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「まさか」の人に起こる異常心理29

时间: 2020-01-31    进入日语论坛
核心提示:むずかしい暴力者の入院 われわれのところに親たちが子どものことで相談に来ることが多い。親は本人を連れてくることを第一に考
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むずかしい暴力者の入院

 われわれのところに親たちが子どものことで相談に来ることが多い。親は本人を連れてくることを第一に考えるようだが、むろん本人は親の言うことを聞かないから、その機会はなかなかやってこない。そして対処や治療が遅れ、手おくれになることがある。そうならないためには、まず親が単独でいいから病院に早くやってくることだ。本人不在でも親のインタビューでその対処法が発見できるかもしれないからだ。
こういうケースを扱っていて、母親が子どもを「ちゃん」づけで呼ぶのを聞く。高校生や大学生、社会人になった息子を「○○ちゃん」と呼んだら、ほぼまちがいなく、過保護、過干渉、情緒過多の母親と思っていい。「ちゃん」はせいぜい幼稚園までで、それ以上は「太郎」「一郎」と呼び捨てにするのが普通の姿ではあるまいか。
家庭内暴力は精神障害を伴うものであれば、正確な診断のもと、精神障害の治療を優先すべきなのはもちろんであるが、「受診や入院などの方策もあったのではないか」という東京地裁の裁判長が加えた被告の対応批判は、精神科医療の現場を知らない素人の発言である。今の制度のもとでは、入院させることがいかにむずかしいかを知らない発言である。入院の前に、人権優先の思想が大きく立ちはだかっているのだ。
人権を濃厚に織り込んだ法律がある。われわれはそれに従わざるをえないのだ。それでなくとも暴力者は他罰的(何事も人のせいにする)で反抗的であるから、親が入院させるといってもそう簡単には従わないだろう。第一、親が施設に相談しに行ったと聞けば、激昂して親にさらなる暴力をふるうに違いない。昔のように強制的に入院させることなどとうてい不可能なのである。
たとえ、やっと入院させたとしても、本人が「退院したい」と言えば、七十二時間のうちに本人を説得せねばならない。精神障害の場合、現在は主力は薬物療法であるが、本人は薬を拒否することが多いから、なおさら実施不可能である。
精神障害合併の場合はまだいい。これが純粋に心理的要因によって発生した場合、来院するのは主として親(本人は来たがらない)であるし、親たちは自分のやっていることが最良と考えているから、なかなか当方のアドバイスに乗ってこない傾向がある。
したがって、心理療法は時間がかかることを覚悟しなければならない。親が、そして周囲ががまんを重ねているうちに、子どもは年をとり、考え方が主観的から客観的に変わっていく(ふつう、子どもから大人へ変化していくにはこの経過をとる)かもしれない。
その間を待ちきれないでついにキレてしまったのが、「金属バット殺人事件」の父親であった。
私はこの父親の苦悩に同情を禁じえない。妻も娘も身の危険を感じて家を出て、父親一人が長男の暴力と日夜、真っ向から直面せざるをえなかったのだ。しかも、父親の悲劇は彼自身の持って生まれた性格の中にもひそんでいた。
彼の性格の中心を占めたのが、粘着性性格だったと思う。物事を四角四面に考えるような正義感があって、礼儀正しく、がまん強いが、ある程度を越すと猛然と爆発しやすい性行が見られる。つけ加えれば、本業以外の趣味がなく、ジョークがわからない、要するに超まじめ人間ということがいえよう。
この性格は、けっして珍しい性格ではない。実は日本人に多い性格なのだ。事実、私の父、茂吉も粘着性を中心にして、神経質、内閉性をあわせ持った性格だった。かんしゃく持ちで、よく激怒した。しかし、粘着質が文学活動に開花した。分水嶺と同じで、同じ水源から流れ出た水が一方は「正」のほうに作用し、一方は「負」の道をたどるのだ。
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