが妥当だろう。
ベートーベンが弟にあてた、いわゆる「ハイリゲンシュタットの遺書」は有名である。その中に彼が強い希死念慮に襲われていることを告白しているから、彼がうつ状態を持っていたことは十分に考えられる。同時に難聴から必然的に起こる被害妄想の所有者でもあったと思う。
彼の難聴の原因だが、一般論として、聴神経の炎症や萎縮があげられているが、中には先天性梅毒説を唱える研究者もある。彼の骨の変化が梅毒性によるものだと発表した学者もいる。
それやこれやでベートーベンは病苦に襲われ続けた。そのためにワインを飲んだとしても不思議ではない。しかも当然のことながら量はしだいにふえ、ついには大量飲酒にたどり着く。彼は、死亡する三年前の一八二四年にかの第九交響曲を作曲した。その翌年には肝硬変(多分アルコール性だろうが)がかなり重症になっているであろうことは、足の浮腫、腹水が生じていることでもわかる。
マレック著の『ベートーヴェン論』を読んだ。それによると、自分の部屋にはだれも入れようとせず(私の父も、書斎にはお弟子さんすら入れなかった)、いすの上に原稿が散乱し、ピアノの中にインクが流れ込み、原稿の報酬も本人が見せかけていたのよりはるかに多く、死後、秘密の引き出しから多額の金が発見された。
彼は服を着替えることを極度に嫌った。ひどいかんしゃく持ちで料理の皿を給仕人に投げつけたりした。晩年の病中、ベッドにはきたない虫が群らがっていて、病気中にもらった見舞い品の中で彼が最も喜んだのは、虫とりの粉だったそうである。
また父を引き合いに出す。私は戦後はやった発疹チフスの精神症状の研究で伝染病院に通ったが、そこで土産にもらったDDTを父がおしいただくようにして喜び、惜しみ惜しみ、畳のへりへまいていた姿を今でも覚えている。
ベートーベンがこのような肉体的、精神的苦悩に打ち勝って、偉大な創造力を発揮したことにはただ頭が下がるのであるが、同時に苦痛、悲哀が彼の創作意欲をかき立てたことに思いを至すのである。
松本清張は「悪妻が文豪をつくる」という有名な言葉を残したが、漱石も子規も、身体的、精神的な苦悩の中で、名作を生み出している。芥川龍之介もまた例外ではないのだ。
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