日本ミステリー界の旗手、人気作家である夏樹静子さんが『椅子がこわい』(文春文庫)という本を書いた。サブタイトルには「私の腰痛放浪記」とある。
夏樹さんは、この本のまえがきに次のように書いている。
夏樹さんは、この本のまえがきに次のように書いている。
私は、一九九三年一月から約三年間、原因不明の激しい腰痛と、それに伴う奇怪とさえ感じられるほどの異様な症状や障害に悩まされた。考えられる限りの治療——最後に、どうしても最後まで信じられなかった唯一の正しい治療法に辿《たど》りつくまで——を試みたが、何ひとつ効なく、症状はジリジリと不気味に増《ぞう》悪《あく》した。私は心身共に苦しみ抜き、疲れ果て、不治の恐怖に脅かされて、時には死を頭に浮かべた。……
なにぶん、真暗闇で脱出不能の森の中に踏み迷ったような精神状態で、肉体的には坐ることもできず、横向きに寝て、ボール紙に貼りつけた原稿用紙に書き綴った文章には、今読み返してみると、理解できないくらいにおかしな箇所も多々ある。「この記録は、もしかしたら私の遺書になるかもしれない」という書き出しからして、すでに相当平静を欠いた心境がうかがわれるのだ。……
なにぶん、真暗闇で脱出不能の森の中に踏み迷ったような精神状態で、肉体的には坐ることもできず、横向きに寝て、ボール紙に貼りつけた原稿用紙に書き綴った文章には、今読み返してみると、理解できないくらいにおかしな箇所も多々ある。「この記録は、もしかしたら私の遺書になるかもしれない」という書き出しからして、すでに相当平静を欠いた心境がうかがわれるのだ。……
夏樹さんは学生時代から結婚するまでは、テレビ・ドラマのシナリオを書いていたが、結婚して五年後、一九六九年(昭和四十四年)、現在のペンネームで小説を書き始める。まえがきにもあるように、家庭でも、車の中でも、旅客機の中でも、腰痛のため椅子にすわることができず、横になっていることが多かった。
九三年の腰痛襲来の前にも、耳鳴り、腹痛、腸閉塞(手術)、眼の痛み、眼精疲労などに悩まされたこともあった。
九三年一月二十日、腰がだるくて腰かけることができず、立ち上がってしまった。これが腰痛の初発だった。一カ月後、東京(夏樹さんの自宅は福岡)のホテルで、椅子に腰かけているのがつらくなり、ソファに正座すると楽だった。腰をかけるのがつらいので、列車旅行もキャンセルした。
以来、「考えられる限りの治療」を試み、日本各地を「青い鳥」をさがし求めて転々とする生活が始まる。しかし、その間も、出版社からの仕事の攻勢はやむことを知らない。
鍼灸、低周波、手かざし療法、水泳、水中歩行、気功、カイロプラクチック、野菜スープ、漢方療法、ペインクリニックなど、夏樹さんが試みた治療は数多い。
医学的にも整形外科、眼科、内科、婦人科、精神神経科、東洋医学科、ついには心理学科まで受診したり相談したりしている。
その間、名作『デュアル・ライフ』も書き、文学賞選考委員を務めるなど席をあたためる暇もない。立って原稿を書くために、図面台(トラフター)まで作らせた。会食の席でも五分とすわることができなかった。
九三年の腰痛襲来の前にも、耳鳴り、腹痛、腸閉塞(手術)、眼の痛み、眼精疲労などに悩まされたこともあった。
九三年一月二十日、腰がだるくて腰かけることができず、立ち上がってしまった。これが腰痛の初発だった。一カ月後、東京(夏樹さんの自宅は福岡)のホテルで、椅子に腰かけているのがつらくなり、ソファに正座すると楽だった。腰をかけるのがつらいので、列車旅行もキャンセルした。
以来、「考えられる限りの治療」を試み、日本各地を「青い鳥」をさがし求めて転々とする生活が始まる。しかし、その間も、出版社からの仕事の攻勢はやむことを知らない。
鍼灸、低周波、手かざし療法、水泳、水中歩行、気功、カイロプラクチック、野菜スープ、漢方療法、ペインクリニックなど、夏樹さんが試みた治療は数多い。
医学的にも整形外科、眼科、内科、婦人科、精神神経科、東洋医学科、ついには心理学科まで受診したり相談したりしている。
その間、名作『デュアル・ライフ』も書き、文学賞選考委員を務めるなど席をあたためる暇もない。立って原稿を書くために、図面台(トラフター)まで作らせた。会食の席でも五分とすわることができなかった。