世紀末に凶悪な事件が次々と発生して世間の耳目を集めた。
一九九九年(平成十一年)九月には山口県下関駅で、車が突っ込み、通行人七人をはね飛ばし、車から下車した男(三十五歳)が二階のプラットホームに駆け上がり、持っていた包丁で男女を次から次と刺した。被害者一五人のうち五人が死亡し、十人が重軽傷を負った。警察の調べに対し、被告は「何をやってもうまくいかず、社会に不満があった」とか「だれでもいいから殺してやろうと思った」などと述べたという。目撃者によると、男は笑いながら車を運転していたそうだ。
男は前年三月から下関市内の精神科の病院に通院しており、前日にも診察、投薬を受けているから、精神科と関連のある事件であることはまちがいない。当然、精神鑑定が行われるであろうから、その鑑定を待たなければならないが、この種のいわゆる「通り魔事件」は、覚醒剤中毒と関係があることが少なくないことを申し添えておく。
九九年七月の全日空機ハイジャック、機長刺殺事件もまた社会に大きな衝撃を与えた事件である。犯人は一橋大学を卒業後、就職したが社内で人間関係がうまくいかず、仕事上の失敗もあり、家族に無断で退職し、日本各地を放浪、その間三回も自殺未遂があった。
自宅に戻ったあと、両親のすすめもあり、三カ所の診療所、一カ所の病院(いずれも精神科)の診察を受けているから、これも当然、精神科関係の事件であるが、精神鑑定に回されるであろうから、今はうんぬんできない。ただし新聞報道によると、精神科の診察は「人格障害」であったそうだ。
一九九九年(平成十一年)九月には山口県下関駅で、車が突っ込み、通行人七人をはね飛ばし、車から下車した男(三十五歳)が二階のプラットホームに駆け上がり、持っていた包丁で男女を次から次と刺した。被害者一五人のうち五人が死亡し、十人が重軽傷を負った。警察の調べに対し、被告は「何をやってもうまくいかず、社会に不満があった」とか「だれでもいいから殺してやろうと思った」などと述べたという。目撃者によると、男は笑いながら車を運転していたそうだ。
男は前年三月から下関市内の精神科の病院に通院しており、前日にも診察、投薬を受けているから、精神科と関連のある事件であることはまちがいない。当然、精神鑑定が行われるであろうから、その鑑定を待たなければならないが、この種のいわゆる「通り魔事件」は、覚醒剤中毒と関係があることが少なくないことを申し添えておく。
九九年七月の全日空機ハイジャック、機長刺殺事件もまた社会に大きな衝撃を与えた事件である。犯人は一橋大学を卒業後、就職したが社内で人間関係がうまくいかず、仕事上の失敗もあり、家族に無断で退職し、日本各地を放浪、その間三回も自殺未遂があった。
自宅に戻ったあと、両親のすすめもあり、三カ所の診療所、一カ所の病院(いずれも精神科)の診察を受けているから、これも当然、精神科関係の事件であるが、精神鑑定に回されるであろうから、今はうんぬんできない。ただし新聞報道によると、精神科の診察は「人格障害」であったそうだ。