ここまで書いてきて私の頭に浮かんだのは、例のロス銃撃事件のMという人物だ。彼もまた自己の感情に左右されやすい男で、多くの報道陣にとり囲まれ、追いかけられるのをむしろ楽しんでいるように見えた。
二人とも、その場での話題の中心人物、クイーンであり、キングでなければ自己満足できない人間であった。もし仮に、周囲が彼らを完全に無視し、一人の報道陣もいなくなったらどうかを想像してみる。おそらく、彼らは何事かのパフォーマンスで世間の耳目を自分にひきつけ、再び大きな関心を持たれるような行動を展開するのではないだろうか。
ここで注目するのは、ヒステリーという言葉だ。
ヒステリーという病気は心因性の病気である。ジークムント・フロイトはヒステリーの本質を「疾病への逃げ込み」だとしている。ヒステリーは疾病へ逃避することによって、自己を防衛し、なんらかの利益を得るのだという。疾病への逃避は無意識下に、または半意識下に行われる。これが意識的に行われれば病気とは言えない。仮病(詐病)になる。
ヒステリーという病気は運動麻痺、ケイレン、感覚麻痺などの身体症状、意識障害、記憶喪失、朦《もう》朧《ろう》状態などの精神症状を呈することで、心の葛藤から逃避し、自己の心的欲求を代償的に満足させる状態をいうのだ。
ヒステリーという病気の基礎になるのが、ヒステリー性格と呼ばれる性格であることは前に書いた。この性格の中心は自己中心ということができる。くやしがりやで、負けず嫌い、自分が中心でないと気がすまず、流行を追い、自己を誇張する、言動がドラマチックであるなどがこれに伴う。負けず嫌いだから勉強はする。努力もする。したがって、トップクラスまで上りつめる。
しかし結局は、人のことを考えず、自己中心的であることがわかり、人々がしだいに離れていく。こういう人は利害関係さえなければつきあっておもしろい。言動が演劇的であるから愉快である。しかし、ひとたび利害関係、敵対関係が生じるとこわい相手になる。しっぺ返しを食う。おおげさにいえば、食い殺されるのだ。
こう書いてくると、ヒステリー性格は箸にも棒にもかからぬ悪いところばかりのようだが、どんな性格もいいところと悪いところの双方を持っている。ヒステリー性格のいいところは危機に際して強い、ということだ。人が、そして国がどん底からはい上がるときに、この性格が大いに役立っていることを歴史や生活歴が証明している。
二人とも、その場での話題の中心人物、クイーンであり、キングでなければ自己満足できない人間であった。もし仮に、周囲が彼らを完全に無視し、一人の報道陣もいなくなったらどうかを想像してみる。おそらく、彼らは何事かのパフォーマンスで世間の耳目を自分にひきつけ、再び大きな関心を持たれるような行動を展開するのではないだろうか。
ここで注目するのは、ヒステリーという言葉だ。
ヒステリーという病気は心因性の病気である。ジークムント・フロイトはヒステリーの本質を「疾病への逃げ込み」だとしている。ヒステリーは疾病へ逃避することによって、自己を防衛し、なんらかの利益を得るのだという。疾病への逃避は無意識下に、または半意識下に行われる。これが意識的に行われれば病気とは言えない。仮病(詐病)になる。
ヒステリーという病気は運動麻痺、ケイレン、感覚麻痺などの身体症状、意識障害、記憶喪失、朦《もう》朧《ろう》状態などの精神症状を呈することで、心の葛藤から逃避し、自己の心的欲求を代償的に満足させる状態をいうのだ。
ヒステリーという病気の基礎になるのが、ヒステリー性格と呼ばれる性格であることは前に書いた。この性格の中心は自己中心ということができる。くやしがりやで、負けず嫌い、自分が中心でないと気がすまず、流行を追い、自己を誇張する、言動がドラマチックであるなどがこれに伴う。負けず嫌いだから勉強はする。努力もする。したがって、トップクラスまで上りつめる。
しかし結局は、人のことを考えず、自己中心的であることがわかり、人々がしだいに離れていく。こういう人は利害関係さえなければつきあっておもしろい。言動が演劇的であるから愉快である。しかし、ひとたび利害関係、敵対関係が生じるとこわい相手になる。しっぺ返しを食う。おおげさにいえば、食い殺されるのだ。
こう書いてくると、ヒステリー性格は箸にも棒にもかからぬ悪いところばかりのようだが、どんな性格もいいところと悪いところの双方を持っている。ヒステリー性格のいいところは危機に際して強い、ということだ。人が、そして国がどん底からはい上がるときに、この性格が大いに役立っていることを歴史や生活歴が証明している。