ドストエフスキーがテンカンの持ち主であったことは周知の事実だが、彼の長編小説『白痴』と『悪霊』はこの病気を扱った代表的なものだ。多少の潤色はあるにせよ、たとえば、『白痴』に出てくる次の文章(岩波文庫『白痴』米川正夫訳)にわれわれは発作前後の心理をうかがい知ることができる。
テンカンとは特有なケイレンと意識喪失発作を主な徴候とする症候群のことだ。古くから知られている病気だが、シーザーもスペインのコルドバ進攻のとき、五十回もケイレン発作を起こしたという記録がある。
さて、ドストエフスキーの『白痴』の一節。
テンカンとは特有なケイレンと意識喪失発作を主な徴候とする症候群のことだ。古くから知られている病気だが、シーザーもスペインのコルドバ進攻のとき、五十回もケイレン発作を起こしたという記録がある。
さて、ドストエフスキーの『白痴』の一節。
……こうした発作のおこりそうなときの彼は、自分でも知っていたが、おそろしくぼんやりしてしまって、よくよく注意を緊張させて見ないことには、人の顔やその他のものをいっしょくたにして、間違えることが多かった。(筆者註。前駆症)……それは発作の来るほとんどすぐ前で、憂愁と精神的暗黒と圧迫を破って、ふいに脳髄がぱっと焔《ほのお》でも上げるように活動し、ありとあらゆる生の力が一時にものすごい勢いで緊張する。(前兆)……「……」と叫んだらしいのを覚えているばかりだ。それにつづいて、なにかしらあるものが彼の眼前に展開した。異常な内部の光が彼の魂を照らしたのである。こうした瞬間がおそらく半秒くらいもつづいたろう。けれども、自分の胸の底からおのずとほとばしり出た痛ましい悲鳴の最初の響きを、彼は意識的にはっきり覚えている。それはいかなる力をもってしても、とめることのできないような叫びであった。つづいて瞬間に意識は消え、真の暗黒が襲ったのである。(大発作)
テンカンを持っている人に多く見られる性格は以前から知られていて、それを欧米では「テンカン性格」と呼んでいた。しかし、わが国ではテンカンという病気と混同されやすいので、われわれは「粘着性執着性性格」と呼ぶことにしている。
私の父は一九五三年(昭和二十八年)に他界した。私は新聞社に依頼されて原稿を書いた。そのとき父の性格を「テンカン性格」と書いたら、親類やお弟子筋から「攻撃」されたことがあった。それ以来、私はテンカン性格という呼称をやめにした。
その性格の要素をあげれば、きちょうめん、凝り性、完全主義、執念深い、執着する、頑固、正義感が強い、不器用、ばかていねい、責任感が強い、かんしゃく持ち、けんか早い、整頓好き、などとなる。
こう見てくると、これは日本人にかなり多く見られる性格ではないか。
私はこの性格を「融通のきかない粘着性」と「融通のきく粘着性」に分ける。むろん後者のほうが世を渡るには有利である。しかし、世の不正義、不合理に挑戦する、いわゆる世直し正義漢には前者をもって代表者とする。
ドストエフスキーがいかなる叫びを上げて世に挑戦したかは、彼の作品をじっくり読むしかすべがない。
私の父は一九五三年(昭和二十八年)に他界した。私は新聞社に依頼されて原稿を書いた。そのとき父の性格を「テンカン性格」と書いたら、親類やお弟子筋から「攻撃」されたことがあった。それ以来、私はテンカン性格という呼称をやめにした。
その性格の要素をあげれば、きちょうめん、凝り性、完全主義、執念深い、執着する、頑固、正義感が強い、不器用、ばかていねい、責任感が強い、かんしゃく持ち、けんか早い、整頓好き、などとなる。
こう見てくると、これは日本人にかなり多く見られる性格ではないか。
私はこの性格を「融通のきかない粘着性」と「融通のきく粘着性」に分ける。むろん後者のほうが世を渡るには有利である。しかし、世の不正義、不合理に挑戦する、いわゆる世直し正義漢には前者をもって代表者とする。
ドストエフスキーがいかなる叫びを上げて世に挑戦したかは、彼の作品をじっくり読むしかすべがない。